さて、観艦式中止に伴い行われた一般公開の見学ご報告、最終回です。
観艦式の後、有本香さんの出演する「虎ノ門ニュース」に出演していた
佐藤正久議員が、この一般公開について、中止になったものの
たいへんな盛況であったと報告しておられました。
有本さんは実施されていたら「ちょうかい」に乗っていたそうです。
蛇足ながらわたしは予行演習には観閲付属部隊の「しもきた」、
そして本番と同じ「あけぼの」の券を持っていました。
今回青少年の応募に対しては優先的に枠を作っていたため、
ギリギリまで券が出てきませんでしたが、いつものように
ただで手に入れた乗艦券をオークションにかけて商売する輩が
いたのかどうか、今奥で調べてみたら、4件だけありました。
いずれも10月7〜8日の日付で、「むらさめ」「しもきた」「さみだれ」
の乗艦券に5万円の即決価格で出品したようですが、
なんとこれを実際に買った人がいた模様。
この頃にはもう台風は確実に来るということになってたはずなのに・・。
この日、3〜5万円で予行のチケットを買った人(少なくとも4人)は
せめてそのチケットで一般公開に見学に来ることができたでしょうか。
イージス艦「あたご」の正面からさらに向こうにも、
横須賀から出航する予定だった護衛艦が係留されています。
船越見学のあとここまでとほで来たため、かなり疲れていましたが、
「ちょうかい」の向こうの「フォーミダブル」を近くで見たかったので、
行ってみることにしました。
「ちょうかい」には前回の観艦式の時に乗っているし、もし一人だったら
外から写真だけ撮って済ませていたかもしれませんが、残念ながら?
この時にはやはりカメラ持ちの連れがいて、
「どうします?」
「やめときますか?」
「でも、フォーミダブルの写真を甲板から撮れますよ」
「あーそうですよね。じゃ行きましょう」
という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
粛々と「ちょうかい」のラッタルを上っていきました。
「フォーミダブル」の写真を撮って甲板をぐるっと周り、
隣の「はたかぜ」に流れていく仕組みです。
イージス艦というのは甲板のほとんどをVLSのセルが占めるので、
前回の観艦式で乗った時もほんとうに居場所がなくて大変だった記憶があります。
あのとき後半からは左舷ウィングに陣取って艦橋で入港作業を見届け、終わってから
ウィングに出てきた「こんごう」艦長の写真を撮らせてもらいました。
昨日ご紹介したミサイル迎撃実験、「ステラー・ハヤブサ」では、
まさにここにあるセルから迎撃のためのVLSが発射されたわけです。
Japan Aegis BMD (JFTM-2) Stellar Hayabusa, B-Roll
悲しくなるくらいいいねの少ない動画ですが、それはともかく、
この動画に写っているVLSが射出されているセルとここが同じ場所だなんて、
ちょっと不思議な気がするのはわたしだけ?
「こんごう」型イージス艦のVLSセルは前甲板に29、
後ろに61、計90筒配置されています。
「ちょうかい」も内部の見学ができたのですが、
「フォーミダブル」の写真を撮るために上がってきたようなものなので、
艦橋に続く列の外側を通り抜けました。
ここで、一人ならまっすぐ通り抜けて出てきてしまうところですが、
「降りますか。はたかぜよく知っているし」
「でも、はたかぜが見られるのって最後かもしれませんよ」
「あーそうですね。じゃ行きましょう」
という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
粛々と「はたかぜ」へのラッタルをわたっていきました。
手前から「あたご」「こんごう」「むらさめ」の甲板。
「はたかぜ」というと、去年の海上保安庁での観艦式で、
白にブルーの巡視船や小さな巡視艇が一頻り続いた後、
現れたその艦体の大きさと威容に、胸を震わせたことを思い出します。
ところが、あのときあんなにも巨大に見えた「はたかぜ」が、
今回イージス艦と比べるとむしろ華奢で小さ句さえ見えるのに驚愕しました。
1986年に就役して今年で33年目の老艦である「はたかぜ」は
2020年に「まや」が就役すると同時に練習艦に種別変更され、
呉に行くことになっています。
「はたかぜに乗れるのは最後」
という想像は当たっているかもしれません。
「はたかぜ」とともに観艦式で祝砲を撃っていた「しまかぜ」は、
観艦式の後の15日と16日、このとなりの「ちょうかい」、
そしてカナダ海軍の「オタワ」\(^o^)/とともに、
関東南方海空域において
日加共同訓練(KAEDEX19-2)
をに参加し、対潜戦訓練、対水上訓練射撃等を実施しました。
さて、そんなこんなであっというまに時間は1時をまわりました。
朝から歩きっぱなしで疲れてきたうえ、お腹が空いてきています。
正直「むらさめ」「こんごう」「あたご」を見るだけの気力はすでに残されておらず、
もし一人だったらここで帰っていたかもしれませんが、同行者との
「お腹空きましたね」
「足も痛くなってきました」
「でもやっぱり『あさひ』は見ておきたいですね」
「そうですよねー」
という同調圧力かつ自縄自縛的会話の結果、やめることもできず、
わたしは粛々と「たかなみ」のラッタルを上っていきました。
「あさひ」を見に行くのに艦上を通過させてもらったような感じです。
「たかなみ」さんと「はるさめ」さんには大変失礼なことをしてしまいましたが、
とにかく疲れていたのだとご理解ください<(_ _)>
「はるさめ」の溺者救助用人形をこんなところに発見。
やっぱり顔(しかもかなり上手いっぽい)が書いてある・・。
昼過ぎということで来場者が増え、舷側に沿って歩く見学者の列は
他の艦艇よりも進む速度が遅くなっています。
見学者はやはり若い男性が多いようです。
「はるさめ」舷側を歩いていると、発光信号のデモが始まるとアナウンスがありました。
前の列に従って黙々と歩くだけの時間なので、
このような広報イベントは皆が目にすることができますね。
「あさひ」の艦橋です。
そういえば、わたし建造中の「あさひ」の甲板を歩いたことがあります。
それがどうしたという話ですが、体験航海の護衛艦「あきづき」が佐世保に入港したとき、
なぜか「あきづき」は岸壁でなく「あさひ」に接舷し、中を通って下艦したので、
おかげで初めて「あさひ」に乗艦した一般人になれたというわけです。
ところで我が国が「あさひ」という名前の護衛艦を持つのは初めてではありません。
「あさひ」
連合国占領下、日本に海上自衛隊の前身である海上警備隊が創設された際、
アメリカ海軍から周辺警備のために貸与された艦艇のうち、
の
が「あさひ」型護衛艦「あさひ」となり、
が二番艦の護衛艦「はつひ」
として就役しています。
ちなみに「あさひ」も「はつひ」も自衛隊のあとは
フィリピン海軍に譲渡され、「あさひ」など、なんと2018年まで
「ラジャ・フマボン」BRP Rajah Humabon (FF-11)
として元気で働いていたそうです。
ラジャ・フマボン
就役が1943年なので、なんと75年間現役だったことになります。
2017年には「きりさめ」と親善訓練も行ったそうです。
きっと「きりさめ」の乗員も、なんというか、爺ちゃんを見るような
温かい目でフマボンの戦術運動を見守ったんだろうなあ。
冗談抜きで、彼らのお爺さん世代が海上警備隊時代乗ってた艦なんだし。
「あさひ」は5000トン型の「あきづき」型を基本としているため、
「たかなみ」「はるさめ」と並んでいても明らかに艦体の大きさが際立ちます。
ここでそれを検証してみましょう。
海上自衛隊の汎用護衛艦整備の歴史的にいうと、「はるさめ」は第二世代で、
4,400トン型、その後4,600トン型に増やしたのが「たかなみ」。
さらにそれから5,000トン型に大きくしたのが「あきづき」型であり、
「あさひ」はこの「あきづき」型と同じということになります。
左から第3世代、第2世代、そして第5世代の三種類。
少しずつ大きさが違う護衛艦が並んでいて大きさ比べができるという趣向です。
・・・って、そこまで考えて並べたのではないと思いますが。
やっぱり最終回にならなかったのでつづく。