晴海から横須賀までの体験航海もそろそろ終わりに近づいてきました。
簡単な艦内ツァーを行なった後、わたしたちはブリッジに上がり、
そこで入港の様子を見学することになりました。
最初、わたしは右舷側ブリッジのウィングに落ち着くことにしました。
そこに今回のツァーのアレンジをしてくださった幹部校の方がおられたので、
ご挨拶などをしておりますと・・・・・、
曳船YT10が「まきなみ」を右舷を軽やかに抜き去っていきました。
追浜が航路右手に現れるところにある防波堤には、ご覧の通り
赤い可愛らしい灯台が設置されています。
YT10の今日のお仕事は、「まきなみ」と「かしま」の間の防眩物を回収し、
それを晴海から横須賀に持って帰ることです。
上から見ていると、前甲板に運要員が出てきました。
舫などを出すハッチが開けられます。
ちなみに、右舷を歩いていく海曹さんを見てください。
朝と同じ位置に立ち、朝に持っていた同じ棒を手にしています。
舫作業は個人個人が作業を専門分担し、それが変わることはないようです。
舳先の赤メガホンの士官が甲板での作業を率いる指揮官ですが、
朝と同じくサングラス着用です。
そういえばどんな晴天下においても、海曹海士が制服姿でサングラスをかけているのを
見たことがない気がするのですが、禁止されているのでしょうか。
ハッチから太い舫が引き出されました。
「かしま」は米海軍基地の手前にあるブロックの向こう側を航行中。
このブロックですが、赤字で「航泊禁止」と書かれています。
向こう岸は米軍基地なので、海からの不審船の侵入を防ぐためのものでしょう。
米軍基地の白いビルに青文字で「 NEX Navy Exchange」とありますが、
ネックスは、アメリカでネイションワイドに展開する海軍直営の小売店です。
ファッション、雑貨、電化製品、家具、とにかくなんでも扱っているようです。
「かしま」の入港を補助するために、タグボートが2隻、
湾口でこんな風にちゃんと並んで待っています。
あー・・・・・いじらしくって、萌える(笑)
女性海曹の持っている物体、朝も見ましたが何にするのだろうと謎でした。
軽い不織布で作られているように見えますが・・・・。
その時、右舷側のウィングを立ち入り禁止にする旨告げられたので、
私たちは左舷側ウィングに移動しました。
「かしま」とタグボート2隻が合流し、連れ立って逸見岸壁に向かう、
こんな後ろ姿を見ることができるのも「まきなみ」乗艦者の特典かもしれません。
左舷側にいると、米海軍基地の艦艇を見ながら通り過ぎることになります。
艦番号89は横須賀ウォッチャーにはもうお馴染み、「マスティン」。
横須賀に来て、もう足掛け12年になります。
YOKOSUKA軍港めぐりの船とすれ違いました。
年々人気が出て乗客が増加傾向にあるそうで、この日も満員御礼の状態です。
もう今年でオープンして10年になるそうですが、最初の頃は、
出航するたび米海軍から監視船がずっと跡を付いて来ていたそうです。
左から
85「マッキャンベル」
65「ベンフォールド」
54「カーティス・ウィルバー」
の「アーレイ・バーク」型ミサイル駆逐艦三人娘。
「マッキャンベル」と「カーティス・ウィルバー」は、東日本大震災の時
トモダチ作戦に従事して災害救助活動を行なってくれました。
みなさんその節はありがとうございます。
ところで最近、震災当時横須賀地方総監であった高嶋博視氏著、
を読みました。
あの未曾有の国難に当たって、海上自衛隊が災害と斯く戦ったかを、
災害地担当地方隊である横須賀地方総監部の指揮官が語るというもので、
ニュースやメディア媒体とは違う角度から見た震災の記録です。
同じように「トモダチ作戦」について、第7艦隊の中の指揮官によって書かれた
あの時の記録があれば、ぜひ読んでみたい、と思った次第です。
「かしま」後甲板には、すでに登舷礼の黒と白の列ができています。
信号旗は先ほどとは違うものが揚がっています。
「かしま」のコールサインは「JSUK」だそうですが、
わたしの乏しい知識でもこれが違うことくらいはわかります。
「横須賀港のどこそこに繋留する」
ということを意味するバース信号ってやつではないでしょうか。
ブリッジから実習幹部らしき三尉が出て来ました。外を見ながらなにやらノートに書き込んでます。 斜めに線がいっぱい書き込んである・・。 こんな風に。 うーん、当艦の艦位を示してるんだろうけど、
具体的にどこがが何をしめしているのか想像もつかないぞ。 「マッキャンベル」さん、ちょうど正面から。
こうしてみるとマストの形とか、自衛艦とは全く違いますね。 左、記録を続ける三尉の右腕。
ほとんどの実習幹部は「かしま」に乗り組んでいますが、
「まきなみ」にも何人かが乗艦し船務を行なっています。 「ベンフォールド」さんの艦橋をアップにしてみました。 赤白のストライプの真ん中に蛇がいて、 「わたしを踏みつけるな」(Don't tread on me) といっている軍艦旗「ファースト・ネイビー・ジャック」が揚がってます。
「ベンフィールド」、イージスシステムのレーダー補修中みたいですね。 おっと、「ベンフォールド」の舷側に腰掛ける海軍軍人の姿発見。 見ているともう一人やって来ました。 「どうしたんだよカルロス・・・元気ないな」 「ああ、ジムか・・。
彼女のマリアからメールが来たんだけどさ・・・終わりにしたいって」 「リアリー?まじかよ!」 「俺が日本に行ってる間に俺のダチと付き合いだしたんだって」 「オーマイガー、そりゃひどいな」 「ガッデム、ホセのやつ、サンディエゴに帰ったらただじゃおかねー」 みたいな?
まあ違うと思うけど、決して楽しそうな雰囲気ではないのよね。 ほらね? ていうか、甲板でタバコ吸ってますが、いいんですかね。 と、そんな妄想をしている間にも、「かしま」の入港作業は始まっています。
「押し船」に右舷側を押してもらって、左舷側で着岸。 左舷側にはメルキュールホテルと、自衛隊の潜水艦基地が見えて来ました。
艦番号63は、これも「アーレイ・バーク」型の「ステザム」。 初めて護衛艦に乗り、初めて横須賀基地で米軍艦を見た人たちは、必ず 「アメリカの船って、全然サビとか補修しないんだね」(その心は”汚い”) などと口にします。
この時の艦橋ウィングで、あちらこちらでこの会話が聞かれました。 特に「ステザム」さんの艦体はひどい。
これだけサビが筋になっているのに、なんとかしようという気ゼロ。
赤いのは錆止めだと思うんですが、工事中にも見えないし、
レーダーが真っ黒け、HEEEの文字もすげーテキトーに描いた感アリアリです。
ところで、本件とは全く関係ないですが、「ステザム」って、
ハイジャック事件(トランスワールド航空テロ事件)で飛行機に乗っていて
犯人に射殺され、たった一人の犠牲者となった水兵の名前なんだそうです。
駆逐艦に名前を残すのは、昔から基本的に名誉の戦死者ということになっていますが、
不慮の事故で亡くなった場合というのもあるもんなんですね。 さて、それではその前方に目を移して、遠目にも手入れの行き届いた
我らが海上自衛隊の潜水艦でお口(目)直し?をしましょう。 どちらも「しお」型ですが、右側が明らかに新しいのがわかります。 左側のセイルの上アップ。
二人の姿があります。
士官は作業服でなく冬服を着ているのに注意。
双眼鏡のストラップは青なので、艦長ではないと思われます。
あっ、右側の潜水艦の人はこっちを見てる!
どちらにも「UW2」、「ようこそ」の信号旗が揚がっています。
こちらも、冬服の士官と作業服の取り合わせです。
「まきなみ」が潜水艦を横から見る位置までやって来ました。
この写真を拡大してみます。 実は肉眼では、人がいることすら見えない距離だったので、
写真を拡大してみて初めてそうだったのか、と思ったのですが、 2隻の潜水艦のセイル上の、士官と青い作業服の組み合わせ、 そして甲板上の二人、全員が正対してこちらを見守っていたのです。 「ようこそ」の信号旗を、練習艦隊を迎えるために揚げて。 海軍の伝統に則った「海の儀礼」は、現代の海上自衛隊においても、
如是粛々と継承されていることを、改めて確認した次第です。
続く。