映画「人間魚雷 回天」最終回です。
伊36号の中で、乗組員からすでに軍神として扱われる回天搭乗員たち。
しかし、相変わらずの玉井少尉は、体調を気遣う乗組の軍医長に対し
「我々みたいなのが病人になっても治し甲斐がないんじゃありませんか?
結局死んでしまうんだし」
と自虐して、またしても座を気まずくさせます。
言葉を慎め、と玉井少尉を諌める良識派、関谷中尉。
ソロモン諸島付近に進出したところで、彼らは同じ回天隊を乗せた伊90が
回天を発進することなく敵に撃沈されたことを知り、意気消沈します。
「あの人だけは空母か戦艦に体当たりさせてあげたかったな・・・」
あの人ってだれー!
その時、「魚雷戦用意!」の声がかかりました。
南方に来て初めて敵と遭遇したのです。
「発射用意よし!」「発射用意よし!」
「ヨーイ・・・・撃(テー)ッ!」
「大型輸送船轟沈!」「大型輸送船轟沈!」
特撮は武士の情けでここには上げません。(というくらいチャチ)
一息つく間も無く、今度は敵の駆逐艦が現れます。
艦長は潜行を命じるのですが、この時の内部から撮った映像と、これに続き
敵が落とした魚雷が爆発するシーンが、どう見ても本物のフィルム。
回天が潰れるのを気遣って深度を取らない艦長に向かって、
関谷中尉は自分が出撃して敵艦を沈める、と申し出ます。
「たかが駆逐艦に回天が使用できるか。
そのうち大物に出くわすから艦長に任しとけ」
と親心を出す艦長(井沢一郎)に向かって関谷は
「空母や戦艦を轟沈するのも進んで潜水艦を防御するのも私には同じことです!」
その言葉に艦長の目が深く頷き、
「1号艇、回天戦用意!搭乗員乗艇!」
「関谷中尉、往きます!」
一人先に行くことを決心した関谷中尉。
不意に先を越され、呆然とする三人。
実際の回天搭乗員もこうだったのでしょうか。
艇に乗り込むために艦内を昂然と歩む関谷中尉は、すでに軍神となり、
乗組員は最大の敬意をもってその最後の搭乗を見守ります。
回天には潜水艦内部と回天下部に穿たれたハッチを結ぶ筒を潜って搭乗し、
潜水艦側からハッチを閉めます。
回天と潜水艦を固定していた鎖が外れると、
搭乗員が母艦に戻ってくることは決してありません。
その瞬間、彼に残されたこの世での時間は数分単位となります。
艦内とは電話でつながっていますが、この電話の用途は二つ。
一つは出撃が中止になったことを伝えるため。
もう一つは最後の言葉を艦長と交わすためです。
ほとんどの搭乗員が最後に残していったとされるこの言葉を、関谷中尉も艦長に告げます。
「今までお世話になりました」
「関谷中尉、頼むぞ」
関谷中尉が一足先に出撃していくのを万感の思いとともにただ見ている三人。
そしてすぐに爆発音と振動が伊36を震わせます。
関谷中尉の命の火が消えたその瞬間でした。
そしてそのおかげで、伊36は、当初の目的であったアドミラルティ泊地での
回天戦を行うことができるようになったのです。
泊地での回天戦なら、空母だろうが戦艦だろうが、もう目標は選び放題です。
ところが、艦長が最大の苦心を払って湾口まで潜水艦をつけ、
回天戦の成果を最大限に上げてやろうとしている最中、司令部から無電が。
(本当は作戦中に司令部からの連絡があるなどとは考えにくいのですが、
そこはそれ、映画ということで)
なんの理由かはわかりませんが、ここで帰投命令がくだったのです。
呆然とする三人。
この刹那の命の猶予、出撃の延期がいかに残酷なことであるかを、
朝倉少尉は自分も知ることになったのでした。
「村瀬・・・貴様はこんな気持ちを二度まで耐えてきて・・」
玉井少尉だけは、その瞬間、恋人の幸子のことを考えていました。
写真を見、しばし彼女のいる世界に自分が生きていることに安堵を感じます。
幸子が自決してもうすでにこの世の人ではないことなど、知る由もありません。
しかしそれも一瞬のことでした。
そのとき、アドミラルティ敵泊地に敵の大艦隊が帰還してきたのです。
艦長は決断しました。
帰投命令に背いても、回天搭乗員に「死に花」を咲かせてやるため、
あえて回天戦を行うことを。
「昭和19年12月12日、伊号36潜水艦、
会敵の機会に接し、艦長は今は敢えて諸君に往けと命ずる」
「搭乗員乗艇!」
つい何時間か前、関谷中尉が受けた乗組員の畏敬の眼差しと敬礼を受けながら、
三人は回天に乗り込む、あまりに短い花道を歩いていくのでした。
ハッチの下には軍医長が待っていました。
軍医は搭乗員に自決用の青酸カリを渡すように言われていましたが、
彼らへの敬意からそれをせず、今はただ出撃を見送ります。
乗り込む最後の瞬間、手を握り合う三人。
村瀬には、従兵がなぜか近寄ってきて、
「い、い、い、生きとります」
なんと、乗り込もうとする村瀬にネズミの仔を渡そうとします。
「かわいいなあ。ありがとう」
「ありがとう。でも俺はいい。内地に連れて帰ってやれ」
嗚咽をこらえるのに必死な従兵でした。
朝倉少尉は帝大の先輩だった従兵から貰ったお守りを潜望鏡にかけ・・、
玉井少尉は幸子の写真を目の前に貼り付けます。
そして三基全部が潜水艦から解き放たれました。
海上に浮上し、突入目標を定めた玉井少尉。
「幸子さん、さよなら」
「大型空母、轟沈!」
えーと、戦艦・・・・「マサチューセッツ」?
機銃掃射(きっとボフォース機関砲)を受けながら、突入していく村瀬少尉。
監督は突入の最後の瞬間、目をつぶってしまう演技をどちらにも要求しました。
「戦艦、スクリュー音消えた、轟沈!」
艦長は総員に向かってアナウンスします。
「伊号36潜水艦は回天攻撃により大型艦2隻、駆逐艦1隻轟沈の成果をあげたり。
回天の勇士散華して今はなし。
我ら伊号36潜水艦乗組員は謹んで回天の勇士の冥福を祈り、これより帰途につく」
さて、ところでもう一人の搭乗員、朝倉少尉はどうなったのでしょうか。
実は発進時から水漏れを起こしていた朝倉少尉の艇、操縦不能になって
海底に鎮座した上、もうすでに腰まで海水が迫っていたのでした。
落ち着き払った様子で泰然と短剣を取り出し、潜望鏡に文字を刻み始めます。
十九年十二月十二日 一五三〇
我未ダ生存セリ
朝倉少尉の薄れゆく意識の中に、かつて聞いた子供の歌声が響いていました。
「夕焼け小焼で日が暮れて 山のお寺の鐘がなる」
・・・・・・・・・・
予備学生が主人公の戦争ものは、えてして戦争とそれによって学問の道半ばで
命を断たれることの不条理を強調して訴える傾向にあります。
しかしこの映画は1955年作品で、戦争の記憶の生々しい頃に
元予備士官の監督のもと、軍隊や戦争を知るスタッフによって制作されたため、
その後の、厭戦気分だけをお涙頂戴で綴る作品とは異なり、その時代に生まれ、
そうせざるを得なかった若者たちの公と私の両面を描くことに成功していると思います。
特に、伊号36の艦長と回天搭乗員たちの、命令を下し、それに従う関係の中に、
この時代に生きた者にしかおそらくわからない「愛」が描かれていたのは
個人的に大変評価できる部分でした。
終わり