慰霊式とそれに続くご遺族を囲む昼食会が終わりました。
現地でお会いした所属防衛団体のおじさまたちとロビーでお茶を飲んでから、
わたしたちはまだ陽の高いうちに高松に戻りました。
埠頭にいってみると、一般公開している「ぶんご」の横では、なんと香川地本が
装備を大々的に投入し、渾身の広報活動を行なっている最中でした。
軽装甲機動車の天井に子供を乗せてあげるという大サービスです。
まあ、中に乗せるわけにはいかんので、色々考えた結果天井だったんでしょう。
しかしそれでも、特に男の子にとってはその辺の遊園地より楽しいかもしれませんね。
危なくないように、上と下でじえいたいのおにいさんが手を貸してくれます。
あとは二人で敬礼のポーズをして、両親のカメラに収まるというもの。
どうせなら戦車や装甲車だともっと男の子の心をくすぐったと思うのですが、
銃を持たせたくらいで大騒ぎする連中がどこにでもわいてくるから仕方ありません。
写真撮影の前に迷彩服も貸してもらえます。
偽装網をかけた車両の前でポーズをとる未来の自衛官。
気合入ってるねえ、特に左の弟・・・あれ、これもしかして女の子?
オートと呼ばれるバイクの座席に座ることもできます。
「ぶんご」は昼休みを除く朝から夕方まで、この週末一般公開されました。
地本の方に伺ったところ、一日に7〜8千人の見学者が訪れたとのことです。
なんども自衛艦に乗っていますが、オトーメララの中を開けていたのを見たのは初めてです。
「ここに人が入って操作するんですか?」
という見学者の質問に対し、
「操作はここではなく、この下の階でするんですよ」
隊員さんが説明していましたが、抱っこしてもらって中を見ていた男の子、
それを聴くと真剣な様子で
「そこ(下の階)見せて」
じえいたいのひと「うーん、それはね・・・ちょっと見せられないんだー」
こども「・・・・・・・」
じえいたいのひと「でもね、ぼくがおおきくなってじえいたいにはいれば見られるよ!」
こども「いやだ」(言下に)
リクルート活動、失敗。
EOD、水中処分員の潜水用スーツも展示してあります。
先日神戸基地隊で、EOD出身の司令官が教えてくれたところによると、
スーツの厚さは色々あって、薄いものはわずか2mmというものもあるそうです。
やはり分厚ければ分厚いほど、浮力がついてしまうようですね。
「ぶんご」の女性乗員たち。
カメラが向けられると反射的にVサインをするところは実に普通の女の子です。
昨日艦上レセプションでVIP用のテーブルがあった格納庫は、帽子を被らせてもらい
旗の前で写真を撮らせてもらう撮影コーナーになっておりました。
若い女性が二人三人と連れ立って見学に来ているのを目撃しましたが、
出会いの少ない自衛官にとって、この一般公開は貴重な出会いの機会。
一般人からだけでなく自衛官からのナンパもありだと思うんですよね。
いや、別にけしかけるわけではありませんけど。
自衛隊もその辺りを決して制限するものではない(はずな)ので、こういった
「ふれあいコーナー」には、独身の若い隊員を配置しているような気がします。
ここ、火災発生の時につける防具の装着を体験できるコーナー。
先ほど主砲の下を見せてといって断られ、拗ねていた少年、
嬉々としてヘルメットをつけてもらっています。
それをやはり嬉々として眺め、写真を撮る両親。
なかなか好奇心旺盛な少年で、将来有望です。
こちらは制服を着て記念写真を撮るコーナー。
この子は「けいれい」のなんたるかを全く知らない様子。
「はい、カメラに向かってけいれいして〜」
「?????」
甲板には説明用の機雷が展示されていますが、暑いせいかあまり人がいません。
掃海隊群司令、湯浅海将補。
掃海隊群司令というのは掃海隊全体のトップです。
そんな偉い人が、甲板に気さくな様子でお一人で立っておられました。
この時、湯浅司令が練習艦隊司令であった頃の話題になったのですが、
練習艦隊で行われる海外でのレセプションについて、面白い話をお聞きしました。
「パーティが終わると、我々はお客様に退出してもらうために『蛍の光』を流します。
ところがあれを『そういう曲』だと思ってるのは実は日本だけなんですよ。
『蛍の光』を流しても『いい曲が流れているねー』と思うだけで出ていかない」
「あれを聴いて『帰らなきゃ』という感覚が日本人はDNAに組み込まれてますからねー。
じゃ海外では、パーティのあとどうやって客を『追い出し』てるんでしょうか」
「電気を消して暗くしてしまうんですよ」
「はあ〜」
海将補は司令と名のつく配置になって、初めて取材を受けたとき、
カメラがええ〜っというくらい至近に迫ってきたので焦りまくったそうです。
「あ、俺今鼻毛とか出てなかったかなっとか・・。(わたしたち爆笑)
正面から撮られるの、苦手なんですよね」
というわけで、写真は斜めから撮らせていただきました。
当ブログにかつて海将補のお写真をあげたのもご存知で、
「また(わたしの写真をブログに)載せられますか」
とおっしゃるので
「もしお嫌いでしたら顔にモザイクかけましょうか」
とお聞きすると笑いながら
「それは大丈夫です。
今日の(一般公開の)ことも発信してやってください」
群司令のご許可、いただきました。
そろそろ公開時間が終わりかけていたので、舷門に向かうと、
まだこの時点でブリッジの見学をするために列を作って待つ人がこんなに。
中ではなく外付けの階段を登って艦橋を上がることになっていました。
わたしは日向灘で夜の10時ごろの誰もいないブリッジを見学しているので、
今回は遠慮させていただきました。
高松港の埠頭にはご覧のような素晴らしいローズガーデンがあり、花真っ盛りでした。
「ぶんご」から出たわたしたちは、いってみることにしました。
バラのアーチは実に立派なもので、子供たちも大喜びで中に入っていきます。
わたしたちが撮りたかったのは、そう、これ。
「薔薇とぶんご」。
去年も同じ時期に艦上レセプションのためにわたしはこの埠頭にきているのですが、
このバラ園については全く気づきませんでした。
自衛隊は「ぶんご」と掃海艇の到着、一般公開を広く広報していたので、わざわざ
これをみるために足を運んできた地元の人々がたくさんいるように見受けられました。
そのあと、「ぶんご」の前でミカさん(仮名)が地元高松のおなじみさんたち
(自衛隊や艦艇ファンで、例年駆けつけてくる固定メンバーがいる)と話していると、
「ぶんご」艦上で物品搬入が始まりました。
アナウンスが「物品搬入、はじめ!」というと、たくさんの隊員が出てきて
皆で作業に取り掛かります。
搬入というからには、陸上から艦上に荷物を乗せるのが目的です。
前に見学させていただいた経験から、今吊り上げているのははジュースなどではないかという気がしました。
クレーンの運ぶ荷物周りにいて、荷物に牽引索をかけたりする隊員は
必ずヘルメット着用で行うことに決まっているようです。
ところで、この搬入作業を至近距離で食い入るように見ていた一般女性がいたのですが、
あまり近いと自衛隊の人に邪魔だと思われるのではないかという気がしました。
彼女もそうだと思いますが、自衛隊にはかなり熱心な「追っかけ」がいるようです。
掃海隊追っかけ、特定の艦追っかけ、とにかく自衛官なら誰でもという追っかけetc、
陸海空どの分野にも固定ファンがいて、どんな僻地にも追いかけてくるらしい。
今回わたしはある隊司令と話していて知ったのですが、自衛官たちも毎回のことなので
「固定追っかけ」の存在は皆目の端っこでちゃんと認識しているのだそうです。
しかし、これもその時の話で感じたのですが、だからといって、
追っかけが好意的な目で見られているかどうかは全く話が別です。
男のミリオタ、(粘着系)と女の追っかけ(粘着系)に対しても、国民の自衛隊である
自衛官の皆さんは決して邪険にしたり乱暴に追い払ったりすることはありませんが、
特に恋愛市場で追っかけが相手にされることは、一般的な男性の心理から鑑みても
まず金輪際ありえない、と、わたしは長い人生経験と老婆心から言わせていただきます。
一般的に、男は追いかけられるより追いかけることを本能的に求める動物なのよ。
週末の高松港ではヨット教室らしきヨットが一列に並んだり円を描いたりしていました。
こんな日にヨットに乗るのはさぞ爽快でしょう。
なんかストーリーを感じさせるショットですが、これは全くの偶然です。
「赤灯台」を撮ったらこんな構図が写っていました。
「赤灯台までいってみましょうか」
「いいですね」
わたしたちは突堤までの一キロほどの道を歩き始めました。
遊歩道のベンチを支えているいるかさんが可愛すぎる。
灯台までの舗道はマラソンにもってこい。
わたしたちが歩いて行くと、掃海隊の乗員が走っているのとすれ違いました。
自衛官というのは基本走っていないと死んでしまう動物みたいなものなので、
結構な歳の偉い人でも嬉々として毎朝走ったりしているそうですが、今回、
この高松の港からママチャリで金刀比羅宮まで走ってきて、さらには当然のように
本宮まで上がっていく途中という自衛官(EODらしい)にお会いしました。
世間的にはご高齢の退官した「偉い人」も、追悼式の会場で顔をあわせるなり、
息一つ切らさず涼しい顔で
「今上までお参りにいってきたばかりです」(ニヤリ)
自衛官という人種、やっぱり普通じゃないわ。
近くに行くと、かなり年数が経っていることがわかります。
赤いのはガラスのタイルをはめ込んでいるかららしい。
「赤灯台」はあくまでも通称で、正式には
「高松港玉藻防波堤灯台」
というそうです。
初灯が昭和39円12月というからもう50年以上ここに立っているんですね。
1日目は二面の窓から海の見える絶景の部屋に泊まることができたのですが、
二泊目はどうしても部屋が取れず、仕方なく近隣の安ホテルを取っていました。
日程ギリギリになって、予約サイトでたまたま安く「ファミリールーム」とやらが
出ていたのを見つけ、元のをキャンセルしてこちらに泊まることにしたのですが、
このファミリールーム、部屋に入ってみると・・・、
地方の温泉旅館そのままの間取りをした古色蒼然たる和室でした。
「どんな部屋か見たいー」
といってチェックイン後ついて来たミカさん(仮名)に
「隣の部屋にお布団敷いてもらって泊まりませんか?マジで」
といきなり誘いをかけるわたし。
「一人でこんな温泉みたいな部屋に泊まるのなんだか怖いんですよ〜」
しかしていよく断られ(そらそうだ)、お布団一つを広い部屋の真ん中に敷いて
寝たわたしですが、怖いも何も、その日は疲れ切っていたため、
横になって目をつぶった次の瞬間、朝になっていました。
その日の晩はホテルのフレンチダイニングでちょっと贅沢にディナーを取りました。
こうして追悼式の一日が終わりました。
しかしわたしにはまだ次の日に大事な海自的用事が残されています。
それは、掃海艇の体験航海でした。
続く。