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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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総員起こしと赤煉瓦の生徒館〜江田島 海上自衛隊幹部候補生学校見学

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夜が明けました。

この朝、初めて江田島の一隅で朝を迎えることになったわたしは、
何よりもこの朝の訪れを楽しみにしていました。

それはなぜか。

そう、あの「総員起こし」を、実際にこの目で見ることはできませんが、
とりあえず同じ江田島でその気配を感じ取ることができたからです。

iPadの目覚ましが発動する前にわたしは目を覚まし、外に立って、
全神経を耳に集中していると、ブツッというマイクが入る音がして、

「総員起こし5分前」

海軍の不思議なところで、総員起こしが0630だとすれば、
その5分前にアナウンスがかかるのです。

じゃその時間が総員起こしなんでは?というのが一般人の感覚で、
海軍の昔から、その5分前までに皆起きて、トイレ、歯磨き、洗顔など
することは皆済ませているのです。

そしてここからが不思議なのですが、5分前のアナウンスがかかる前には
もう一回ベッドに潜り込み、息を殺して5分間待つのです。

なんでもこの間にごそごそしていたら、怖い赤鬼青鬼に、それこそ
目玉が飛び出るほど怒られるそうで、その理由は、

「戦闘開始に備えてラッパで起き、素早く臨戦態勢に入る」

ということを身に染み込ませるための訓練が総員起こしだからです。
0630(夏は30分早いらしい)になると、

♪ドドソドミミドミソソミドソソソー
ドドソドミミドミソソドミソソソー♪

が終わり、

「総員起こし」

のラストサウンドで総員ベッドから飛び起きます。

わたしが外に立っていると、風に乗って遥か向こうから聞こえてくるラッパに続き、
どよめくような物を動かす音(ただし一切声は聞こえない)が湧き上がり、
わたしはその音を聴きながら、

「今着替えをしてベッドを片付けているんだな」

と何かで見た覚えのあるシーンを思い描きました。
わたしが思い浮かべるシーンはなぜか白黒で、そこで着替えをしたり
毛布をたたんでいる姿は海軍兵学校の作業服を着ていたりするわけですが。

そしてそのざわめきは、明らかに集団が外に駆け出していく音に代わり、
続いて、彼らが腹の底から張り上げる声が、塊となって聴こえてきます。

これはわたしの記憶に間違いがなければ「号令調整」といって、
自衛隊指揮官として下す号令を声を張り上げて練習する時間です。

たまに特に声の大きい候補生が上げるのか、

「捧げーえつつっ!」

という号令がざわめきの中に確認できたりします。

その後、自衛隊体操をやっているらしい音が聴こえてきました。
わたしの記憶に間違いがなければ、この後彼らは

「甲板掃除」

という名の構内清掃を行い、その後朝食となるはずです。

この日の朝の抜けるような青空と、冷たい風の下で、わたしは、
目を閉じてそれらの音を聴きながら、終戦後の一時期を除いてほぼ毎日、
ここ江田島で全く同じ音の風景が繰り返されてきたことを思いました。

 

江田島に訪問したことのある人なら、

「兵学校の松は号令を聴き続けてきたのでまっすぐ伸びる」

という説を耳にしたことがあるでしょう。

「江田島の朝」を経験した者として言わせていただけば、
日の出と同時に張り詰めた空気を切り裂く彼らの緊張に満ちた気魄が、
ただでさえ人間の気の影響を受けやすい植物に伝わらないわけがないのです。

というわけで、この写真でもお分かりのように、兵学校の松は
松の木とは思えないほどにまっすぐ、そして高々と聳え立っています。

まっすぐにそびえ立つ松の木の中に、これもまっすぐではありますが、
一本だけ赤松が混じっています。
おそらく植木屋のミスで違う種類の松が混じってしまったんですね。

しかし粋な海軍らしく、

「女人禁制の兵学校に一本だけ女松(赤松)があってもいいぢゃないか」

とそれを残すことにしたのです。

さて、この写真は前回お話しした大講堂の見学を終え、外にでてきた時に撮りました。

大講堂の次は赤煉瓦の生徒間の見学です。
正面から写真を撮っていると、生徒間前で整列していた自衛官が後ずさりして、
(多分写真の邪魔にならないように)玄関前から退きました。

別に写っていてもいいのよー?

実は赤煉瓦前には椅子が用意されており、わたしたちを中心に、
校長ズ+幹部の皆さん総勢6名で写真を撮りました。

「海軍というところは何かと並んで写真を撮るところで」

という海軍出身者が書いた文章をふと思い出しました。

近寄っていくと、門にかかっている幹部候補生学校の看板が
白木の肌も清々しく真っさらになっているのに気がつきました。

「新しく変えられたんですね」

「雨風にさらされて傷みやすいので時々取り替えます」

看板の文字は元ここ関係者に依頼したと聞いた気がします。

 赤煉瓦生徒館の説明は、幹部候補生学校長直々にしていただきました。

「生徒館にはどこにもドアがありません。
全体を船に見立てているからで、さらには敷地の形状と関係なく、
きっちりと東西南北の線に沿って建っています」

「金剛の甲板」を使用しているのは、このホール一帯のみとなります。

「釘にビスを上からかけているのが丸く見えます」

ホール正面に二階に上る階段があり、それが踊り場で
二方向に別れるという形式は、当時の洋風建築、公邸などにみられ、
呉地方総監部の庁舎も同じ作りです。

床は昔のままですが、壁材などは先の改築でリニューアルされました。

ここに来ると必ずこれも説明される、はめ殺しのガラスのこと。
左二枚のガラスは建造当初から変わっていないという話です。

つまり、海軍兵学校で赤煉瓦に学んだ軍人たちは、全員が、
この同じガラスを通して江田島を見ていたということになります。

当時の製造技術では歪まないガラスを作るのが難しかったため、
このようにこのガラスを通して見る景色は歪んで見えます。
よく見るとところどころ(右側ガラスグローブの左上部)に
大きな気泡が見え、ところどころに傷が残っています。

g「今は逆にこのような歪みガラスを作る方が難しいそうです」

ホールを入って左手、前にはなかったコーナーに案内されました。

「昨年、呉の海上保安庁の卒業式に出席した安倍首相が、その時ここにも来られました」

現役の総理大臣が第一術科学校に訪れたのは昭和39年の池田勇人総理以来だそうです。

SPばかりが目立っっている、安倍首相が赤煉瓦生徒館を歩くの図。

首相はMCH101で江田島に降り立ち、この椅子に座って、この机の上で、
この右側のサインペンで写真にサインを行いました。

「普通のペンですが・・・」

と言いながら学校長がペンを渡すので、つい握ってしまいました。
本当に普通のサインペンでした。

「これが同期の桜だと言われています」

はいそうでしたね。
兵学校76期の同期会でここに来た時、これを探して疾走したものの、
今にして思えばこの手前までしかいくことができず、見られなかった同期の桜。

2年前の卒業式では無事に真正面から見届けることができました。

伝説の桜と言われている割には横にある電気調整室のようなものが
感興を殺ぐといいますか、なんか邪魔っけな感じです。

ホールから西側の廊下に出ました。

「ここは今までいろんな映画などの撮影に使われてきました」

そうそう、わたしが初めてここを映画で観たのは、「海兵四号生徒」。
渡辺篤史さんが上級生にこの廊下で殴られてましたっけ。

「最近では映画の『この世界の片隅に」で、主人公のすずさんの夫が
勤めている海軍の施設ということでここで撮影が行われました」

昔と寸分変わらない仕様の帽子掛がなんとも言えず胸締め付けられます。

廊下を出てすぐの教室の中を見学させていただきました。
つい先ほどまで人がいたらしく、生暖かい空気が充満しています。
パソコンは持ち込むことはできず、仕様したものも持ち出し禁止です。

どの教室にも正面に「五省」が掲げてあります。

 

ホワイトボードに書かれた内容からうかがい知れる候補生の日常。
例えば、

卒業所感再提出者有

来週の卒業を前に提出した卒業所感、ダメ出しが出たと・・・。
ただ再提出と言われても、どこが悪かったのかわかるものでしょうか。

花型に囲まれたふきだしの中には

「体重教えてください 正確な数値」

それから3月6日にはたこ焼き大会が行われたと書かれています。

校舎北側から望む生徒館。

レンガは水交館の「フランス積み」に対し「イギリス積み」です。
前回調べて誰が設計したかわからないままだったのですが、今回
校長によるとイギリス人であることがわかっているそうです。

一つのレンガが当時の職人の一ヶ月の給料と同じくらいで、イギリスから
一つ一つ包まれて運ばれてきた、という噂は一部は正しく、つまり全部ではないが
この中のいくつかは本当にそのように運ばれてきたものだそうです。

レンガの産地も全部がイギリス製ではなく、呉近辺の産であることから、
いかに兵学校がお金をかけたかという話が誇張され、このような伝説が生まれた、
と考えるのが良さそうです。

前にもご紹介しましたが、廊下の照明器具には錨があしらわれています。
かなり錆が出ていますが、照明器具としての機能に不備はないのでしょう。

流麗なアーチを連続して描く廊下の柱と精緻な細工の二階の手すり。
「同期の桜」を探してここを走ったのが昨日のことのようです。

いつもあるのか、わたしたちのために出してくださったのかはわかりませんが、
廊下に「江田島の今昔」写真がパネルにされたものが立ててありました。

これは、以前ここでもご紹介した写真集からのコピーで、
例えば真ん中のパネルは「総短艇」。

今と昔の総短艇の写真が同じような角度で並べられており、説明が付されています。

「総短艇は日常生活において前触れなく突然発動されます」

「総短艇が発動されたならば、学生は全ての作業を取りやめ、
全力で短艇(カッターボート)が吊り下げられているダビッドへ向かいます。
その後、各分隊で短艇を速やかに降下、出航させ、
指定されたブイを回頭して入港し、整備完了までの時間を競います」

 

廊下を西側まで通り抜けました。
ここにこんな立て看板がありました。
ここは誰でも来られる場所であることから、おそらく
一般の見学者のために常設されているのでしょう。

最初に来た頃に比べても随分サービス?がよくなった気がしますね。

 歴史を見続けたレンガ

現在、海上自衛隊幹部候補生学校では、
学校施設を活用した「特設コーナー」を設置中です。
125年近い年月において、「人物」、「イベント」、
「風物」など、様々な視点の中で、この赤レンガが
見つめ続けた歴史をお披露目してまいります。
この特設コーナーを通じ、より多く来訪された皆様に、
本校の教育体制をご理解いただくことを目的とするものです。

(ご覧になっている庁舎(赤レンガ)の一階廊下は、
NHKテレビドラマ「坂の上の雲」において、秋山真之役の
本木雅弘氏(俳優)が歩行したシーンが上映されたことから、
一部ファンからは ”モッくん・ロード” と言われています。)

(赤字は個人的にじわじわきた部分)

 

「モッくんロード」・・・・今の今まで知らなかったのですが、
それはわたしがモッくんのファンじゃないからでしょうか。

 

続く。


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