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ボーイング B-29 スーパーフォートレス「エノラ・ゲイ」〜スミソニアン航空宇宙博物館

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スミソニアン航空宇宙博物館別館、ダレス国際空港の近くにある
スティーブン・F・ウドヴァーヘイジーセンター歴史的に意味がある展示を
たった一つだけ挙げよと言われたら、おそらく、ほとんどの人が
この爆撃機の名前をあだ名で答えるに違いありません。

ボーイング B-29 スーパーフォートレス「エノラ・ゲイ」。

いうまでもなく、この爆撃機が搭載した一発の原子爆弾は、
史上初めて人類を殺戮するために広島上空から投下されました。

スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターは、巨大なハンガー風で、
そのハンガー部分には世界中から集められた歴史的な航空機が、
ハンガーから突き出たような部分にはスペースシャトル始め、宇宙に行った
数々の飛翔体が展示されています。

航空機を展示したハンガーは、上部に通路が廻らされていて、
空を飛んでいるように天井から吊られた航空機も、全て
上から眺めることができるようになっています。

一番高いところに登って見渡すと、その中で特に目を引く大きな航空機が二機。
一機がエア・フランスのコンコルドであり、もう一機が「エノラ・ゲイ」です。

展示は、だいたい国別、時代別に並べられていて、「エノラ・ゲイ」は
日本の紫電改や屠龍などの隣に、ホーカーやP-38と翼を並べています。

あまりに巨大なので、全体を撮るにはかなり離れないといけませんが、
ここスミソニアンでは広さについては何の問題もありません。

広大な国土を持ち、しかも歴史的軍事遺産の保護については
惜しげも無く国費を投入できる国だけのことはあると羨ましくなります。

この角度で撮られた、かつての写真が見つかったので貼っておきます。

同じ飛行機ですから当たり前ですが、寸分違いありません。
この写真は、原子爆弾投下後、テニアンで撮られたものだそうです。

機体のノーズを至近で眺められるように、ブリッジに鼻面を寄せてあります。
このブリッジは、おそらく「エノラ・ゲイ」のために設置されたのでしょう。

その巨大な翼は、第二次世界大戦で彼らが戦った帝國海軍の戦闘機、
「紫電改」を覆い隠すほどです。

この写真にもブリッジの上で足を止め、その歴史的な役割を果たした
爆撃機を熱心に見ている多くの人々の姿が写っています。


後述しますが、「エノラ・ゲイ」の機体は、論争を経て展示にこぎつけたので、
現在でも破壊行為などが行われないよう、複数の監視モニターにて監視され、
不用意に機体に近づく不審者に対しては、監視カメラが自動追尾し、
同時に警報が発生するシステムが採用されており、また2005年からは
映像解析装置も組み込まれて厳重な管理下のもとで展示されています。

現地にいたときには全くそのことを知らなかったのですが、
特に一階から機首を見上げるように撮った冒頭写真の撮影の時など、
おそらくわたしの様子は監視モニターに集中追尾されていたのでしょう。

こんな大きな機体なのに、わざわざ黄色いジャッキの台に置いて
持ち上げているのは、ブリッジから観覧するためだと思っていましたが、
実のところ、機体に直接アプローチできないように宙づりにする意味があったのです。

おそらく、黄色い脚台にはカメラやセンサーが仕掛けてあり、
これを登ろうとしたら瞬時に警報が鳴る仕組みに違いありません。

このコクピットの左席には、機長のポール・チベッツ大佐が座っていました。

スーパーフォートレスの形状を特徴付ける機首の並んだ窓、
その下段右から二番目に機長席があるということです。

広島に出撃する前にテニアンで撮られたというこの写真には、
現存している機体の窓枠を囲む赤い「切り取り線」と、

「非常時救出の際にはここのガラスを割ること」

という注意書きはありません。
「エノラ・ゲイ」の機体は、三日後の8月9日、当初原爆の投下目標だった
北九州の小倉に偵察飛行を行っており、その後、カリフォルニアの
トラヴィス基地にいたそうですから、その時期に書かれたものでしょうか。 

ベトナム戦争についての記述は、自国に対してシニカルというくらい
客観的にその経緯を書き記していたスミソニアン博物館ですが、
「エノラ・ゲイ」と彼女が行ったことに対する説明はどうなっているでしょうか。

まず、展示機前にある説明板です。

ボーイングB-29スーパーフォーレスは、第二次世界大戦中最も洗練された
プロペラ推進式の爆撃機で、与圧式のコンパートメントが採用された最初の機体です。

もともとヨーロッパ戦線に投入されるために設計されましたが、
様々な用途で太平洋戦線にも投入されました。
様々な、とは従来の爆弾、焼夷弾、そして2個の原子爆弾です。

1945年8月6日、このマーチン製造B-29-45-B-29-45-MOは、
人類初の核兵器を日本の広島に投下しました。

三日後、「ボックスカー」(オハイオ州デイトンの空軍基地博物館に展示)
が、二つ目の原子爆弾を長崎に投下。

その際、エノラ・ゲイは天候偵察のため、現地を飛行しています。
3機目の同型機「ザ・グレート・アーティスト」は、
確認機としていずれの攻撃の際も同行しています。

なんだこれだけか、というくらい当たり前のことしか書いてありません。

その理由は、ここに至るまでに、「事件」と呼ぶくらいの騒動が、
「エノラ・ゲイ」の展示に伴って巻き起こったことによるものです。
その経緯とは。

戦争終結後、歴史的価値を考慮された「エノラ・ゲイ」は、機体保存が決定され、
まず、メリーランド州アンドルーズ空軍基地において解体保存されていました。

1995 年、スミソニアン航空博物館(本館)において、歴史的背景だけでなく、
原爆による被害についての資料含めたエノラ・ゲイの特別展示が計画されました。

展示にあたっては、広島市も被爆資料などを提供する予定になっていたと言います。

ところが、この計画が公にされると同時に、全米退役軍人会などが反発しました。

「原子爆弾は日本の降伏を早めることで、結果、それ以上の犠牲者が出ることを防いだ」

というのが、「原爆に対する公式見解」となっているアメリカですが、
この時彼らが行ったのは強い抗議のみならず、展覧会そのものの中止でした。

それにしてもわたしは大変不思議なのですが、この時、彼らは一体
どのような主張のもとに抗議を行ったのでしょうか。

何処かの国が主張する市民虐殺事件や軍による女性強制連行事件と違い、
アメリカが原子爆弾を二回にわたって日本の上に落とし、
大量の一般市民が死んだのは紛れも無い事実です。

「そのことはよく知っているが、戦争を終わらせるためにやったことなのだから、
自業自得で亡くなった日本人の遺体写真なんて見たくもない。
そんな展示は国のために戦った軍人たちの英雄的行為を貶めるということに等しい。
リメンバーパールハーバー!」

とでも主張したのでしょうか。

結局、スミソニアン側は抗議の声に屈しました。
展示されたのは機体だけで、原爆被害やその歴史的背景には一切触れられず。

現在の、スミソニアンにしては実に不自然に言葉少ない掲示板が、
その時の騒動とスミソニアンが受けたトラウマの大きさを表しています。

何しろ、一連の騒動の責任を取って、当時の館長は辞任したというくらいでしたから。

スーパーフォートレスの乗員は全部で12名。
最後の生存者であった乗員の一人、セオドア・ヴァン・カーク氏は、
2014年7月に亡くなりました。

この窓から航法士であったカーク氏が顔を出していたかもしれません。

「奪った命より多くの命を救った」

「日本の国に起きたこと全体としては、気の毒とは思わない」

カーク氏が原爆投下について語った言葉だそうですが、おそらくこれが
スミソニアンの展示に抗議した人々に共通の考えだったでしょう。

何事につけ、自省と自虐が習い性となっている日本人には
彼らのこの強弁にドン引きする人も多いかと思います。

それでも彼らの立場で考えてみると、軍人として行ったことが間違っていた、
と一部でも認めることは、自国と自分自身を否定することになるわけですから、
これらの言辞も致し方ない、とわたしは遣る瀬無いながらも理解します。

「エノラ・ゲイ」が、機長であったポール・チベッツ大佐の母親の
エノラ・ゲイ・チベッツの名前から取られたことは誰でも知っていますが、
機体番号44-86292号機(つまりエノラ・ゲイ)の司令官であり、副操縦士だった

ロバート・A・ルイス

はこのこと(大作戦に参加する航空機に母親の名前をつけること)
に対し、強い不快感を表したと言われています。

ちなみにこのルイス氏は、戦後、テレビ番組で、被爆時広島にいた
ドイツ人の伝道師、ヒューバート・シファー牧師、被爆牧師として
アメリカでも公演を行なった谷本清氏と対面して(させられて)います。

左、シファー牧師、右、ルイス

テレビ番組の司会者がルイス氏にその運命の瞬間を覚えているか、
と質問すると、彼はこう答えました。

「あとでこう書き残しました。”神よ、我々は何をやったのか”と」

 

ブリッジの上から窓ガラスを通して、鮮明にではありませんが、
チベッツとルイスが座っていた操縦席が見えます。

このシートベルトは、副操縦士だったルイスの席のものでしょう。

2003 年 12 月 15 日、スミソニアン航空宇宙博物館別館である
スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターの開館に合わせ、
「エノラ・ゲイ」は同別館に常設展示されることとなりました。

ちなみに、最後の搭乗員だったヴァン・カーク(左)チベッツ、(中)
そして電気回路制御・計測士だったモリス・ジャプソン氏の三人。
SFUHセンターの「エノラ・ゲイ」の下で撮られた写真です。

ジャプソン氏は、原爆投下について

「多くの人々が死んでいるのはわかっていた。喜びはなかった」

としながらも、オバマ大統領の広島訪問には不快感を示しました。

原爆使用の「道義的責任」に言及したオバマ大統領に対し、

「原爆は戦争を早期に終結し犠牲を回避するための唯一の選択だった」

「(オバマは)原爆を使用した米国を罪だとしており、あまりにも世間知らず(ナイーブ)な発言だ」、

「(米大統領が被爆地を訪問する事になると)とても悪い気分になるだろう」

などと非難しています。

ピトー管、レーダーとバブルウィンドウが見えます。

プロペラにメルセデスのマークらしいのがあるので、まさか?
と思いよくみると、展示に当たってプロペラを寄付した会社のマークでした。

配属当初、「エノラ・ゲイ」には「12」が割り当てられたが、
垂直尾翼のマーキングを特殊作戦機と悟られないよう、通常爆撃戦隊である
「第6爆撃隊」表示である◯の中にRというマークに変更更したため、
誤認防止のため「82」へ変更された。

 

とwikiには書かれていますがどうも意味がよくわかりません。
12がなんなのか、なぜ82になったのか。

原子爆弾投下作戦任務終了後の1945年8月中には、テニアン島で、
ビクターナンバーは「82」のままで垂直尾翼のマーキングだけを元の、
◯に左向き矢印という従来のマークに戻されています。

展示に当たっては、原爆投下時を再現しています。

SFUHセンターの展示の一つ、これはリトルボーイの

「 Arming Plugs 」アーミング・プラグ。

ミサイルや爆弾に取り付けられていて、計器や人員の安全のために
飛行前に作動させないようにするプラグです。

リトルボーイを投下する前、このプラグは人の手によって取り外されたのです。

スミソニアンの展示に退役軍人会らが抗議し、大幅に縮小された、
ということを皮肉るカートゥーンを売店で見つけたのでこっそり撮ってきました。

「何か本当にとても大きな出来事が1945年この飛行機によって起こされた・・これだけ?」

「それが我々が同意できる史実の全てなんですよ!」

思わずニヤリとしてしまいますが、スミソニアン側にとっては冗談ではありません。
抗議されて大幅に内容を自粛しただけでなく、館長の首が飛んだのですから。

「エノラ・ゲイ

虐げられた女性労働者によって建造され、
権力側の白人男性によって操縦された。
エノラ・ゲイのミッションは、日本文化を破壊することだった」

”思うんだけどさ、スミソニアンって歴史修正しすぎだろこれ”

エノラ・ゲイの展示に文句をつけたのは退役軍人会だけではありません。
核廃絶を提唱するアメリカの平和団体は、全く逆の立場から、
核のもたらした被害に触れないスミソニアンに抗議しています。

「20万人の命を奪った飛行機を展示する厚かましい国が他にあるか。
抗議のため開館時に一緒に訪れた被爆者の落胆が忘れられない」

広島市は、スミソニアンの展示に対し、

「単に航空機の科学技術の進歩を示す」だけではなく、あるいは
「原爆の威力の誇示や原爆投下の正当性を示す」ものにすることなく、
原爆被害の説明を加えることで「核兵器廃絶と世界恒久平和を願う」
内容にしていたただくよう要望を継続的に行なっている

ということですが、広島市の要望が聞き入れられることは今後もないと思われます。

スミソニアン博物館は、歴史的事実を後世に残そうとして、いわば
退役軍人一派と反核&被害者団体の板挟みになってしまったというわけで、
結局のところ、どちらにも配慮した結果、

「原爆投下を正当化はしないが、被害があったことにも全く触れていない」

という現在の異常に言葉少ない説明に落ち着いているのでしょう。

 

しかし、原爆を投下された広島・長崎の人々はもちろん、落とした
エノラ・ゲイとボックスカーの搭乗員たちも、ついでに
スミソニアン博物館も、誰一人として幸せではなかったというのは事実です。

「神よ、我々は一体何をしたのか」

前述のルイスならずとも、「エノラ・ゲイ」と「ボックスカー」乗員の全員が、
多かれ少なかれこれに似た思いを持ち、自分のしたことの意味を
なんらかの形で神に問いかけたことは間違いないと思います。

そしてその上で、彼らは自分という個と、その個が存在する
アメリカという公のために、こう自分を納得させざるを得なかったのです。

「あれは任務だった。原爆投下は戦争を終わらせるために仕方がないことだった」

彼らもまた戦争の犠牲者だったといえば、彼らの誇りは傷つけられるでしょうか。

 

 

 


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