一度ミッドウェイ博物館のフォクスルなる区画について説明していますが、
もう一度、前回よりマシな写真をご紹介させていただくことにします。
フォクスル(FOCS'LE )は船首楼のことで、立派な日本語があるため
この言葉を日本人がそのまま使うことはまずありません。
船首楼、文字通り船首にある区画のことで、大型の船は「ミッドウェイ」のように
アンカー関係の装具が備えてあり、帆船時代は船員の居住区になっている部分です。
「forecastle」=前方のお城
が元々のこの部分を指す名称ですが、なんでも短縮する海の上では、
これを縮めて「フォクスル」(英語だとフォクソー的な)と称するわけです。
これは、右舷側を後方から歩いてきて、フォクスルのある区画にきた時、
最初に目にするプレートで、「ミッドウェイ」現役の頃から設置されていました。
「艦首楼 関係者以外の立ち入りを禁ず」
として、
「錨と係留具(Mooring )が放出されている時には厳守せよ
エクササイズは2000から0600までの間のみ許可される
その際部署および部隊は大尉に必ず使用許可を得ること」
となっています。
ここでいう「エクササイズ」というのが文字通りこの場所を使った
体力錬成のことなのか、不思議だったのでちょっと検索してみると、
出てくるわ出てくるわこの手の写真が。
これはキアサージュに乗り組んでいる海兵隊のエクササイズ風景ですが、
全天候型で広いフォクスルは昔から運動に利用されてきたんですね。
皆が同じ艦首方向を見ながら体を動かしているようですが、
やはり感覚的に皆そうしてしまうのかなと思いました。
さて、冒頭のフォクスルの写真は、展示用にペイントされたキャプスタンに
周りに展示物を配した現在の「ミッドウェイ」博物館の様子で、
とても現役当時の現場の雰囲気ではないと思いますが、それでは
実際の錨の揚げ降ろしはどんなふうに行われていたのでしょうか。
Aircraft Carrier Anchor Drop – Forecastle Anchor Room
これはやはり空母の錨揚げ降ろしシーンなので、ほぼこんな感じだったと思われます。
土煙のようなものが上がり、(巻き上げられていた錨鎖に付いていた海底の泥か)
火花が上がるのも見えます。
引き揚げのときには比較的周りに人が近づいて作業を見守っていますが、
投げ下ろしのときには距離を置いて離れて見ているらしいのがわかります。
フォクスルのある部分は艦首の突き出た部分なので、下階がなく、
下は海で、その床には、錨鎖を海面に落とすための穴が空いています。
人一人ならすっぽりと抜け落ちる(鎖があるので簡単ではないですが)
大きさなので、展示のためにアクリルガラスで覆われています。
ここからかつて投げ落とされた鎖は、「ミッドウェイ」が日本勤務中の
約18年間というもの、その錨で横須賀の海に彼女を係留していたと考えると、
我々日本人にはなかなか感慨深いものがあります。
最後にここから錨鎖が落とされたのは、2004年のことです。
それまで係留されていたブレマートン海軍基地から自力ではなく、
曳航されてやってきて、サンディエゴの海に錨を打ち、それから
半年後には博物館としてオープンしてしまったそうです。
最初から、博物館として完成するのは10年後、としながらも、
とりあえずオープンさせて、それから色々とやっていく(資金集めとか)
というイージーゴーイングなやり方は、アメリカならではで、
軍事遺産に対して官民共にその保存に協力的であることを表しています。
オープンした当初は、ほとんど現役のままの姿をしていて、
公開される場所も非常に限定的であったということですから、おそらく
フォクスルが一般人に見せられる状態になったのも随分後のことでしょう。
ここは艦首右舷部分で、繋留する為の舫のリールと投げ落とす為の穴が、
ハッチを開けた状態で下を覗き込むことができるようになっています。
舫を出す穴の横にはそれを確認する為の舷窓と、その下部にも窓があります。
かつてこの窓の外にあったのは横須賀の港でした。
今はその向こうにサンディエゴの海軍基地を臨みます。
写真を撮っていたら向こうからやってきた漁船には、数え切れないほどのカモメが
おこぼれをもらうために、周りを取り囲んでいるのが見えました。
この写真は、フォクスルに最初に足を踏み入れたときに現れる部分です。
今わたしが立っているのは艦首で、艦尾側を見るとこのようになっているわけです。
艦首側を見ながら後ろに向かって進んでいくと、こんな通路が現れます。
ドアのない通路には、保護のため分厚い補強がされているのにご注目。
この部分には、かつてここで使われていた装具がこのように展示されています。
「デタッチャブル・リンクス」(取り外し可能な連結器)
としてここにある説明をそのまま翻訳しておきます。
船の錨に繋がれている錨鎖の長さは「ショット」と呼ばれる道具で連結されます。
標準的なショットは「15ファソムズ(90フィート)」の長さです。
海軍で使われている連結具のタイプはここにある「Cシェイプリンク」を
二つの連結プレートで挟み込むようにして使われるものです。
「テーパード・ピン」で各部を固定し、「リードプラグ」で固定します。
知っていたからどうなるというわけではありませんが、
連結するときにこれを手作業で行うというのがすごいですね。
最初にサンドレットを投げて岸壁に細いもやいを渡すと、それを引っ張るうちに
細い舫には艦体を岸壁の舫杭と結ぶための太い舫が繋がってきますが、
「ミッドウェイ」ほどの艦体の大きな船にもなると、こんな太いものになります。
今ふと思ったのですが、今のところ全く一般に公開されていない
「いずも」「かが」などのフォクスル、艦首楼部分にもやはり、
「ミッドウェイ」とほぼ変わらないようなシステムが設置されているのでしょうか。
ところで、これ、何かに似ていると思ったら、あれですよあれ。
ケバブに入れるお肉を焼く、なんていうの?あのスタンド。
ぐるぐる回して肉を削ぎ取って・・・。
特別な垂直の串に肉をどんどん積み重ねて塊を作り、
あぶり焼きにしてから外側を削ぎ落としていくという仕組みで、
昔は珍しかったのですが、最近では日本にもトルコ人が結構いるのか、
どこの夜店にも一つはケバブスタンドが見られるようになりました。
横須賀の年越しでも見たし、富山のスキー場のランタン祭り会場にさえも(笑)
これは壁に直接描かれた絵です。
1963年4月10日に起こった原子力潜水艦「スレッシャー」の乗員全員を悼み、
当時の「ミッドウェイ」乗員の手によって制作された「メモリアル」で、
ここが改装された後にも手をつけず、上部をアクリルで保護して残しています。
先日映画「原子力潜水艦浮上せず」をご紹介したばかりなので、
この映画でテーマになっていた当時最新鋭のDSRV誕生のきっかけになった
この痛ましい潜水艦沈没事故についてちょっとお話ししておきます。
事故当時の艦長は、ノーチラス号の北極点通過航海にも参加した経験も持つ
ベテラン海軍軍人であるハーヴェイ少佐でした。
事故直前、海中救助船スカイラーク(USS Skylark, ASR-20)は、
マサチューセッツ州コッド岬付近でスレッシャーからの通信を受けました。
「・・・小さな問題が発生、上昇角をとり、ブローを試みる」
スカイラークはその後、隔壁が壊れる不吉な音を聞き取りました。
乗組員と軍及び民間の技術者、合計129名全員の命が失われた瞬間でした。
その後、バチスカーフトリエステ、海洋調査船ミザール (USNS Mizar, AGOR-11)
および他の艦船を使用して行われた大規模な水中探索の結果、スレッシャーの残骸は
2,560mの深海で大きく6つの部分に分かれて発見されました。
「スレッシャー」急激に沈没した時の状況がwikiにありました。
機関室への浸水により原子炉が停止した
→緊急浮上を試みた
→ジュール=トムソン効果により
バラストタンクの弁が氷で詰まってしまい排水不能に陥る
→浮上できず機体は艦尾を下にして沈没していった
という経過がGIFで表されています。
「スレッシャー」は急激に沈没する過程、おそらく海深400~600mの間で
艦のコンパートメントが内側に向かって潰れ、全乗員はほぼ即死、
どんなに長くとも1~2秒以内には死亡したと考えられています。
わずかに慰めがあるとすれば、「小さな問題」から全員の死亡まで
あっという間で、全員が恐怖を感じる時間が短かったということでしょうか。
前回には気づかなかったものに目が行くこともあります。
これらはここの住人が使っていたらしいツールで、下は
「Turnbuckle Wrenches」(回転レンチ)
これはなんとなくわかりますが、上は
「Rousting Hook」
ラウスティングというのは人を寝床から追い出すという意味ですが、
起きてこない水兵をベッドから追い立てるための・・・まさかね。
続く。