ガイドをチャーターしてウィーンの街を歩くツァーが続いています。
シェーンブルン宮殿はホテルから離れているので、車の送迎がありました。
ウィーン中心部に向かう途中は車窓からの観光です。
この壮麗なギリシャ神殿風の建築物はオーストリア国会議事堂。
現在大々的にリノベーション工事中で、完成は2021年。
工事の囲いからにょっきりと女神像が突き出していますが、
本来ならこうなっているところです。
像の足元は広場になっていて市民の憩いのスペースだったんですね。
改装が完成するまでは議事堂見学ツァーもお休みです。
そのあと、車から降りて町歩きに突入したというわけです。
最初はブルクガルテン、ブルク公園です。
あちこちに銅像や石像がある庭園で、フランツ1世が1819年に建造させました。
これはもちろんマリア・テレジア女帝。
何がすごいって、20歳から39歳までの19年間の間に、
16人の子供を産んだという、「子供製造機」でありながら、
君主の座について施政を行なっていたということです。
驚くべきことに、数字を見る限り、妊娠していなかったのはわずか3年間だけ。
まあ、産身さえすれば、あとは周りが育ててくれたわけですけど。
彼女の夫、フランツ1世は生涯あちこちで浮名を流していたと言います。
奥さんが妊娠中に夫が浮気、というのは決して許される話ではありませんが、
結婚生活のほとんど妻のお腹が大きければ、それも致し方ないのかな。
決して共感はしませんが、理解できない気もしないでもありません。
それでも合間合間に出来るだけ子供をたくさん産みたいという女帝の希望に
ちゃんと付き合って任務を果たしたのだから、それはそれで大したものです。
子供の名簿を見ていて気がついたのですが、16人の子供のうち、
死産または幼少期で死んでしまったのは女の子三人だけで、
不思議なことにそのうち二人の名前は「マリア・カロリーナ」です。
よりによってその名前をつけた女の子だけが早逝したなら、
普通の感覚ではこの名前は縁起が悪いからもうやめよう、ってなりません?
ところが、マリア・テレジアはチャレンジ精神旺盛な人物だったので、
二人目のマリア・カロリーナ死去から3人目に生まれた女の子に、
またしてもマリア・カロリーナと名付けているのです。
三度目の正直、彼女は成長してナポリ王に嫁ぎ、しかも
50歳とまあまあ長生きしたようで、ジンクスは破られたのでした。
こちらカール大公像。
カール大公といいましてもいろいろいるわけで、確か
ガイドはカール2世と言っていたような気もします。
この彫刻のポイントは、何と言っても造形の素晴らしさで、
馬の後足二本だけで立っているのがバランスの妙だそうです。
カール大公が右手で持っている旗で絶妙なバランスを取っているとか。
「それに比べてこちらは今ひとつ躍動感に欠けるでしょう」
そうガイドが言ったこちらの像は、プリンツ・オイゲン。
プリンツ・オイゲンという名前は、海軍とか艦これとかに興味があれば、
誰でも知っているわけですが、意外と当人がどんな人だったかまでは
知られていないのではないでしょうか。
ちなみに、「プリンツ・オイゲン」で検索すると、真っ先に出てくるのが
重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」で、ナチス風味のミニスカ軍服を来た
「プリンツ・オイゲンちゃん」の絵だったりします。
かくいうわたしは、以前、模型展見学の報告のため検索していて、
オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリグナン
プリンツ・オイゲン
というかっこいい響きからルードヴィッヒ二世みたいなのを想像していたら、
こうだったことがわかり、勝手にがっかりしたものです。(すんません)
像の説明を受けている間、ゴミ捨て場のサンドウィッチの袋に
ウルトラC技で挑戦していたウィーンのカラス。
日本のと羽の色は違いますが、やっていることは全く同じです。
ウィーンの町は、建物が通り抜けできるため、通りに対して横に
なんなと近道ができるので大変便利です。
このファサードにお店が並んでいることも少なくありません。
入り口にお餅のような丸い石が設置してありますが、これは
かつて馬車もここを通行したため、車輪が建物にぶつかることを
防ぐためのガードの役目を果たしています。
寺院や普通の建物の上部には、彫像などとにかく人の姿があしらわれています。
この少年は誰だか知りませんが、錨を持っているので撮っておきました。
そういえば、ウィーン少年合唱団の制服ってセーラー服ですよね。
海無し国なのになんで?と思われるかもしれませんが、昔調べたところ、
ウィーン少年合唱団再建のとき、ヴィクトリア女王が気に入って
子供に着せることでヨーロッパ中にセーラー服が流行していたからなのです。
この少年がなぜ錨を持っているのかはわかりませんでした。
たぶん・・・・ライオン。
でも、顔が微妙に猿っぽくて変です。王冠かぶってるし。
「EINBAHN」=アイン・バーンが一方通行であるのはすぐにわかりました。
そういえばわたし少しだけドイツ語勉強したことがあるんだよな。
昔からの建物と、最新式の建築が混在する街。
「これでツァーはおしまいです」
ガイドさんは最後にウィーンでも有名なカフェ、
「ツェントラル」(セントラル)に入っていき、内部を紹介しながら言いました。
時間を見ると、少し遅めのお昼の時間です。
日本人であれば、ここで如何あっても儀礼的に
「よかったらお昼ご飯をご一緒しませんか」
と誘わざるを得ない雰囲気です。
後から考えると、あれはガイドさんの作戦で、ほとんどの観光客は、
そこではいさようなら、とならないのを経験上知っている感じでした。
まあ、カフェで頼むべきものを教えてもらったり、音楽について
雑談したり、楽しく過ごせたので、こちらはむしろありがたかったです。
入り口で案内してもらうまでちょっとだけ待ちました。
それにしても、最近は日本人より中国人の方がいわゆるブランド好きで、
この写真に写っている女の子二人もおそらく20歳そこそこですが、
二人ともグッチにサンローランという、学生には変えないような
ブランドバッグ(しかもこちらで買ったらしく新しい)を持っています。
バブルの頃の日本人みたいです。
ガイドさんが「ニワトコのジュースが美味しいですよ」と教えてくれたので、
頼んでみました。
少し甘いですが、スッキリしたジュースですっかり気に入りました。
後日、別のカフェで同じものを頼もうとして、
「はて、ニワトコってドイツ語でなんていうんだろう」
すぐさまネットで調べたところ(便利な世の中です)、
エルダーフラワーのことだと判明しました。
ちなみにオーストリアではサービス業は間違いなく全員が
完璧な英語を喋るので、ドイツ語は全くわからなくても大丈夫です。
この時食事をしながらガイドさんの身の上話?を聞きましたが、
お父さんが劇団S季の創立者だったとか、お祖母さんの出自を辿ると
やんごとない某所で止まってしまうとか、なんかすごい人でした。
息子さんはウィーンに育ち、オーストリアで一番有名な大学の医学部を出て
今大学病院で勤務しておられるという話で、本当に世の中には
いろんな人がいるんだなあと感慨深くそんな話を伺っておりました。
ついでにこのとき思ったのは、世の中には自分の話をする人としない人がいて、
自分の話をする人は、必ずと言っていいほど相手に質問をしない、つまり
相手のことを知ろうとしない傾向にあるということです。
わたしは自分のことは聞かれるまで喋らないタチで、会話はほとんど
相手に向けての質問ばかり、つまりタイプで言うと「自分の話をしない人」です。
ウィンナシュニッツェル(MK)ソーセージ(TO)サラダ(わたし)
というメインのあとは、3人で二つデザートを注文しました。
こちらがアプフェル・シュトゥルーデル。
ドイツ語のアップルにはなぜかFが入るので「アプフェル」です。
ケーキ本体が甘いので、甘くないクリームで中和して食べるというノリ。
アメリカ人ほどではありませんが、ウィーンの人も甘いものを好むように思われました。
カフェ裏にある中庭のようなところを案内してもらいました。
このバルコニーでウィーン少年合唱団が演奏することもあったそうです。
元々はお城だったので、お城の偉い人がここから演説するために作られたとか。
お昼をご馳走したせいか、「ここで終わり」と言いながらガイドさんは
午後も延々と観光案内を続けてくれました。
街角の教会に差し掛かると、ひょいとドアを開けて(教会というところは
基本どこでも出入り時自由という開かれた祈りの場なので)
スタスタと中に入っていきます。
ミノリーテン教会のなかで彼がわたしたちに指し示したのは
なぜかレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」でした。
本物の「最後の晩餐」も、わたしたちは息子がまだ2歳の頃、
ミラノで実際に見学していますが、こちらはレプリカなので、
あそこのように厳重なセキュリティの下、時間を制限されて
なんとか網膜に焼き付けようとする的な鑑賞ではなく、心ゆくまで
前に佇んでキリストと使徒の姿を眺めることができます。
そして本物の「最後の晩餐」とこれを比べて決定的に違うところ、それは
「食堂のドアを作るために消してしまった」
キリストの足が、この絵にはあると言うことです(笑)
このレプリカは、ナポレオンが依頼して制作させたもので、
気に入ったのでレプリカを手元に置いておきたかったのか、
パリに持ち帰るつもりをしていたようですが、
なんらかの理由でここに留め置かれたままになっているのです。
わたしたちはやりませんでしたが、絵の横にあるお賽銭箱に
硬貨を入れると、絵にライトが当たる仕組みになっていたそうです。
まあ、この絵ならモザイクだし、ライトを当てようがシャッターを当てようが
全く劣化する心配はないのでやりたい放題ってところです。
ガイドさんは奥様と時々電話で話をしていましたが、彼女が
「女性が(わたしのこと)いるのならプチポワンにお連れすれば」
といったとかで、ウィーン宮殿の女性たちが気の遠くなるような暇な時間を
利用して技術を昇華させたという刺繍の店に案内してくれました。
わたしはフェイラーとかキルトとかにも、刺繍にも全く興味はないし、
そもそも身に付けるものに過剰な飾りがあると落ち着かないタチなのですが、
この刺繍が、
拡大鏡を使用して手刺繍で 1 平方センチあたり
121-225 目のステッチ施したもの
と聞いて、それはそれで大したものだと感心しました。
スマホのない時代、宮廷の女性たちの考え出した究極の暇つぶしです。
wikiには、
「近年では、安価な韓国製機械刺繍のものが多く出回っている」
と書いてありますが、ガイドがここのお店のは皆本物だと太鼓判を押すので、
ちょっと遠目にはエルメスのエマイユにも見えるバングルと、
ト音記号を刺繍したキーホルダーをお土産に購入しました。
それにしてもガイドさん、午前中でツァーの時間は終了しているはずなのに、
この後もずっと案内する気満々です。
「スワロフスキーも行ってみますか?割引券ありますよ」
うーん・・・・一体このツァー、いつ終了するのでしょうか。
続く。