住んでいた時期も含めると、13年以上訪れるカリフォルニアですが、
今年の夏までまったく知らなかったスポットがありました。
まあ、カリフォルニアだけで面積は日本と同じくらいあるので、
それも無理はないとは思いますが、意外だったのはそれが
車でしょっちゅう走るフリーウェイの脇にあったということです。
それはファイロリ・ガーデン。
1906年のサンフランシスコ大地震のあと、多くの富裕層が
市内から外れたところに居を移しました。
彼らは鉄道、炭鉱、金融など、アメリカの「ギルデッド・エイジ」
(金メッキの時代、1870〜80年代)を築いた人たちです。
富豪ウィリアム・ボウワーズ ボーン二世夫妻が
住んでいたファイロリは、その時代の最後の遺産といってもいいでしょう。
ファイロリガーデンは1915年から1917 年にかけて建てた邸宅と
1917年から1929年にかけて造られた庭園によって成り立っています、
1936年に夫妻が亡くなった時、ウィリアム・ロス夫妻に売却されました。
現在は文化遺産として2月から10月までの間だけ公開されており、
1000人以上のボランティアが運営に携わっています。
カリフォルニアは気候が植物の育成に適しているので
庭園は「その気になれば」造成が可能ですが、文化的に
ヨーロッパのようなガーデニングは浸透していないので、
こんなところにヨーロッパ風庭園があるとはまったく意外でした。
インターネットでホームページからツァーを申し込むこともできますが、
わたしたちはセルフツァーを選択しました。
このエントランスを入っていくと受付があります。
まず見学は庭園から。
変わった植物だなと思ったら、赤いのはガラスのオブジェでした。
彩りのつもりか池にビーチボールを浮かべていて、
イギリス人ガーデナーが見たら怒り狂いそうな眺めです。
フランスの庭園はベルサイユを始めいくつか見ましたが、
こういう手の加え方はアメリカ人ならではという気がしました。
庭園のそこここにあずまやのような建物があります。
テニスコートあり、プールありで、かつてのアメリカ人の
富裕層の生活が偲ばれます。
植木鉢が置いてあるあたりが庭園としては如何なものか、
と言う気もしますが、それはさておき。
日時計のある庭。
ラベンダーが花の盛りでした。
分厚い生垣のトンネル。
歩いていくとテニスコートの近くにトイレがありました。
立ち寄ってみると中はこんな。
ロッカールームとして使われていたのかもしれません。
トイレの窓の外にあった「盆栽」のようなもの。
盆栽といえばところどころ「盆栽風植栽」にしていて、例えばこれ。
はっきりいってこれじゃない感がハンパありません。
向こうで謎の剪定に励んでいる庭師。
プールの前にはアクリルガラスのハリセンに
本物のテニスボールをあしらったオブジェがありました。
こういうのもアールデコ風っていうんでしょうか。
この庭は、ボーン夫妻の死後、家と広大な敷地を購入した
ロス家の夫人によって1975年に歴史保存のためのナショナルトラストに
寄贈され、それ以降公開されて今日に至ります。
しかし、ただの庭見学だけがここの楽しみではありません。
ウィリアム夫妻のためにサンフランシスコの建築家、ウィリアム・ポークが
設計したこの豪奢な邸宅の中を見ることができるのです。
不動産と一緒に寄付された家具やドレスなど、
当時の富豪の生活ぶりを垣間見ることのできる展示。
タキシードはボーン2世の甥の着用したもの、
ドレスはボーン夫人のもので、いずれも1915年頃のものです。
「シップルーム」と名付けられた、もともとは朝食用の食堂。
ここには帆船の模型や夫妻が旅行で使ったトランクなど、
「海関係」のグッズが飾られている部屋です。
で、この大きなトランクなんですが、分かる人にはわかる、
これフランスのゴヤールの製品なんですね。
日本ではあまり有名ではありませんが、サントノーレ通りにあって
格としてはルイ・ヴィトンより上と言う説もあるくらいです。
がラス戸の中には世界各地で買ってきた記念品とともに、
当時の最新式であったらしい小型カメラが。
さらに廊下を進んでいくと厨房にたどりつきました。
まるで漫画に出てくる大富豪の家のように、キッチンには
ユニフォームを着たコックとメイドがいたようです。
何十人分もの料理を作るキッチンですから、ホテルの厨房並みの広さですが、
個人宅なのでインテリアには温かみがあります。
ダイヤルロック式の分厚い扉の中には
来客用の銀器が収納されていました。
ジャンバルジャンは燭台を盗んで人生を誤りましたが、
それを売れば食べていけるくらい価値のあるものだったのですね。
今は食卓を飾ることもなく、扉の中でひっそりと輝きを放つだけです。
厨房はバトラーの控え室も兼ねていたようです。
各部屋からここにブザーが通じていてコールすると光る仕組み。
それにしてもなんたる部屋の多さ・・。
コーヒーを入れたり朝食のパンを焼いたりする棚。
オーブンとコンロは換気扇付きで今でも使えそうです。
というか、消火栓が置いてあるところを見るとときどき
ここで何かイベントが行われることもあるのかもしれません。
お菓子などを作る大きな台。
暇そうに天井を見ている人はボランティアの解説員。
40年にわたってシェフを務めたのは中国系アメリカ人のロウさん。
ネクタイを締めた紳士は当家の執事です。
さて、そんなキッチンで生み出される料理は、このダイニングに運ばれます。
キッチンには来客をマネージメントするための表が貼ってありましたが、
年齢性別はもちろん、何語を喋るかまで個人のデータが書き込まれていました。
英語が一番多いのは当然ですが、独仏伊、そしてスェーデン語と、
あらゆる国の言葉を喋る客が一堂に会するような晩餐会も多々あったようです。
ボーン夫妻の時代、彼らが亡くなる少し前に行われた
最後の正式な「晩餐会」を再現しているテーブルです。
その時ボーン夫人が着たドレスも飾られています。
晩餐会が行なわれた1933年11月24日の写真。
次の間は居間というかプレイルームとでもいうのでしょうか。
卓ではスクラブルのゲーム中。
銀の糸を織り込んだ贅沢なコートは1920年台のもの。
ハープシコードのようですが、これはスピネットといって、
弦が斜めに貼られそれを引っ掻いて音を出す鍵盤楽器です。
これはベントサイド・スピネットで、18世紀にイギリスで流行しました。
こちらにはスクエア・ピアノがあります。
箱の中の弦は鍵盤に対してこちらも斜めに張られています。
アップライトピアノの前身というところで、これも18世紀後半のもの。
大きな東洋製の壺、右側の壁にあるのは中国製の螺鈿絵。
ガラスのビーズをふんだんにあしらったパーティドレスは1910年のもの。
壺の反対側には1964年にここで「デビュタント」を行った
ロス家の親戚の娘さんのきたデビュタントドレスがありました。
手縫いの総刺繍のドレスはフランス製です。
書斎にきて思わずわたしがおおっ、と盛り上がった海軍の軍服。
スウェーデン領事だった海軍軍人、ウィリアム(この人もウィリアムか・・)
マトソン大尉が着用していたものです。
これはサンマテオの博物館からの貸与で、当家とは関係ありません。
本棚に目ざとく海軍マークを見つけて写真を撮るわたしであった。
海軍関係の絵や版画を集めた本のようです。
こちらの写真は状況から言ってウィリアム・ロス氏ではないかと思われます。
右側は戦時中に撮られたらしく陸軍の軍服ですね。
こちらロス夫人。(さっきの絵の人だと思われ)
お若い時にはまるで女優さんみたい。
ロス氏も若い時は超イケメンだったみたいです。
ロス夫人と愛馬。
やはり上流階級は乗馬を嗜まれるのですね。
右側はロス夫人と彼女の兄弟。
なんと家の中にコンサートホールが。
このファイロリガーデン、周りはほとんど原生林みたいな木々に囲まれた山間地で、
土地はふんだんにあるからとはいえ、これには唖然としました。
ピアノは見てませんが多分スタンウェイでしょう。
ここで行われた舞踏会やその他パーティで着用されたドレスが幾つか
マネキンに着せて飾ってありました。
いわゆるバッスルスタイルのドレスですね。
日本では鹿鳴館でこのスタイルのドレスが着用されました。
大きな暖炉は大理石製。
ホールを出たところにあった一人用のトイレ。
無駄に広い。
少し小さな(といっても軽く30畳くらい)居間には、お酒を収納しておく
隠し戸棚と(閉めると壁になる)ワインセラー(右)がついています。
暖炉の上にある絵はロス夫人ですが、これははっきり言って絵としてはイマイチ。
ワインセラーのドアの上には鹿の首が飾ってあります。
おそらく当主は狩猟も楽しんだのでしょう。
見学を終え、ランチを食べるために中庭に席を取りました。
右側は主婦四人組。
おしゃべりに夢中になっている様子は日本と変わりません。
キッシュとサラダにスープという取り合わせ。
帰りにお土産店に寄ってみました。
ここでラベンダーの香りのハンドクリームを購入。
買いませんでしたが、スリッパの足裏のところが
草(grass)になっている商品を発見。
これが気持ちいいのかどうかは謎ですが、商品名が
「Grass Slipper」orz
ちなみにシンデレラのガラスの靴を英語では「glass slipper」といいます。
この売店でずっとオペラのアリアが流れていました。
「ファイロリ」という名前とこういうBGMのセレクトから、わたしは
ここに来るまでは、この豪邸を所有していたのは
イタリアからの富豪の移民だと思っていました。
「みなさんはファイロリはイタリア系の名前だと思われるかもしれませんが」
ここの解説にもありますが、この名称は初代オーナーのボーン氏の命名で、
「FIght for just cause;LOve your fellow man; LIve a good life」
(戦う理由はただ、あなたに続く人間を愛し、良き人生を歩むため)
というボーン氏の会社(金を掘る会社と地下水を売る会社)
のクレドから2文字ずつ抜粋した造語だということです。
カリフォルニアでありながらヨーロッパに迷い込んだような空間。
アメリカの古き良き時代の豪奢な生活を垣間見た1日でした。