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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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海に還った「スレーター」艤装艦長〜USS「スレーター」

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第二次世界大戦中の護衛駆逐艦「スレーター」艦上見学ツァー、
甲板階(メインデッキ)から一階上に上がり、
「スーパーストラクチャー・デッキ」(上部構造物階)にやってきました。

ここを「01レベル」ともいいますが、この艦首寄りには、
ラジオシャックと呼ばれる無線室があり、シップズ・オフィス(事務室)、
そこに隣接してキャプテンズ・ステートルーム、艦長室があります。

まずはオフィスをご覧いただきましょう。
ここは「ヨーマン(Yeoman)」と呼ばれる書記下士官と、
「パーソナルマン」ら事務職員たちが仕事を行うスペースです。

パーソナルマン(PN)は、人事スペシャリストであり、入隊した人員に、
海軍の職業、一般教育と職業訓練の機会、昇進の要件、権利と
福利厚生に関する情報とカウンセリングを提供しました。

また、入隊者とその家族が特別な問題や個人的な困難を抱えていたら、
それを解決する手助けを行うのが任務です。

もう一人の事務職員である「ヨーマン」ですが、
米国海軍と米国沿岸警備隊では、陸上・海上に勤務し、
管理および事務作業を行う係です。

彼らはプロトコル、海軍からの指示、勤務評価、士官の健康レポート、
海軍からのメッセージ、訪問者、電話と郵便(通常と電子の両方)を扱います。

ファイルを整理し、オフィス機器を操作し、オフィス用品を注文して配布し、
ビジネスレターやソーシャルレター、通知、指示、書類、レポートを書きます。

具体的に言うと、給与記録、訓練記録、未払休暇手当など。
つまり乗組員のすべての人事記録がここで処理されました。

 

ところでヨーマンは、すべての艦乗りが友人になりたいと望む人気者です。
なぜなら、「リバティ・パス」を発行するのは彼だからです。

リバティ・パスってなんですか?
というと、それはあなた、あれですよ上陸許可。

リバティ・パスは、つまり就業しなくていい許可のことです。
パスの種類は二種類あって、まずそのひとつがレギュラーパス。

通常の勤務時間後に発動し、翌勤務日の勤務時間の開始時に停止します。

土曜日と日曜日はこれに含まれないので、週末と合わせると
最大4日間まで連休を取ることができます。
(ただし4日をこえてはいけない)

4日の休みをとったときたとえばそれが土日月火だった場合、
月曜日は有給休暇であるとみなされるそうです。

もう一つのパスがスペシャル・パスです。

上司は、有給休暇、再入隊、特別な承認などの理由があれば
このスペシャル・パスを付与します。
このパスの最長期間は3日間または4日間です。

「liberty pass」の画像検索結果

こちら、USS「シアトル」のリバティパス。
最後に

「このカードをなくしたら懲戒対象です」

と怖いことが書いてありますね。

「liberty pass」の画像検索結果

こちらUSS「ノースキャロライナ」。

「許可された上陸以外に使ったり、記名されている者以外の使用は犯罪です」

ですって。

「liberty pass」の画像検索結果

なんと不思議な、艦名(USS『カリフォルニア』)が手書きになってる。
このリバティパス、どうも好事家のコレクション対象になっているらしく、
オークションなどでしょっちゅう取引がおこなわれているようです。

「タイコンデロガ」とか「ミズーリ」などのビッグネームだと
同じカードでも値打ちが高くなるとか、そう言う世界かもしれません。

 

ところで乗員がヨーマンからいただいたパスで機嫌よく上陸しているときも、

「リコール(帰隊命令)」「ユニットアラート」「ユニットイマージェンシー」

などの運用上のミッション要件が発生した場合、直ちに帰隊せねばなりません。

これは自衛隊でも全く同じ条件だと思います。
自衛官は許可なく海外旅行をすることはできませんし、
たとえば横須賀勤務だと、いざと言う事態が予想されるときには
東京にすら行かないと決めていた自衛官の話を聞いたことがあります。

そして、これも自衛官の皆様なら常識ですね。

「公務を不在することを許可されているときにも
常に身分証明書を所持している必要があります」

「トッカグン」の「自衛隊の彼女あるある」でいってましたが(笑)
自衛官の彼氏は身分証明書をいつも確認しているんだそうですね。
なくしたりしたら大変なので、パスケースをいつも肌身離さず
鎖などで繋いで持っていたりするんだとか。

 

さて、「スレーター」のオフィスに話を戻しましょう。

艦艇の航路、速度、位置、その他諸々のデータを記録して
それを最終的に決定版として仕上げた「スムーズ・ログ」がここで入力され、
司令官の通信も処理されました。

もうひとつついでに、この「ログ」についても説明しておきます。

まず一般的に航海日誌のことを「ログブック(logbook)」といいますが、
それとは別に「船のログ(ship's log)」には艦艇の運行データの記録として、
天候とか、日常業務の内容、突発的な出来事の記録、乗務員の交代、
寄港した場合などの日時が記されます。
これらは毎日一回以上記入されることになっています。

これらは万一、船の無線通信、レーダー、今日ならGPSが故障しても
航海が続けるために必要な情報となる他、海難事故などの審判があると、
詳細な記録の全てが重要な証拠として提出されることになります。

海軍艦艇も民間船と同様に、まず、航行などに関わるデータを
「ラフ・ログ(rough log)」「スクラップ・ログ(scrap log)」
と呼ばれる下書きに記録し、それを「スムースログ」に書き写して
決定版を作ることになっています。

「スムース・ログ=オフィシャル・ログ」
となる最終版なので、その記述を消去するなどということは許されません。
万が一、変更や修正が加えられる場合には、権限のある者、
たとえば「スレーター」なら艦長が自分の名前の頭文字を入れて
訂正部分や消去した部分がわかるようにして残すのが規則となっています。

もしかしてこのオフィスが艦長室の隣にあるのは、このためかもしれませんね。

ちなみに艦のオフィスはこんな感じで仕事が行われていました。
みなさんいかにも文系武官らしい雰囲気です。

 

また艦内にはサプライ、つまり補給部門事務所が別の場所にありました。
(『スレーター』では展示されていない)
ここでは、補給処が艦上で重要な物流と供給サポートを処理したり、
弾薬やスペアパーツから食料や衣服まで、補給のすべてを管理していました。

 

信号旗、何かわからないけど何かに空気を入れるための器具、
製図道具など、じつにいろんなものがここにありました。

ここは通信室と呼ばれるコーナーだと思います。

これはピッツバーグの「レクィン」の展示をみに行ったときに
展示してあった、信号銃です。
「スモークオンザウォーター」の元になったあれですね。

下にイコンがありますが、ロシア正教の乗員がいたんでしょうか。

 

 

さて、事務室のとなりにあってひとまわり大きな部屋。
もちろんここがキャプテンズ・ステートルーム(艦長室)です。

艦長室はもちろんのこと、全キャビン(乗員居室)中最大の広さです。
自分だけが使えるバスルームと独立した「ヘッド」(トイレ)、
シンクもシャワーもすべて艦長専用です。

その特権は「ウルトララグジュアリー」の貴族階級にも等しいものでした。
とにかく「ヘッド」を独り占め(ベッドじゃないよ。トイレだよ)
というのが羨ましがられる点です。

トイレとバスは残念ながら見学者には見えませんが、
艦長室より艦首寄りに、独立した個室として設置されています。

艦長居室は執務室としても機能しますから、立派なデスクも完備。
デスクには必ずといっていいほど家族の写真が飾ってあります。
キャビネットも制服を収納する大型の洋服ロッカーももちろんあります。

戦時中「スレーター」は6隻からなる護衛師団の旗艦を務めたことがあります。
その際、この個室は艦隊司令によって使われることになりました。

そうなると艦長は選択の余地なく、士官たちを彼らのキャビンから追い払って
自分一人でそこを占有しました。(艦長と他の士官との同居はあり得ないのです)

もちろん追い出された士官たちは再編成され、
あちこちに分散して寝ることになりました。

 

「コマンディングオフィサー」(CO、司令)は通常「キャプテン」と呼ばれますが、
大抵の場合ランクで言うところのキャプテン=大佐ではなく、
予備中佐(Reserve Liutenant Commander)または中佐(Senior Liutenant )でした。

第二次世界大戦中を通して「スレイター」の艦長を務めたのは
ニューオリンズ出身のマーセル・ブランク中佐でした。

Marcel Blancqという名前はフランス語圏がルーツでしょうか。

紹介のページには

「彼はプランク・オーナー(The PLankOwner)であり
1945年秋、『スレイター』が日本勤務になるまで指揮をとった」

とありますが、この「プランクの所有者」の意味は、
アメリカ海軍で艦艇乗務経験があるか、沿岸警備隊で
カッターに乗っていた者に対する尊称のようなものです。

もともとは艦の艤装に関わった乗員だけに適用されましたが、
最近では範囲が広くなり、艦艇に限らず、新しく発足した部隊、
あるいは新しく創設された軍事基地の最初のメンバーを指したりします。

つまり、ブランク艦長はプランク艦長(シャレ?)、
つまり「スレーター」艤装艦長でもあったということを意味します。

 

上の艦長室の写真でベッドの上を見ていただくと、
そこにはブランク艦長に敬意を表して、彼の写真が飾ってあるのが確認できます。

デスクの上の写真はブランク艦長の妻と娘のものです。

戦争が終わった後、ブランク艦長は海軍から
マーチャント・マリーン、アメリカ合衆国商船組合で
民間商船にキャリアを移し、海の上の任務を再開しました。

マーチャントマリーンに所属する限り、戦時下においても、
彼らは米国海軍の補助機関となり、
軍隊に兵員や資材を届けることを義務としています。

また、商船海兵隊将校は、国防総省から軍の将校に任命されることもあります。
ブランク艦長はこの逆コースを行ったわけですね。

 

マーセル・ブランクが亡くなったのは2002年のことです。

家族はブランク艦長の遺灰を「スレーター」の甲板から散骨し、
生涯「海の男」だった彼を海に還してその魂を悼みました。

 

続く。

 


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