さて、潜水艦救難艦「ちよだ」に自衛艦旗が兎にも角にも授与され、
引渡式は終了しました。
式典会場からバスで工場の入り口付近に戻り、祝宴会場に移動です。
今回の列席者は多くて従来の迎賓館?には入りきらなかったのか、
会場は二つに分けられ、制服や防衛省関係以外の一般人は
ほとんどがこちらの会場に案内されました。
三井造船と自衛隊旗のクロスしたテーブルの飾りもないし、
あくまでも向こうとの比較ですが、雰囲気的にはちょっと残念な感じです。
テーブルの端には完工記念のパンフレットが誰でも取れるように重ねてありました。
排水量 基準5,600t / 満載7,100t
全長 128.0 m
最大幅 20.0 m
深さ 9.0m
吃水 5.1m
機関 ディーゼルエンジン×2基
推進 可変ピッチ・プロペラ×2軸
速力 20ノット
とスペックが書かれています。
今回は軽いというだけの理由で単焦点レンズを持って行ったので、
せめてお料理を美味しそうに撮ることを心がけましたが、向こうの会場と違い、
蛍光灯の照明の下では、さすがにこれが限度。
海自が絡む祝賀会、特に造船会社主催の宴席には必ず尾頭付きが乗ります。
鯛がカメラ目線で写っているわけですが、こういうの外国人は苦手なんですよね。
そういえば練習艦隊旗艦「かしま」が世界各地で艦上パーティを行う際に
このような「尾頭付き刺身」を出すのかどうか、ちょっと興味があります。
海幕長も三井造船の幹部も向こう側にいるので、こちらの会場では
乾杯の音頭が向こう会場の様子を放映するモニターから流れるのですが、
そのせいなのか、会場に入るなり飲み物もなしで料理を食べ始める人続出。
ご飯は「いただきます」してから食べると躾けられなかったのか?
わたしなどこういう光景を見るとお行儀が悪い!と思ってしまうんですが、
世間一般の常識的にはこれってどうなんでしょう。
最近パーティに行くと必ずこの手の人を見るので、自分の基準に自信がなくなってきました。
会場ではトレイに乗せたカレーを配って歩いていたので、一ついただきました。
「三井造船ビーフカレー」はまろやかでコクがあり、
その割には具が存在を主張していて、好みの味でした。
潜水艦救難艦「ちよだ」は平成26年度ここ玉野で進水式を行っています。
その式典に立ち会い、「ちよだ」誕生の瞬間を目撃してここでお話ししたのはもう1年半も前のことです。
進水式の時会場では写真が禁止されていて、進水の瞬間を撮ることはできませんでしたが、
今では三井造船の手によってこのような映像記録にまとめられたものを見ることができます。
会場には2箇所に大きなモニターがあって、このビデオ映像がエンドレスで流れていました。
乾杯の発声などの時にはビデオは中断され、本会場のカメラと切り替えられます。
進水式を控える「ちよだ」の雄姿。
艦番号404の上部に架けられた紅白の幕で艦名を隠しています。
命名式の時に執行者が「本艦をちよだと命名する」と言った瞬間、
幕が取り外されて、艦に名前が与えられるというわけです。
続いて三宅由佳莉三等海曹が国歌を斉唱。
進水式参加をここでご報告した時にも進水の仕組みについて説明しましたが、
実際のこの映像があればもっと分かりやすかったですね。
進行を見ている人に行程ををお知らせする昔ながらの看板は、その行程が終わったら、
パネルを斜めに倒すと、正面から見えなくなるという実に賢い仕組みです。
今は2番の「行止支柱」、船の行き脚を止めている支柱を外しています。
上の看板には一般人にもわかるように「安全ピン」と書いてありますが、
支鋼切断すれば、艦体が転がっていくように、全ての安全装置を取り外す工程です。
作業員の左手の先に積まれているのがその安全ピンです。
これらの作業を行う時、作業員は全力疾走です。
防衛政務官による支鋼切断の瞬間。
造花に囲まれた専用の台に設置してある支鋼を文字通り切断します。
それを一本切断するだけで、ピタゴラスイッチのように、まずシャンパンの瓶が
艦首で割られ、くす玉が開き、巨大な艦体がスルスルとレールを滑り落ちていきます。
艦体の向こう側にたくさんの見学者がいますが、玉野市が見学を呼びかけて
一般市民に来てもらおうという企画に応募した人たちです。
関係者として列席するよりこちらの方が遠慮なく撮ることができたのですが・・。
レールの上を転がり、走っていく艦体。
作業員の前を轟音をあげながら通過していく艦体の艦腹に見えているのが、
「ちよだ」に四基備え付けられているという、サイドスラスターだと思われます。
潜水艦救難艦という性質上、自力で横にも移動できるようになっているんですね。
さて、そんな進水式の場面を眺めながら歓談していると、本会場における
乾杯の音頭や来賓等の挨拶のたびに画面が切り替わります。
金屏風の前には海幕長始め海将、海将補が並び、その向かいに三井造船側の幹部がいます。
ここでは自衛隊は三井造船の「お客様」なのですね。
そして三井造船の社長の挨拶に先立ち、村川豊海幕長の挨拶が行われました。
ところで、午前中の式典における「自衛艦旗未調達事件」は、おそらく
この場にいた関係者に重い影を落としていたと思われます。
今回は単純に、現場の手違いというようなミスですが、しかしながら
その対象となったものは、自衛隊にとってその魂というべき自衛隊旗。
伝統墨守を旨とする海上自衛隊たるもの、その扱いに不手際があったとなれば、
一般人はともかく、自衛官たちの内心は華やかな現場とは裏腹に消沈していたかもしれません。
例えば前回の「せいりゅう」引渡式の祝賀会で、出席した防衛副大臣が冒頭、
その日森友学園関係の集中審議の初日であったことを受けて
「ただいま国会では色々と大変な審議が行われているわけですが、
ここではそういったことは忘れて歓談し料理を楽しみ、
せいりゅうのこれからを祝福しようではありませんか」
と挨拶をし、笑いと暖かい拍手を受けたものですが、国会議員が心配する
政局なんぞと一緒にしてはいけないとはいえ、今回のように、そこにいる者が
心に留めている「一点の曇り」について、それをなかったことにするか、
副大臣のように少々自虐的でも、口に出してあえて笑いとばすか・・・。
こういう場でスピーチをする人間は、重大な選択を迫られることがあります。
海幕長はこの場における自衛隊の長として、そのどちらでもない、
言うなれば「ネイビー・ウェイ」ともいうべき第三の選択をされたのでした。
まず、式進行上ミスが起こってしまったことについて真摯に謝罪し、その上で
「ああいうことになって、自衛艦旗がいかに大切なものであるか、
我々はそのありがたさを痛感いたしました」
と述べたのです。
この一言で、本会場はもちろん、モニター越しにスピーチを聞いていた
(静まり返って誰も私語を交わす人はいなかった)別会場においても、
ほとんど”どっ”という感じで笑いが起き、気のせいか場はそのせいで明るくなりました。
もちろんわたしのいた会場には自衛隊の指揮官クラスの関係者はいなかったので
明るくなったといってもそれは本会場の比ではなかったでしょうけど。
海上自衛隊で例年行われる練習艦隊出航の際の訓示においては、海幕長は
シーマンシップを身につけるための訓練を乗り切る航海において
「帝国海軍伝統のユーモアを大事にして欲しい」
と必ず付け加えて述べるのが慣例になっています。
ユーモアは船という運命共同体を住処とするネイビーにとって、強力な
潤滑剤であり、時として救急薬であり、また修復材ともなるクレドの一つなのです。
その意味では、伝説となった、
「女王陛下のキス」
事件で、練習艦隊旗艦「かしま」に流されて接触してしまい、謝罪に訪れた
英国艦「クィーン・エリザベス」責任者に対し、当時の練習艦隊司令官が
「女王陛下にキスされて光栄に思っております」
という言葉を贈って彼らを感激せしめたのは、ユーモアを旨とするネイビーの
真骨頂とも言えるものであったと云えましょう。
村川海幕長が、そのスピーチで、
「自衛艦旗がいかに大事なものか」
といった時、多くの者の脳裏にはまず、自衛艦旗が一刻も早く届けられますように!
と祈るような全員一丸の気持ちにあった岸壁でのひとときが過ぎったに違いありません。
そして、次の瞬間、自衛艦旗の「精神的重要性」と「物理的重要性」を
さらりとかけたこの一言によって湧き上がった笑いが、まるで全てを昇華させるが如くに
その場の空気を変えたのを、わたしは奇跡のように感じていました。
責任者として謝罪しながら誰も傷つけず、失敗した部下を気遣い思いやる気持ちが
遺憾無く発揮された、わずか一行分の、しかし大きな意味を持つユーモア。
個人的な意見ですが、わたしはこの一件をもって
村川海将を名海幕長と呼ぶことに吝かではありません。
そのまま和やかな雰囲気で祝賀会はおひらきになり、一同はもう一度岸壁に戻りました。
母港の横須賀への出航を見送るため、日の丸と旭日の紙でできた小旗を
手に手に持った列席者を乗せたバスが出航準備の整った「ちよだ」の待つ
三井造船の岸壁へと向かいます。
続く。