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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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潜水艦救難艦「ちよだ」引渡式 @ 玉野三井造船

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今週月火と二日間に渡り、怒涛の自衛隊行事参加を果たしてきましたので、
そのご報告をさせていただきたいと思います。

まず、時系列としては

19日夕 練習艦隊行事 大阪のホテルで壮行会

20日午前中から ちよだ引渡式 岡山三井造船

20日夕 練習艦隊「かしま」艦上レセプション大阪港にて


つまり関東から関西まで行って、さらに大阪と岡山の間を往復するということに。

せいりゅう引渡式の前日まで引いていた風邪もすっかり治り、
体調も万全だったわたしにとってもなかなかチャレンジング、
かつハードなスケジュールでもありました。

昨夜深夜に地元に帰ってきたときには在来線のホームで
震え上がったものですが、その後関東では冷え込んで、
今現在雪が蕾も膨らんだ桜の枝に白い雪の花を咲かせつつあります。

こんな天気で「ちよだ」引渡式が行われることにならなかったのは
全くもって良かったという他ありません。

画像処理の関係で無駄に大きくなってすみません。
というわけで、前日大阪の上本町で練習艦隊の壮行会に出席し、
その日のうちに岡山入りし、朝、岡山駅前から玉野まで
バス一本で行くことになりました。

いつ見ても猿の姿勢にウケる桃太郎像の横のバス停から出発です。

すごく変な意味で「琴線に触れるシェイプ」の駅前噴水も健在です。

バス停なので両備バスのキャラクター、故たま駅長デザインの
「たまバス」を見放題。

たまバスはご存知のように正面から見るとバスに猫耳が生えてるんですが、
この日わたしは大変なことに気づいたのでした。

このたまバス、猫耳の色はたま駅長と同じ左黒、右茶です。

ところが両耳黒い「たまバス」発見!
茶色い耳が品切れしてたのかな・・・。

岡山には「とらのあな」も存在するようです。

以上それがどうした情報でした。

バスは途中から瀬戸内海沿いを走ります。
直島に行ったときのフェリー乗り場近くの宇野駅前に、
謎のマスト状オブジェがありました。

アートの島、直島が近いせいか、駅前は彫刻などがたくさんあって、
これもその作品の一つ、これは日時計の針ということです。

バスは岡山駅から1時間弱で玉野の三井造船前に到着しました。

わたしたちの控え室も用意されていたはずですが、到着すると
顔なじみのウェーブさんが近寄ってきて、

「お電話させていただいていたのですが・・・」

なんでも現地入りする時間が早くなったので、控え室には行かず
直接バスに乗って岸壁まで向かってくださいとのことでした。

海上自衛隊を敬語で呼ぶと「海上自衛隊殿」になるのか・・。

ということに気づかされる歓迎の看板は、いつもここに掲げてある模様。
「ぶんご」は知っていましたが、LCACもここで作ってたんですね。

わたしたちの後何人かが乗り込んできて岸壁まで出発です。

現場に到着すると、ほとんどの招待客はもう席に着いて待っていました。
ここに来るのは「ふゆづき」の引渡式以来ですが、本日の天気は
あの時ほどではないにしろ、同じような雨模様の曇天。

この「ちよだ」進水式もその日の朝まで曇っていたし、
わたしがここに来ると雨が降るというジンクスは健在でした。

せめて「ふゆづき」の時のような土砂降りにならないことを祈るばかりです。

来客の中ではわたしたちが最後の入場となりましたが、その後、
防衛省、自衛官が入来し、最後に村川海幕長が来場しました。

本日は政治家ではなく、海幕長が主体の式となるようです。

呉音楽隊が「栄誉礼」を奏楽します。
お天気が怪しい野外での演奏時、金管は大丈夫ですが
クラリネットなど木管は濡れないようにカバーを掛けています。

儀仗隊の隊長が海幕長に凛々しい声で
巡閲の用意が整ったことを報告したのち・・・、

「巡閲の譜」の流れる中、儀仗隊長が先導して、
儀仗隊の隊列を「閲兵」して歩きます。

手前に立っているのは防衛装備庁長官である佐藤直人海将です。

続いて「ちよだ」のマストから、三井造船の社旗が降下されました。

さて、この状態で、今「ちよだ」は形式上「誰のものでもない状態」の「はず」です。

こののち、「ちよだ」乗員には自衛艦旗が授与され、それを初めて
艦尾に揚げて、この艦に命が吹き込まれる、という「設定」です。
(伏線)

しかしその設定がこの直後覆されることになろうとは。


始まりは不思議な空白でした。
皆が今か今かと待っているにも関わらず、司会は沈黙したままなのです。

沈黙が場を支配し、誰一人動かない中、呉地方隊の一人の一尉が
ラッタルを駆け上がり、舷側を全力疾走して艦内に突入していくのを
皆呆然と見つめていました。

後ろで何が起こっているか全く見えていない音楽隊の表情にも、
何事かを察したような普通ではないものが見て取れます。

この頃になると、観客席ではヒソヒソと

「何が起こったの?」

という会話が交わされ始め、わたしは自慢ではありませんが、
不思議な沈の直後から何かの事情で授与する自衛艦旗が調達されなかったらしい、
と推察していたので、

「多分中に自衛艦旗を取りに行ったんじゃないかな」

と隣のTOに向かって囁きました。

さらにはかつて「あきづき」の先任海曹室を見学した時、
「自衛艦旗」と書かれた箱を勝手に開けて(笑)中を見たことを思い出し、

「先任海曹室に多分予備があるはずだから」

とこの時そこまで大胆にも言い切っていたわけですが、
式典に出席していた自衛官と、この後の大阪でその話になって初めて、
その推察がほぼ正解であったらしいことを知りました。

そして、艦内から取ってきた自衛艦旗を式台に届けるために舷梯を全力疾走。

後から自衛官に聞いたら、この間、「あー」とか「あらあら」などと、
どちらかというとのんびり?見ていた一般人とは違い、皆背筋を寒くしていたとか・・。

地方総監副官が、盆に載せた自衛艦旗を式台まで運びます。

「ちよだ」艦長が三角に折りたたんだ自衛艦旗を海幕長より受け取りました。

自衛艦旗を左手に受け取ったまま、右手で敬礼。

ちなみに、今この画面で左端に見えているマイクの前の一佐は、
確か「ふゆづき」引渡式の時に、副長として自衛艦旗を受け取る立場でした。

慣例に従い、自衛艦旗は艦長から副長に渡されます。
副長はこの艦に「命を吹き込むべく」自衛艦旗を掲げて一番先に乗艦し、
後部マストにこれを掲揚させるのです。

この時に演奏されるのが儀礼曲「海のさきもり」ですが、今日は
これを歌っている女性歌手がよく見えました。
前回と同じ声、呉音楽隊の女性隊員(専門の歌手ではなく楽器担当)のようです。

「せいりゅう」の引渡式での「海のさきもり」を歌ったのと同じ方でしょう。
荘重でこの儀礼曲にふさわしい声の歌手だと思いました。

自衛艦旗が副長の手に掲げられて舷梯を進んでいきます。

もし先任伍長室にあったものだとしたら、このために
三角形に畳んでから持って出てきたのだと思われますが、
これを見る限りきちんとしていて、そんな様子には見えません。

大げさですが、いざという時、危機の時にそれをいかに対処するかを、
今回の海上自衛隊は「試された」と言ってもいいかもしれません。

行進曲「軍艦」が奏楽される中、「ちよだ」乗員が乗艦を行います。

舷側を歩いていって、このラッタルを登り後甲板へと・・・。

ところで、この階段を登る時、階段はリズムに合わせたのか、
右手だけでも手すりを掴んだのか、ちょっと気になります。

潜水艦救難艦という艦の性質上なのか、女性自衛官が少ないような気がしました。

色々とやり終えて、万感の思いこもる表情(多分)

全員が乗艦し、後甲板に整列が終わると同時に「軍艦」は終了。

今日の「軍艦」は、整列終了してから曲の終わりまでに8小節くらいかかりましたが、
ちょうど曲の終わりで演奏が(途中で切られず)気持ちよく終わり、
音楽隊長の判断にわたしは密かに拍手を送りました。

個人的な感想ですが、特に軍艦は最後まで行ってくれないと残念な気持ちになります。

 

軍艦終了後、サイドパイプ、号笛の音に乗って艦長乗艦が行われます。

海上自衛官にとって一つの艦を任されることは、わたしたちが思っている以上に
名誉であり男として(これからは女性も多々ありですが)
本懐というものであることを今回、元艦長という方から伺いました。

その話はまたいずれ。

続いて海幕長、海将が訓示と視察のために乗艦を行います。

色々ありましたが、いよいよ自衛艦旗掲揚。
こんな時に限って旗が竿に絡んでしまい、掲揚しているこちら側の人が、
旗をなびかせようと苦心しているらしい様子がわかりました。

この間、君が代が奏楽されるので、自衛官は敬礼、一般人は起立を求められます。

今日は政治家がいないので、艦内視察は海幕長が行います。
その間、音楽隊は会場の人々のために音楽演奏を行いました。

一曲目は先日の呉音楽隊定演で初演された委嘱作品「てつのくじら」。

その名の通り潜水艦を表す楽曲なので、本日の潜水艦救難艦の
引渡式にもふさわしいとして選ばれたのでしょう。

二曲目はいつも通り「国民の象徴」。
三曲めの前に今までの経験から

「宇宙戦艦ヤマトだと思う」

と予想したところ、正解でした。

視察を終えて舷梯を降りる際、自衛官は自衛艦旗に向かって敬礼を行います。

後ろから来ているブルーのネクタイの方は、三井造船社長です。

この後話した知り合いの地本勤務陸上自衛官が、
舷梯での自衛艦旗への敬礼について、

「全員がするとは限らないのが不思議なんですよね。
見ていると副官はしないみたいですし・・よくわからない」

とおっしゃっていました。
陸の人から見ると、やはり海の慣習はわかりにくい部分があるようです。

海将、海将補から少し遅れて、村川海幕長退艦。

もう一度儀仗隊長が海幕長に報告と捧げ銃を送ります。


というところで、引渡式は終了しました。

式典に際して自衛艦旗が用意されていなかったということは、
慣例に厳格に法って儀式を執り行う伝統の海上自衛隊にとって痛恨のミスに違いなく、
もしかしたら中では今大変なことになっているのかもしれません。


ただ、新たに与えられるべき自衛艦旗が、(諸事情により)艦内から調達された
自衛隊史上おそらく初めての船として「ちよだ」の名前は歴史に残ることは確かです。

海幕長が訓示でも述べたように、艦の気質は最初の乗員によって作られます。
(これって、引渡式の定型句だったのね)

乗員の皆さんは、このアクシデントを決して縁起が悪いなどとネガティブに捉えず、
むしろそれを跳ね返し、

「命を与えられる(自衛艦旗を与えられる)前に自らの力で
(艦内の予備の旗を探して来て)自らに命を吹き込んだ船」

である誇りを持ってこれからの「ちよだ」を作り上げていかれることを望みます。

そしてこの件には、全てが救われ、むしろこの引渡式を印象深いものにし、
これこそが海上自衛隊の本領発揮と言ってもいいような「オチ」が存在するのですが、
それについては次回お話しさせていただこうと思います。


 

続く。


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