ドイツ国防軍空軍司令だったエルハルト・ミルヒです。
「のだめカンタービレ」でミルヒー・ホルスタインと言う仮名を使う
(本名フランツ・フォン・シュトレーゼマン)指揮者がいましたが、
ドイツの地名のホルスタインはともかく、ミルヒー(ミルク)なんて名前あるか!
と思っていたら、本当にいました。すみません。
しかもミルクのドイツ語Milchそのまんまの綴りです。
んでこのミルヒーですが、ヒトラーお気にのアルベルト・シュペーアとともに
軍需生産で中心的な役割を果たした人物です。
ヒトラーお気に入りのシュペーア
戦後はニュールンベルグ裁判で終身刑に処せられましたが、
刑期途中で恩赦となり、出所後は経営コンサルタントをしていました。
ちなみにシュペーアは建築家で、そのためヒトラーの寵愛を受けました。
ミルヒーはヒトラーから、
「私が愛しているとシュペーアに伝えてくれ」
というメッセージをことづかったという関係です。
さて、前回技術力を背景に優秀な搭乗員達が経験を積み、
ルフトバッフェ最良の時を迎えたというところまでお話ししました。
しかし、あるきっかけが、この世界最強航空隊をV字失墜させていきます。
ヒトラーは、対ソ侵攻開始直前の1941〜42年の冬の期間に、
陸軍の師団をロシアに駐留させるとの計画を立て、
その際必要となる冬季用装備についても陸軍側で手配を完了させていました。
ところが、冬に入る前にソ連国内で鉄道輸送網が過密状態に陥っており、
用意された冬季用装備は、ポーランドのワルシャワで山積みになったまま、
物資を輸送することができなくなったのです。
それにもかかわらずドイツ軍は広大なソ連を東に移動する計画を遂行し、
あのナポレオン・ボナパルトをも倒したロシアの冬将軍のせいで
たちまち補給が滞ってしまったのです。
ヒトラーも、ナポレオンに挑戦するようなマネをせず、他の季節に
攻め込めばなんとかなったと思うんですが、これはつまりひとえに
彼の作戦が拙速だったということなんではないでしょうか。
この空軍大臣ミルヒーについて、スミソニアンの説明では、
スターリングラードの敗戦の後ゲーリングが失脚し、
それに取って代わったように書かれていますが、wikiには、
「ミルヒーがスターリングラードの補給に失敗し、ゲーリングの信頼を失った」
とあります。
あまりドイツ軍の歴史に詳しくないわたしですが、ロジスティックスの失敗で
失脚した責任を問われた、というwikiの説明の方が正しいような気がします。
とにかく、終戦時にはすっかり凋落していたのに、ニュールンベルグでは戦犯となり、
外国人を労働させたという罪で有罪判決を受けた不運な人、それがミルヒーです。
この人の写真の上にあったコーナーがこれでした。
航空機生産危機(The Aircraft Productin Cricis)
1943年にルフトバッフェが被った多大な損失を受け、ドイツ空軍省は
航空機生産企業により先進的なデザインの航空機のさらなる補給を要求した。
ミルヒー将軍が注文したのは、連合軍の爆撃に対応することにフォーカスした
戦闘機の集中的かつ継続的な補充であった。
彼はより多くの労働時間に加え、残業のシフトを増やすよう現場に要求して
救出用の航空機を除く全ての航空機の再生産力を強化しようとした。
ミルヒーはまた、連合国の爆撃を偵察し、それを防ぐためのジェット機生産を
特に最重要とし、急がせていた。
彼は労働省と掛け合って、生産に従事する労働者の数を増やし、さらに
占領している外国から労働者を集めることができるようにした。
なるほど、ミルヒーはこれが戦後戦犯として訴追される理由になったわけですね。
彼は航空機生産について対策したが、燃料不足、戦略的材料、そして
適切に訓練された航空機搭乗員の不足に対処することができず、失敗に終わった。
フライングフォートレスの翼ごしに見えるメッサーシュミットMe410戦闘機
連合国の戦略爆撃に対し、ルフトバッフェは防御を行った。
ドイツ人は迅速に反応し、イギリス軍を夜間攻撃するための夜間戦闘機を開発、
そして別の戦線でアメリカ軍の日中細密攻撃と戦っていた部隊を呼び戻したのである。
ドイツ戦闘機隊は1943年、その出撃によって国土の防衛に寄与したが、
そのために熟練の搭乗員を数多く失うという重い犠牲を払うことになった。
恥ずかしながら今知ったところによると、これはドイツがまさに
日本の戦闘機隊と同じ道を歩んだということではないのでしょうか。
ドイツ戦闘機隊が、大戦前に経験値を上げたスペイン内乱に当たるのが
日中戦争であり、その時から飛行機に乗っていたベテラン搭乗員が
戦争初期には活躍し、相手を圧倒したものの、戦況が長引き、
本土防衛(日本の場合は南方戦線)で次々とベテランが失われていった。
示し合わせたように両国は同じ経過を辿ったということになります。
The Tude Turns
潮目が変わった、という言い方が英語でもあるのにちょっと驚きです。
1941年の末にはソ連侵攻はその速度を落とし、ドイツは新しい、
そして恐るべき敵の出現に直面することになった。
アメリカ合衆国🇺🇸である。
自分で言うか、と言う気もしますが、事実だから仕方ありません。
ミルヒーが失脚したスターリングラードの記述が重なりますが、
ここでもう一度スミソニアンの解説です。
戦線は地中海沿岸と北アフリカに拡大し、連合国の爆撃作戦は
1942年1月にはルフトバッフェを追い詰めることになる。
ヒトラー総統はどんどん少なくなる労働人口と、原材料の不足を鑑み、
ついに航空機生産の減少を命ずるに至った。
夏に行われた南ロシアへのドイツの攻撃は、
ドイツ軍の物資調達システムの限界まで広げ、
その限界点が1943年のスターリングラードの戦いで、
ドイツ軍は包囲され、降参を余儀なくされた。
補給の不足の問題は地中海戦線でのルフトバッフェの空戦での喪失率を上げ、
さらには南アフリカとシシリアでの陸軍の敗北を生んだといえる。
ドイツの空軍力は連合軍がイタリアのサレルモに上陸した時に予測されており、
それは実際にイタリアの降伏を早めた。
ここでこの戦争の潮目は完全に変わったといえよう。
帝国日本軍も、補給線を考えずに兵站を伸ばしてしまい、それで
負けた部分が大きいかと思いますが、つまり
戦争の勝敗は、ロジスティックスが握る
ということが両国の敗因で実際に証明されたといえますね。
続く。