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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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呉の街を歩く〜ピンクの船に華麗に掌返し

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呉艦船巡りのレポートを読んだ方からメールを頂きました。
このクルーズを運行しているのは(有)バンカーサプライという海運会社で、
夏の呉における水害の際には、遊覧船や定期船を稼働して
被災者を江田島や離島に輸送するなど尽力されたということです。

さて、その艦船巡りを終えてホテルの部屋に一旦帰り、
しばらくPCに向かっていたのですが、ふと今日の晩は何を食べよう?
と考えた時、ここまで来たのだからクレイトンベイホテル まで
歩いていって「愚直たれ」関連メニューを頂くことにしました。

早速ホテルを出て、スマホの道案内に従って川沿いに出ます。

実はわたし、今回アメリカ滞在時に毎日歩き回ったせいで、
(アメリカはモールといっても広大なので、車で移動しても
買い物などしているとあっという間にかなりの距離を歩くことになる)
今や一日1万歩歩かないと気が済まない体になってしまったのです。
地方出張の際も運動靴を持っていく有様。

(ただし季節限定で暑くなるとやる気がなくなる模様)

今回の呉訪問でも、ほとんど初めて自分の足で街を歩いてみよう、
写真を撮りながら・・・と楽しみにしていたのです。

今までタクシーでしか行ったことがなかったので、
ものすごく遠いようなイメージがあったクレイトンベイホテルですが、
調べてみたら今いるホテルから徒歩17分というではないですか。

今のわたしにとっては17分なんて近すぎて物足りないレベル。
目標の1万歩にはとても届かないけど、歩かないよりマシです。

早速靴を変え、肩にカメラを下げてホテルを出ました。

境川の古い(おそらく海軍が作った?)パイプの鉄橋の上に、
サギさんと鵜さんが仲良く止まっていたので一枚。

川沿いを歩きながら、呉教育隊をさりげなく観察していると、
これは間違いなく海軍時代のものだと思われるレンガの建物発見。

屋根だけ葺き替えて今も倉庫か何かに使っているようですね。

鉄扉で覆われた小さな窓が一面ずつしかないところをみると、
弾薬とかそういうものの倉庫だったのではないかという気もします。

それにしても窓の右上の白丸は何でしょうか。

Googleマップがこちらに行けというのでその通り歩いて行くと、
三菱日立パワーシステムズ(株)呉工場の横に出ました。

MHPSは、GE、シーメンスと並びトップ3というくらい
火力発電分野ではシェアを占めている大会社です。

三菱と日立どっちやねん!というこの名前なんですが、実は
東日本大震災後、両社の顧客である電力会社の経営が苦しくなったため、
GEやシーメンスとも渡り合えるように統合した結果なんだとか。

工場内はまだあかあかと灯が点っています。

海側に向かって歩いていくと、いきなり現れるてつのくじらのノーズ。
よくみると艦体に不思議な形の切れ込みがたくさんありますね。
特に砲弾のような形、これは何の機能があったのでしょうか。

ついでに貼っておくと、これが「てつのくじら」あきしおを、
現在の居場所に設置した時の写真。

実は「てつのくじら」のすぐ隣のブロックに(株)日立物流、
その一軒おいて隣にエンジニアリング・ヒロという会社がありまして、
どうやらこの作業を行ったのは超近場のこの2社だったみたいなんですよね。

左上で「あきしお」を釣り上げている起重機船の名前は
このパネルによるとなんと「武蔵」だそうです。

前にも書きましたが、「あきしお」の設置に際しては、
深夜、歩道を取っ払い(段差があるとダメなので)、
信号を止めて一晩で運搬と据付を済ませてしまったそうです。

このパネルは日立物流の正門に埋め込んでありました。

二河川の河口湾に突き出る突堤に、海上自衛隊第101掃海隊があります。
呉の掃海隊基地がどこにあるのか、この散歩で初めて知りました。

基地といっても突堤に面した二階建てのこぢんまりした隊舎ですが。

第101掃海隊には艦番号730の「くめじま」、そして
この731の「ゆげしま」がいます。

この日「くめじま」は外出中だったようですね。

フリッツ・ラングの「メトロポリス」に白黒で出てきそうな光景。
三菱日立パワーシステムズの一角にあるので、工場のパイプ的なものが
全部集めてある塔だと思いますが違ってたらすみません。

二河川を渡る「かもめ橋」に差し掛かりました。
この川にはなぜか二車線の橋と歩道専用橋が二つかかっていて、
その間にブルーと年代を感じさせる茶色のパイプ橋、
これらが二本渡されているのです。

(つまり橋が各種4本架かっている状態)

最初のサギと鵜の止まっていたこの橋もそうでしたが、
呉の川にかかるこの「パイプ橋」、「水管橋」であれば水、
あるいは電力線かガス管を渡すためのものだそうです。

昔は左の歩道橋と古い水管橋が架かっていたのが、
交通量の増大で戦後もう一つ車用の橋を敷設し、さらに
水管橋も新しく作ったというのが予想される歴史的経緯です。

二河川(にこうがわ)を渡ります。

灰ヶ峰を水源とする川ですが、その姿が変わったのは1886(明治19)年、
この地に海軍区が制定され呉鎮守府が置かれることになり、
安芸郡呉港を軍港として整備することが決まったからでした。

つまり呉鎮守府一帯に安定して上水を送り込む軍用水道の水源として
大日本帝国海軍により二河川の開発が始まり、まず明治時代に
二河峡内に取水口「二河水源地」が造られ、大正時代には貯水地
「本庄水源地」が建設された、というのが歴史に残っています。

さらにいうと、河口部の現在の呉市築地町、つまりこれから行く
クレイトンベイホテルのある一帯は、1927年(昭和2年)に
帝国海軍によって埋め立て工事とそれに伴う大規模な河川改修の末、
出現した地区だったということもわかりました。

というわけなので、先ほどのこの水道橋は、当然のことながら帝国海軍が
上水を引くために昭和2年敷設したもの、ということになります。

呉という街は海軍が作ったということをあらためて実感させられますね。

さて、時は下り平成の世になって、帝国海軍呉鎮守府長官庁舎の主は、
海上自衛隊呉地方総監と名前を変えたわけですが、その総監は
海軍の作った呉という街においてこんなプレゼンスを展開しておられました。

いやー、歴代呉鎮守府長官も、次の世紀で海軍中将がこんなことをやれるほど
世の中がある意味平和になっているなんて想像もしてなかっただろうな。

 

前回このクレイトンベイホテルで、わたしは「愚直たれうどん」を食し、
それはお世辞下心忖度抜きでまことに美味しいものだったわけですが、
その呉濤(ごとう、って読むのかな)にも感謝状が飾ってありました。

しかしそれにしても・・・

「想像を絶する愚直さ」「無理難題」「水を得た魚のように」

この賞状の文章考えた人、誰?

 

実はこの晩、当ホテルのカフェで提供されている「がんすバーガー」を
一足先に試食してみようとここまでやってきたのですが、
そのカフェが会社団体の貸切になっていたため、呉濤で
まだ愚直たれうどんを提供していないか尋ねてみたのです。

「申し訳ありません。
あのメニューは期間限定でしてもう終了してしまいました」

というマネージャーのお言葉に、わたしはここで普通の
レディース御膳を頂いて帰ったのでございました。

帰りにかもめ橋の西詰で見かけて感動したこのトマソン的建築。
建物の中に階段がないので、外付けの階段で二階に上がるという・・。

廃屋なのか?それとも使われているのか?
よく芸予地震で倒れなかったなあと思われるこのデンジャラスな造形。

こういうのを見ると廃墟(じゃないかもしれないけど)好きの血が
わーっと騒いできます。

さらに角度を変えると、なんと看板が。
看貫(かんかん)という言葉は変換もできないわけですが、
サマセット・モームの「アンティーブの三人の太った女」という小説では
体重を量る、という言葉をこう翻訳していたのが記憶にあるのみです。

ここは何かを計量する場所であることはわかった。
それが「川原石」なのか?
「川原石」というのはこの計量所の持ち主の名前なのか?
そもそも計量してそれを買うのか?売るのか?

インターネットで検索してみたのですが、それらしい記述はみられず。

かろうじてマピオンで出てきた情報は電話番号と(電話はあるんだ)
ジャンル:精密機械器具 というもの。

精密機械・・・・・がこの建物の中にぎっしりとあったらすごいなあ。

ものすごく気になるのですが、どなたかこの企業?について
情報をお持ちの方はおられますでしょうか。

さて、空けて翌日。
わたしは自衛隊記念日の式典が始まるまでの自由時間を利用して、
呉の街を散歩することにしました。

今まで車で主に移動していた街ですが、歩いて見る景色は
またずいぶん違ったものになると思われます。

昨夜のトマソン的建物や水管橋みたいな発見もあるわけだしね。

ホテルを出て境川のほとりをまず歩き出しますと、
やっぱり目に飛び込んでくるのはあの蛍光ピンク・・・。

20bさんに頂いた情報によると、これがあと少なくとも
半年は続くということですが、御察しの通りで、
わたしはこの散歩によって、クルーズでは遠くに見えていた
さらにもう一隻のONEのピンクコンテナ船を確認したのですが、
それは次回にお話しします。

それより、20bさんの情報で注目したのが、このONE という会社が、

Ocean Network Express

2017年設立の日本の海運会社

川崎汽船31%、商船三井31%、日本郵船38%

という統合会社であるということです。

昨夜横を通り過ぎたMHPSもそうであったように、
外国の同種大企業と対等に渡り合うことを目的の一つとして
このような統合が行われたと考えていいのでしょうか。

そういう経緯を考えると、この蛍光ピンクには、日本の造船業界の

「まだまだ負けるわけにいけんのじゃあ!」(なぜ広島弁)

というZ旗的意味合いが込められているような気がして、
途端に手のひらぐるんぐるんに返してみるわたしでした。

Z旗的、というのは背水の陣の覚悟、つまり吹っ切れたという意味です。
そう思えば、このピンクも「ホルモン系」ではなく、日の丸の紅白を
混ぜ合わせ(てちょっと蛍光をまぶし)た国粋色に見えてきませんか?

・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・見えませんかそうですか。

と、とにかく日本の造船業、がんばれ!

 

呉散歩編、続く。

 

 


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