サンディエゴに行ったとき、お宅に泊めて頂いた現地の知人、
ジョアンナとそのボーイフレンド(夫婦ではない)は、海事博物館に続いて
どうやら航空博物館を案内してくれるつもりだったようなのですが、
わたし一人ならともかく、年配の二人に案内をさせるには
野外の航空博物館はあまりにも申し訳ない、それにわたしたち自身も疲れているし、
ということで提案したのがローカル情報で見つけた音楽博物館でした。
これなら室内で空調も効いて快適だろうし、彼らにとっても負担にならず、
わたしも息子も皆がハッピーだろう、と考えたのです。
果たして、彼らはサンディエゴに住んでいながら、ここのことを知りませんでした。
フリーウェイ沿いでいつも目につくすごいデザインの教会。
この角度から見ると一棟しか見えませんが、同じ形の塔が
対になっている設計で、実に豪壮な感じがします。
モルモン教の末日聖徒教会だそうです。
この日も焼け付くように暑かったサンディエゴ、建物に入るとホッとします。
エントランスに入ると、ピアノが・・・・。
本物のピアノを利用して作った受付デスクでした。
展示はアメリカにおける楽器の歴史を現物を見て学んでください、というもの。
実は、スーザの使っていた指揮棒とか楽器が最初にあったのですが、
写真を失敗していました。
右側はそのスーザフォンですが、もともとこれはジョン・フィリップ・スーザが
海兵隊のバンドで使われていた低音楽器のヘリコン(今は使われていない)に
不満を持ち、代わりとなるものを楽器店に依頼して作らせたものです。
「スーザフォン」で調べると、まさにこのスーザフォンが1893年に製作された、
として写真が出てきます。
前の変な形のギターはクヌッセンという楽器会社の
「ロウワー・バス・ポイント・ハープ・ギター」
奥のマンドリンのお父さんみたいなのは1912年製作、
「マンド–バス」
ということなので、マンドリンの低音楽器みたいですね。
雲型の弦楽器は「マンドリンとギター」。(どっちだろう)
奥の縦型ピアノは、ロールを仕込んだ自動演奏ピアノです。
このパンチに録音されたガーシュウィンの演奏があるそうですね。
残されているロールはミスタッチを修正してあるものが多いそうです。
スタンウェイの初期の装飾ピアノ。
ピアノの蓋の裏には、ヘンリー・スタンウェイのサインがあるそうです。
この「メイキング・ミュージック博物館」をその昔立ち上げたのは
どうやらヘンリー・スタンウェイその人だった模様。
ペダル部分は竪琴を象ってあり、全体に彩色画が施されています。
ドイツ系移民のヘンリー・エンゲルハルト・スタンウェイがアメリカでピアノ製造を始め、
1853年に「スタンウェイ&サンズ」社をニューヨークで立ち上げました。
写真はヘンリーの孫にあたるヘンリー・ツィーグラー・スタンウェイです。
スタンウェイ一族。
右側の立っている男性がスタンウェイ、前列は彼の祖母(つまり初代ヘンリーの妻)
あとは従兄弟と従姉妹たち。
シンバルといえばジルジャン、ジルジャンといえばシンバル。
シンバルに書かれている文字はこれかYAMAHAしか見たことない、
というイメージです。
もともとトルコのシンバル職人が400年前に興したのが祖で、
あのムスタファがその仕事に感謝してシンバル職人の称号「ジルジャン」
(Zildjian、アルメニア語で"Zil"はシンバルやベルの意味、"dj"はメーカーとか職人の意味、
"ian"は息子もしくは継承者・家元の意味で、シンバル職継承者という意味の名前)
と製造許可を授桁のがその名前の由来です。
ジルジャンがアメリカに渡ってそこで会社を作ったため、
本社は今ではマサチューセッツにあるということです。
写真はジルジャンのシンバルができていく過程を示したもの。
再生器も展示されていました。
大きなラッパが木製というのが迫力ですね。
ヒズマスターズボイスのマークを思い出します。
「Jazz It Up!」と題されたノーマン・ロックウェルの作品。
「Jazz up」は「盛り上げる」というイディオムですが、このバイオリン弾きのおじさんは、
これからはジャズなのかなあ、とサックスへの転向を考え出しているようです。
1930年ごろの作品です。
自動演奏の仕掛けが鍵盤の下に引き出しのように仕込まれた例。
蓋の上に置いてあるのはピアノロール、データを打ち込んだ巻き紙です。
ロール式の再現機械の限界というのは
「同音の連打が再現できない」
ということだったのですが、驚くことにデジタル式となった現在でも
同音が連なるパッセージは再現できないことがわかっています。
ピアニストの指使いを機械が完全に再現することは今の科学でもできないのです。
電子オルガンの先駆はレスリースピーカーを伴うハモンドオルガンです。
1934年、ローレンス・ハモンドが発明したこの電気式のオルガンは、
当初パイプオルガンの設置できない黒人の教会などが導入し、そののち
ジミー・スミスのようなジャズオルガニストが採用して新しい世界を開きました。
しかし、大きくて持ち運びできないハモンドオルガンは、軽量・小型していく
鍵盤楽器の隆盛に押されて、次第に衰退していくことになります。
音色そのものが飽きられた事もあり、1980年代には生産も終了しました。
なんとエレガントなアコーディオン、と思ったら、これは
女優のジンジャー・ロジャース専用。
この人アコーディオンなんて弾けたんだろうか、と思ったら、
映画「Shall We Dance?」(日本では『躍らん哉』)に使われた小道具とか。
本当に演奏したのかどうかはわかりません。
さて、本日タイトルの「GIピアノ」です。
ピアノの塗装は今まで木目と黒の他に白、赤(紅白で使ったらしい)、
アクリルの透明と見たり触ったりしたことがありますが、オリーブ・ドラブカラー、
カーキ色は流石に初めてのような気がします。
実はこのピアノ、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争の間を通して、
スタンウェイ&サンズ社が
「ビクトリー・ピアノ」
として何千台も戦地に送ったのと同タイプなのだそうです。
その目的はというと
「 Boost morale and entertain the troops」
(士気高揚と兵士たちの慰撫)
OD色の塗装は戦場におけるカムフラージュを目的にしており、まるで箱の様な
本体のデザインは、軍隊での少々の荒い扱いにも耐えるための仕様でした。
ピアノの上の楽器も戦地仕様で、トランペットはプラスチック製です。
「アント・ルウ」という戦地歌手がキャンプで慰問演奏を行うの図。
こちらは外地ではなくノースキャロライナのキャンプだそうです。
戦時中のミュージックショップ店内。
スタンウェイ、キンボール(今も時々アメリカでお目にかかる)などのピアノメーカー、
ビクター、デッカのレコード製造会社、ギブソンはギターですね。
アメリカのお店の店員さんが皆スーツを着てネクタイを締めていた頃。
戦争が始まって、音楽業界も戦争協力をアピールし始めました。
シュミットミュージックカンパニーが、中古のプレイヤーを
戦地に送るために修理業者を派遣している写真です。
レコードショップが自分で商品を探してレジに持っていくという
セルフサービス形式になったのは、第二次世界大戦中からです。
人手を補うための策がその後もスタンダードとなりました。
戦争中もレコードは製造されましたが、新しく製造されるものについては
物資は制限されたので、カリフォルニアのあるレコード会社は
一枚3セントで中古のレコードを引きとり、それで新譜を出すことにしました。
この方法は好評で、6ヶ月の間に4万枚のレコードが出せたそうです。
同行してくれたジョアンナさんのボーイフレンドの後ろ姿。
この人くらいがエルビス世代かもしれません。
左はミュージックショップで使われていたレジスター、
右はお店のショーケースで、マウスピースや管楽器のリード、
弦楽器の弦やロージン、 金管楽器のオイルなどが収められています。
さて、ここで我々日本人にはちょっとびっくりする展示がありました。
ローランドというメーカーを知っていても、
梯郁太郎(かけはしいくたろう)1930〜2017
という個人名をご存知の方はあまりいないのではないでしょうか。
日本人でハリウッドのロック・ウォークに手形を残し、さらには
テクニカル・グラミー・アワードを受賞、バークリー音楽大学からは
長年にわたって電子楽器の発展および普及に努めた多大な功績により、
名誉音楽博士号を授与しているにも関わらず、あまり個人名が出てこず、
日本よりアメリカで有名なのはなぜかと思ってしまいます。
”1960年にエース電子工業を設立し、最初の電子オルガンをデザインした。
1972年、ローランドコーポレーションを設立、革新的な製品を世にだす。
世界初のプログラミングできるドラム、リズムコンポーザー。
そして最初のデジタルシンセサイザー(エフェクト搭載)D-50、
そしてこれも世界最初のコーラスエフェクトペダル搭載、BOSS CE-1である。
1930年日本に生まれた梯は様々な逆境のうちに成長した。
孤児として生まれ、祖父の手で育てられ、10代には結核を罹患している。
療養しているときには来る日も来る日も一日中ラジオを聴いて過ごし、
このことが彼に音楽の癒しの力を確信させる事になった。”
本当は、療養所でも梯さんはラジオどころかテレビを作ってしまい(!)
それを見るために人々が彼の部屋に押すな押すなだったんですが、
その辺りはさっくりと省略してあります。
しかしとにかく、日本よりはずっと評価されていることがわかりました。
あとは歴史的なギターのいろいろ。
左のお花型のは
「デイジーロック プロトタイプ」
右側は見てその通り、
「リックターナー プレッツエルギター」
見ただけで凝りまくっているのがわかるギターの数々。
奥のなんて、まるでカメオみたい。
楽器が置いてあって、好きに触って楽しめるコーナーもあります。
一枚でドラムセットの全ての音が出るドラムマシーン。
学校ではドラムもやっているMKが早速叩きまくり。
小さなエレクトリックドラムのフルセットも。
子供に「はえ〜」って感じで見つめられておりました。
パネルに映し出される世界の楽器シリーズ。
日本はもちろん「Taiko Drum 」です!
東京オリンピックではぜひグラウンドを埋め尽くしての太鼓演奏を見てみたい。
低周波の音を体験できるコーナーがありました。
低周波音の定義は100 Hz以下。
また、20 Hz以下は超低周波音と呼ばれます。
ここではダイヤルを回せば、周波数を低くしていくことができ、
それがどんな音なのか体験することができます。
さて、というわけで展示を見終わり、お土産ショップで五線柄の傘、
ジョアンナさんがわたしに音符柄のスカーフを買ってくれました。
見学を終えて出てくると、受付のピアノデスクの裏がこんなだったことを知りました。
この日は併設されている音楽ホールでヴァイオリンのコンサートがあったので、
その受付が始まってこれだけ人が多かったようです。
サンディエゴに来て時間があれば、ぜひ見学をお勧めします。
音楽に興味のない方でもそれなりに楽しめますよ。