ここからは、スティーブン・F・ウドヴァーヘイジーセンタープレゼンツ、
「World War II German Aviation」
というパネルのご紹介をしていこうと思います。
これでわたしも第二次世界大戦時のドイツ空軍について詳しくなれるはず。
それでは、現地展示パネルの翻訳から参りましょう。
1939年の9月1日にナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。
ルフトバッフェは戦争が始まった頃の航空攻撃の主導を握り、それによって
翌年まではドイツの「ブリッツクリーグ」(電撃戦、機甲部隊を使った攻撃)は
西ヨーロッパのほとんどを征服するに至った。
これら初期の成功は、ルフトバッフェを含むドイツ製造の武器兵器の優秀さに
負うところが多く、ほぼ無敵といっても良い状態であった。
うーん・・・日本もね。最初は強かったんですよね。
日本の場合は兵器の技術力というよりも、人間、特に
下士官兵がとにかく優秀だったって説もありますよね。
「世界最強の軍隊とは」
なんてお題でも、
アメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官兵で構成された軍隊
逆に世界最弱の軍隊は、
中国人の将軍、日本人の将校、イタリア人の下士官兵
なんて民族ジョークになっているくらいなので。
しかしながら、6年も経たぬうちに特別に開発された航空機や武器をもってしても、
ドイツは総合的に負けを喫し、空軍も敗色が濃くなってきた。
ルフトバッフェの勃興と凋落のストーリーは決して航空力を効果的に用いたり、
工業力による生産が困難な状況だっただけでなく、軍の戦略の失敗、
航空機調達のプログラムの管理に失敗したことによって決定づけられた。
それはまた、圧倒的な連合国の数と物量の優位性に直面しても
高度な技術が敗北を防ぐことができるというドイツの信念の敗北
でもあった。
まあ、敵だったアメリカの言うことなので話10分の9くらいで聞くとしても、
ドイツが後半から敗北の坂を転げ落ちたのは、自国の技術力への過信だった、
そういう解析は非常に正しいのではないかと思われます。
三国同盟を締結した頃、一般の日本国民は、技術国を標榜するドイツと
いかにも精強そうなナチスドイツ軍が実に頼もしく見え、
これで日本は絶対に勝てる、くらいに思っていたといいますが、冷静に考えると
同じドイツはその少し前、第一次世界大戦でぼろ負けしていたわけですから、
(しかも日本は対独戦争での戦勝国という位置付けだった)
もう少し疑ってかかってもよかったかもですね。
日本もドイツと同じく「国民総過信」のせいで負けが込んでも軌道修正できなかった、
とはよく言われることですが、ドイツが過信していたのが「技術」と言うのに対し、
日本の場合これが「軍人精神」とか「神風」と言った精神論だったのが少し辛いところです。
ドイッチュ・ルフトポストって、「空飛ぶ郵便局」みたいな煽りでしょうか。
1930年代には、ルフトバッフェは大きな航空的進歩の変革を行いました。
複葉機に乗っていたパイロットはすぐさまそれらを捨てて最新の飛行機、
例えばメッサーシュミットBf109などに乗り換えました。
ドイツエアメールサービスが制作したこのポスターでは、ヘインケルHe IIIが
高速郵便物運搬を行なっているように描いているばかりか、
機体がまるで中型の爆撃機であるかのような表現をしています。
もちろん、戦時体制に協力する郵政省のイメージポスターだと思うのですが、
本当にこんなもので郵便物を運んでいたのならすみません<(_ _)>
「ルフトバッフェの創立」
1933年に政権を握ったアドルフ・ヒトラーの優先事項は、
ドイツが空軍を持つことを禁じる
ヴェルサイユ条約の規定を回避することでした。
そして、彼の主任補佐官、航空大臣ヘルマン・ゲーリングの元で、
軍用機の開発と生産、パイロット訓練、
および航空研究の秘密のプログラムが開始されます。
1935年にルフトバッフェの存在が明らかにされるまでに、
ドイツは技術的に進歩した空軍の基礎を拡大し、また、
ナチスドイツ軍の教義を発展させ始めました。
1930年代後半に起こったスペイン南北戦争へのルフトバッフェの関与は、
独空軍が第二次大戦の前夜に前例のない攻撃能力を開発するのを助け、
豊富な運用体験を得る絶好の機会となったのです。
写真はルフトバッフェの創成に寄与したヘルマン・ゲーリングとヒトラー。
ゲーリングは戦争期を通じて指令を行い、ドイツの航空産業に
航空大臣命令の順守を強要し、また、ユンカースやアラドのような会社を
国の管理下に置くよう強制しました。
この「強要」「強制」は、スミソニアンの解説によるものですが、
どうもアメリカ側から見た感情論みたいなものが混入しているようです。
戦時体制に入れば企業、特に航空機製造業などは国の管理下に入ることは
なにもドイツに限ったことではないし、ことさら企業側が
意思に反して政府に協力させられた、と強調することはないと思うのですが。
スペイン市民戦争で戦闘を行うルフトバッフェ、コンドル軍団の
ヘインケルHe 111。
この戦争はルフトバッフェの搭乗員たちに貴重な空戦の経験を与えました。
バトル・オブ・ブリテンで墜落したA JUA JU88爆撃機
ユンカースJUA JU88は中型双発爆撃機で、第二次世界大戦中のドイツにおける主力爆撃機です。
ところで、ちょっと気になったのですが、次の解説を読んでいただけます?
グレート・ブリテンの侵略の前に、英空軍打倒を任務としたドイツ戦闘機は、
500以上の防御航空機を撃墜したものの、航空優位性を確立することはできなかった。
ドイツの爆撃機は航空基地を攻撃し、それから
ロンドンや都市部の日中攻撃へとシフトしていったのである。
莫大な被害がヒトラーに突きつけられ、侵攻を諦めざるを得なくなっても、
イギリス市街地への爆撃は夜も続けられた。
「ブリッツ」部隊はロンドンの市街を破壊し、5万人もの市民に被害が出たが、
イギリス人の「モラル」までを破壊することはできなかった。
ちょっといいですかー?
まるでドイツ軍だけが都市攻撃をしたみたいな言い方ですね。
そして特に最後の一節、これ何が言いたいのでしょうか。
連合国が壊滅させたドレスデンと、アメリカ軍が広範囲を焼き払った
東京の人々がモラルの破壊以前にどんな目にあったか知っているか、
とこれを書いたアメリカ人にぜひ聞いてみたいです。
シュトゥーカ乗員たち
Ju 87シュトゥーカは、ユンカース社が建造した急降下爆撃機です。
隊長を囲んでたくさんの搭乗員達の姿がありますが、爆撃機は二人乗りなので、
おそらく電撃戦で編隊飛行に出撃する前のブリーフィングかと思われます。
愛称の「シュトゥーカ」は、なんとなく女子っぽくて可愛らしいですが、実は
急降下爆撃を意味する
「Sturz KampfFlugzeug」(シュトゥルツ カンプ フルクツォイク)
を縮めたもので、日本では「スツーカ」と呼ぶ人もいるようです。
急降下爆撃を行うシュトゥーカの翼が立てる音がまるでサイレンのように響き、
「悪魔のサイレン」
などと恐れられると、彼らは調子こいて本当に機体にサイレンを取り付け、
「ジェリコのラッパ」
と自称して文字通りブイブイ言わせ、敵を怖がらせて喜んでいました。
そして、ドイツ軍はロシアとウクライナに侵攻する際、1,000機以上の
ルフトバッフェの航空機を投入して圧倒的な勝利を収めたのです。
この時、彼らは事実上、無防備なソ連空軍を全滅させたといっても過言ではありません。
あらゆる意味でこの時がルフトバッフェ最強の頂点でした。
続く。