Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

アンディ・ウォーホル美術館〜ピッツバーグ滞在

$
0
0

ピッツバーグに着いて用事を済ませたあとは、もはやなんの予定もないので
気の向くままに街を楽しみましょうってことになりました。

うちには便利な息子がいて、こういうときネットで情報を探し、
いろんな提案をしてくれるわけです。

「アンディ・ウォーホル美術館なんてどう?」

実は昨年の夏滞在したときにも現地在住の知人にお勧めいただいてましたが、
わたし別にアンディ・ウォーホル好きでもなんでもないんでね。
キャンベルやマリリンモンローのリトグラフなんて、いまさら生で見たって
それが何?ってかんじでスルーしたんですが、今回はなんとなく、
他に行くところも思いつかなかったので、行ってみることにしました。

劇場などがある町の中心部から美術館に行く途中にあるブリッジは
「アンディ・ウォーホルブリッジ」といって、橋桁ごとに
リトグラフのウォーホル自画像がお出迎えしてくれるという趣向。

ちなみに橋が黄色いですが、ここピッツバーグのカラーは黄色。
市内にかかる黄色い橋はいくつもあります。

何故黄色なのかはわかりませんが、ただひとつたしかなことは、黄色は
地元のフットボールチーム「ピッツバーグ・スティーラーズ」のチームカラーで、
ゲームデイには町中が阪神タイガースの試合があるときの
阪神電鉄甲子園駅周辺みたいになることです。

スティーラーというのはもちろん「スチール」から来ているわけで、
かつてピッツバーグが鉄鋼の町だったことが語源です。
強いディフェンスが出たときには「スティールカーテン」と呼んだり、
なかなかチーム名としては使い勝手の良い名詞だと思います。

スティーラーズの熱狂的なファンは、チームカラーの黄色いタオルを
「テリブルタオル」と称して振り回して応援を行います。

また、日本人女性磯百合子さんがかつてアスレチックトレーナーをしていた、
ということでも日本人には馴染みのあるチームです。

スティーラーズ支える女性トレーナー、初の大舞台へ

この建物がアンディ・ウォーホル美術館。
ウォーホルが死んでから2年後に建ったという美術館は、
単一のアーティストのものとしては北米最大といわれています。

ここに美術館があるからにはウォーホルはここの出身だろうと思ってましたが、
生家というのが、夏に家を借りたシェンリーパークの近くの、
まさに借りたのと同じような作りの家であることが判明しました。

右側がそれらしいんですが、普通に今でも誰かが住んでます。
夏にわたしが借りた家みたいに、少し盛り上がったところに建っていて、
地下にランドリーや寝室があったりするこの辺独特の建築です。

さらに、今までわたしは「ウォーホール」と呼んでいたのですが、実は
彼はチェコ系の移民の息子で本名は「ウォーホラ(Warhola)」、
したがって「Warhol」はウォーホルと読むのが正確であると知りました。

アングロサクソン系だと勝手に思い込んでいたのですが、意外です。

小さな時の落書きから始まり、大学(カーネギー工科大学)
卒業後、ニューヨークで仕事を始めた頃の絵など網羅しています。

ちなみに右側は大学卒業後自費出版したイラストブック、
「25 Cats Name Sam and One Blue Pussy」より。

美術館は最初にエレベーターで7階まで上がり、そのあとは
下に歩いていきながら各階を見学していくようになっていました。

ニューヨークでイラストレーターをしていた頃のアンディ。
さすがイラストレーター兼広告マン、おしゃれです。

ティファニーのクリスマスカードのためのデザイン。

1956年には東京に観光に来ています。
上はウォーホルがその頃知り合った写真家の
エドワード・ウァロウィッチ。
彼もピッツバーグの出身でやはり移民の息子です。
二人は意気投合し、彼の写真とのコラボを行いました。

皇居二重橋前の写真では右から2番目がウォーホルですね。

 

有名な「あれ」の偉大なモデル。

左にハインツがありますが、ハインツもここピッツバーグがお膝元です。
ウォーホルによって有名になったのはキャンベルとハインツだけでなく、
金属たわしのブリロがあります。

企業がウォーホルにお金を払ったわけでもないのに、
彼は勝手に?身近にあるこれらをアートにしてしまったというわけです。

この香水「ミス・ディオール」の広告は、巨大な板に描かれた絵で、
香水の瓶のところはくり抜かれて本物が入っていました。

ミスディオール、一度気の迷いで買ってしまったことがあるけど、
実際に使ってみたら全然好きじゃなくて、トイレの芳香剤がわりにしてた(笑)

初期の映像作品で、右の椅子に座った人の顔を映し続けたもの。

一般公開された映像作品「チェルシーガールズ」。
ニューヨークの有名ホテル「チェルシー」を舞台に、
その各部屋で繰り広げられる人間の喜怒哀楽を、任意の2部屋分だけ
適宜の時間セレクトし、2つのスクリーンを使いランダムに映し続けるというもの。

右側は若い男性と中年男性がベッドでだらだら話をしていますが、
いきなり窓がアップになったりして訳がわかりません。

左側も家族が罵り合っているだけで、訳がわかりません。
しかし、これが全米で公開され大ヒットとなったらしいです。

1963年の「ホワイト・バーニング・カーIII」という作品です。

シルクスクリーンで、ウォーホルの「デス・アンド・ディザスター」シリーズの一つ。
警察と自殺した男の報道写真、事故った車を素材にした作品で、
5回以上画像を重ね刷りしているのだとか。

車はひき逃げをして逃走していた車が路上のポールに激突して
大破炎上したもので、運転をしていた24歳の漁師という男は
激突の際投げ出されてclimbing spike(塀や扉の上に侵入禁止のために仕掛ける
鋭利な先端、いわゆる『忍び返し』)に突き刺さり、死亡した、
という新聞記事も添えられています。

ウォーホルが描いた人物たち。

日本人キミコ・パワーズさん。

「kimiko Powers」の画像検索結果

2013年のキミコさん。
世界有数の有名な美術コレクターで、芸術家のパトロネスだそうです。

後世に残る肖像を手がけてもらえるのはパトロンの特権ですね。

どれだけ大きな作品か比較対象がいてわかりやすいですね。
「ラファエル・マドンナ $6.99」という作品なんですが、
値段のように見えていたのは本当に値段だったのか・・・。

意味は・・・・多分ないと思う。

「シルバークラウド」(SILVER CLOUDS )という作品です。
部屋の中にヘリウム入りのシルバーの風船がふわふわしていて、これは
見学者が触ってもいい展示です。

「もう絵は描かないよ。
一年前にやめて映画を始めたんだ。
同時に二つのことはできたけど、映画の方がエキサイティングだったし、
絵を描くというのは僕にとって単なる段階だからね。

今、僕は『浮遊彫刻』をやっているんだ。
爆発させて浮かぶシルバーの長方形だよ。」

ウォーホルはこんなことを言っていたようです。

いくつかは天井の送風機に固まってくっついていましたが、残りは
こんな感じでぼよんぼよんとその辺を浮遊しています。

「部屋から出て行ったらどうなるんだろうね」

と言っていたら、その端から一つが部屋から出ていきそうになり、
そのとたん係員が飛んできて連れ戻していました。

1日風船が出て行かないか見張っている係にとっては、
夢に出てくる光景なんじゃないでしょうか(笑)

「これは・・・」

「どうみてもあれでわ」

なぜアンディ・ウォーホル美術館にキース・ヘリングの象がいるかってことなんですが、
アンディとキース・ヘリング、そしてジャンミシェル・バスキアが仲が良かったと。

「basquiat andy warhol keith haring」の画像検索結果

そういうことなんですな。
ちな1958年生まれのキースはわずか31歳でエイズで死に、
ウォーホル死後、キースより若かったバスキアも、アンディの死の翌年、
わずか27歳でヘロイン中毒で死んじまったという・・・。

なんだかアンディが二人を気に入って連れて行ってしまったみたいな。

アンディ・ウォーホルの愛犬だったばっかりに、剥製にされてしまいました。

ウォーホル本人の希望なんでしょうねえ。
いくら往年の姿を留めておきたいと言っても、
中身のことに思いを馳せないのはなんといいますか。

日本に行ったときに買ってきたらしいお土産の般若や大黒様能面があったり。
もうこの辺は本人も覚えていないような持ち物の展示です。

よく物を捨てられない人が、

「将来俺の博物館ができたときに飾るためにとってある」

なんてことを言いますが、(例*TOの兄、MK)
ウォーホルも持ち物をいやっというほどためこんでいたようです。

彼の場合は本当にそのつもりだった可能性はありますね。

ウォーホル、香水はエキゾチック系がお好きだった模様。
「オピウム」も一時日本で流行ったことがありましたよね。

カルバン・クラインのサイン入りカルバン・クラインのパンツ。

「バックトゥーザフューチャー」を思い出した(笑)

この部屋はまだまだあるらしい所蔵品倉庫らしいのですが、
その隅っこにライオンの剥製がありました。

この箱の全ては本人が梱包してしまったものらしいです。
開けるに開けられないのかも。

これはなんだろう、と注目したらたんなるスイッチでした。

宗教関係の作品。
実はああ見えて?ウォーホルは敬虔なキリスト教徒でした。
教会に毎週行くとかそういう方向の敬虔ではなかったような気もしますが。

巨大な「最後の晩餐」は何を思ったか一枚のスクリーンに二枚刷ってあります。

というわけで、7階から1階まで降りてきて全部を見終わった訳ですが、
先入観で面白くないと決めつけてしまってすみません、と思いました。

彼の作品そのものよりもその人生を浮き彫りにするような展示が多く、
実に興味深くてまたいろんなろくでもないことを考えさせられました。

ピッツバーグにくると、こういう売店に必ずある
「ミスターロジャース」のグッズ。
晩年を過ごしたのがピッツバーグだったということのようです。 

「ミスターロジャースのネイバーフッド」という番組は、
わたしたちがアメリカに住んでいた頃放映されていたので
MKと一緒にわたしもずっと観ていました。

亡くなったとき、「アメリカの一番良い人」と言われていたのが忘れられません。

ヘリング、バスキアがゲイだった関係か、
LGBTについて理解を深めるための絵本があったりします。

しかし、「子供のためのゲイとレズビアンの歴史」っていうのも
すごいタイトルだなあと思ったり。
ちなみに表紙の写真一番左はハーヴェイ・ミルクですね。

わたしたちが住んでいた頃はまだ、面と向かって
あなたはゲイですか、と聞くのはマナー違反だということになっていましたが、
今はどうなんだろう。
ずいぶんその頃に比べるとオープンになってきたという気はしますが。

ここにきたら訪れたいリストの一つ、「ヌードルヘッド」にいきました。
「ヌードルヘッド」とは「ヌードル好きすぎて辛い」(意訳)という意味です。

わたしはいつものパッタイを頼みました。
ここの素晴らしいところは具に入れるものが鶏、エビ、肉から選べて、
さらに辛さをゼロから3までの段階で指定できることです。

わたしはこのときゼロと言ったはずなのですが、間違えたらしく
赤いものが混入していて結構辛かったです。

アメリカの飲食店はたくさん出てきますが、食べ残しても
紙パックをくれるので、持って帰ることができます。

この日のパッタイも次の日ホテルで加工して食べました。

また別の日、MKがお勧め?のアレゲニー川沿いの一角に行ってみました。
昔この辺を汽車が走っていた頃、生果卸売市場があったところです。
ストリップ・ディストリクトといい、商店街になっています。

これはセント・スタニスラスチャーチというカトリック教会。
聖堂が建築されたのは1891年だそうです。

1月すぎても街にはこのようなキリスト生誕の人形があちこちにあります。
「キリストをクリスマスまでキープしてください」
と看板にありますが、過去持って行かれたことがあるんでしょうか。

イタリア系移民がやっているピザレストランに期待していきました。
ここのピザクラストはフワッフワでまるでパンのようです。
ちょっとトマトが酸味がきつかったですが、おいしかった!

続いてお茶の専門店を覗いてみました。
信じられないほどの種類のフレーバーコーヒーの豆を売っていて、
紅茶の葉も扱っています。

店内でもお茶が飲めるので、わたしはカフェオレを飲みながら
紅茶の葉を物色し、ディカフェインのバニラティーというのを選びました。

知らない土地の街歩きで良いお店に出会えるのが気ままな旅行の醍醐味です。

 

続く。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2815

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>