ピッツバーグの「ソルジャーズ&セイラーズ・メモリアル&ミュージアム」は、
今ではピッツバーグ大学の施設の一つになっています。
どう考えても教育施設ではないので、もしかしたら目当ては、ここの
地下の駐車場をいざとなれば確保するためか、と疑っています。
というのは、ピッツ大ほど古いと、たとえば卒業式などで大量に人が集まるとき、
車を止める場所が学内だけでは足りなくなるんですよね。
たかが駐車場のためにそこまでするか?という説もありますが、
この大学、規模が大きく、その分金持ちなので、全く不思議ではありません。
ちなみにピッツ大は全米でもトップに数えられる医学部を持つ名門校ですが、
その優秀な医学部の大学病院は、市中と郊外に、診療科目単体だけで
少なくとも慶応や北里などよりはるかに大きなビルディングを持っています。
病院全体でいうと89,000人の従業員、8,000を超えるベッドを備えた40の病院、
外来施設や医師のオフィスを含む700の臨床施設、370万人の医療保険部門と、
もはや大学を離れた巨大医療企業となっているわけです。
大学関連の施設の多さもたいへんなもので、ダウンタウンを走っていると
目抜き通りに面して日本のコンビニの5倍くらいの床面積のスクールショップ
(大学名のロゴが入った衣料品などを売っている店)がいくつもあったり、
独立した学生用のドーム(ドミトリーから来た寮の呼び方)があったりします。
驚いたのは、わたしがこの夏の滞在のために予約していたキッチン付きホテルが、
短期間の間にピッツバーグ大学に借り上げられて学生寮になっていたことでした。
冬に滞在したのと同じホテルを予約してすぐ、ホテルから「事情があって泊まれなくなりました」
とキャンセルを命じてきたので、急いで他の同系列ホテルを取り、
「隣が養老院なのでコロナのせいで行政指導があって予約をやめたのに違いない」
などと考えて納得していたのですが、真実は斜め上でした。
たまたまこのホテルの前を通ったら、なんとホテルの看板の代わりに
ピッツバーグ大学の学生寮の真新しい看板が立っていたのです。
わたしが予約した後、大学はホテルと契約し、借り上げてしまったのです。
おそるべしピッツ大。
アメリカ滞在中にローカルニュースで、ホテルの部屋に住んでいる
ピッツ大の学生がインタビューに応じていて、
「快適です。なんたってテレビがあるし」
などと言っているのを見て納得しました。
コロナ対策でドームの部屋を一人一部屋にした結果、今までの
2倍以上の部屋が必要になったというわけです。
閑話休題、そのピッツ大の所有となっているところのSSMMの展示、
開館のきっかけとなった南北戦争の資料をご紹介します。
一つのケースに、ジェームス・マクフィーター大尉という
ピッツバーグ出身の士官の軍服と「ポークパイスタイル」の帽子が展示してあります。
戦闘の時に裾に銃弾が通過した痕があるのだそうですが、
写真では残念ながらそれを確認することはできません。
それより、わたしがまたもや目を止めたのはこのガラスケースの隅っこに、
ポークパイ・スタイルの帽子をかぶった犬のぬいぐるみが
またもや登場したことです。
南北戦争展示の最後に、このようなコーナーが現れました。
犬を中心とした「軍隊と動物」関係の資料です。
と思ったらここにもいた!
タグが見えるように展示されていたことで、この犬がやはり南北戦争時代の
ペンシルバニア連隊のマスコット犬「ドッグ・ジャック」であることがわかりました。
彼の「戦歴」はこのように記されています。
ペンシルバニア第102連隊所属
「ヨークタウン包囲」「ウィリアムスバーグの戦い」
「フェアオークスの戦い」「ピケットの戦い」
「マルバーンヒルの戦い」(負傷)
「第一次・第二次フェレデリクスバーグの戦い」
「セーラムチャーチの戦い」
(捕虜になり、その後南軍との捕虜交換協定により原隊に復帰)
当SSMMではドッグ・ジャックをマスコットにして、このような
ぬいぐるみを販売していたようです。
ジャックありきでこの軍用動物シリーズコーナーができたのかもしれません。
古今東西、軍隊という組織にはマスコットがつきものでした。
アメリカの兵士達にとってこれらの友人たちは、
階級社会の中で無償の愛情の対象である特別な存在です。
南北戦争時代、ピッツバーグの兵士たちには第102連隊の
最も有名なマスコット、ブルテリアの「ジャック」がいましたし、
またペンシルバニア第11連隊の「サリー・アン・ジャレット」という犬は
ゲッティスバーグで戦死後、ブロンズ像となって永遠にその名をとどめています。
The Story of Sallie the Dog at Gettysburg
子犬の時から連隊育ちだった彼女は、ゲティスバーグの戦闘で最前線で
「猛烈に敵に吠え」
て戦いました(涙)
部隊で数年間、常に前線にあって負傷しながらも生き残った彼女は
終戦の3ヶ月前、ハッチャーランの戦いについに斃れました。
戦死する前の晩、彼女は不吉を訴えるように鳴き続け、それで
何人もの兵士が眠りから起こされたといいます。
彼女が頭部に弾丸を受けて即死したのは次の朝のことです。
激しい砲火で立ち止まっては危険な戦場にもかかわらず、
数人の兵士たちは彼女の遺体を倒れた場所に埋葬し、目標を置きました。
また、猛禽類をペットにしていた連隊もあります。
ウィスコンシン第8志願連隊では、「オールド・エイブ」(Abe、アベじゃないよ)
というリンカーンリスペクトな名前のハクトウワシをペットにしていました。
エイブは敵に羽を広げて威嚇することで戦闘に参加していたそうです。
その後、アメリカ陸軍に第101空挺隊が誕生した時、
エイブは連隊のマスコットとしてそのイメージが継承されました。
エイブ先輩。剥製か?
エイブをあしらった第101空挺隊のインシニアが真ん中に見えます。
現在の101空挺隊のマーク
南北戦争の間、兵士たちはそれこそいろんな動物を隊のマスコットにしていました。
記録に残っているのは、犬猫鳥以外に猿、ヤギ、レパード、ラバなどです。
猿、犬、ウサギ、鳥?を一人で抱き抱える軍艦の水兵。
上に書かれた英語はひとつのことわざで、
「ガチョウにとっていいことはガンダー(雄の鵞鳥)にとっても良い」
雌のガチョウにとって良いことは、雄のガチョウにとっても同様に良いことだ=女性にとって良いことは、男性にとっても同じように良いはずだ ある人にとって何かが良い場合、それは他の人にとっても同じくらい良いはずだ
という意味があるそうです。なるほど。
まだどうでもいい知識を得てしまった・・・。
とにかく、そこに兵士がいる限り、必ず動物のマスコットが存在していました。
そして、それに合わせて?彼らの姿を部隊章に表しました。
たとえばこの尻尾を膨らませ、爪を立てて戦闘態勢の黒猫は、
第一次世界大戦の戦車部隊の
Treat'em Rough(奴らを乱暴に扱え=やっちまえ)
という募集ポスターから生まれました。
第一次世界大戦の時に生まれたアフリカ系ばかりからなる
第92部隊、通称「バッファロー小隊」のマークです。
彼らを最初に「バッファロー」と呼んだのは、彼らが最初編成され
戦った相手のネイティブアメリカンの兵士たちでした。
彼らの髪や肌の色がバッファローを想起させたからということです。
上は1918年、ボルシェビキ革命の後連合軍の一部としてロシアに派遣された
中西部の部隊が使用していた肩パッチで、シロクマのつもりです。
下は走るグレイハウンドを象った第一次世界大戦時の郵便部隊のマーク。
冒頭写真は軍用犬のトレーニングを行う専門の部隊の兵士と犬ですが、
彼と同じ制服がここに展示してあります。
犬の使っていたハーネスやメガネ(毒ガス用?)もマネキンに装着して。
まずこの犬のマネキンが装着している装具の説明をしておきますと、
これらはすべて現在のアメリカ陸軍に所属する軍用犬仕様となります。
換気用ベントが付いた犬専用空冷ベスト
「マット・マフ」(Mutt Muffs)、繊細な犬用イヤーマフ
Muttは犬という意味がある
「ドッグルス」(Doggles) 砂漠地帯での勤務で砂埃から目を守る
「マットルクス」(Muttluks) 肉球保護パット
地面に鋭利なものが落ちているような場所で装着
42nd Dog Scout Dog Platoon One
冒頭写真でケネス・ホーンが着ていた第42斥候犬小隊1の制服です。
ホーンは第二次世界大戦後、占領後のドイツに駐留している時
第42斥候犬小隊(ISDP)に所属して、その間ジャーマンシェパードの
「アレックス」と行動を共にしていました。
連日彼らは訓練と任務を行い、人犬一体の軍隊生活を送ったそうです。
アレックスとケネス
1949年、第42 ISDPは、待ち伏せ、ブービートラップ、その他の
危険な状況を早期に警告する手段として発足しました。
ホーンとアレックスはチームを組んでドイツ国内のアメリカ軍基地を巡回し、
他の斥候犬のためにデモンストレーションを行いました。
もはや夫婦です
軍用犬訓練の基本。
「根気強く同じ命令を繰り返すこと」
「ちゃんとできたら必ず褒めてやること」
「命令を無視したり任務に失敗するのは許されません」
「根気強く行わなくては皆無駄になります」
正装した第42ISDPの人犬一体な野郎ども。
人犬一体な野郎ども部隊全体。
最後列の右から2番目の犬、さりげなくサボってんじゃねー(笑)
ここに軍用犬の役割が箇条書きされていました。
「戦闘」
「兵站司令」(Logistics and Command)
「医療救護」
「追跡と捜索」
「斥候」
「見張り」
「法の執行」(Low Enforcement)
「薬物&爆発物捜索」
「威嚇」
「兵站司令」と「法の執行」がよく分からないのですが、最後の
「威嚇」はわかります。
アフガンで囚人にやっていたあれですね。
アメリカ軍では遡れば独立戦争から軍用犬を採用していました。
最初は文字通り「ペット」感覚だったのが、第一次世界大戦では
塹壕でネズミを退治させるなどという「任務」を課すようになります。
第二次世界大戦は多くの犬が軍事行動のサポートを行うようになりました。
アメリカ軍では1万頭が斥候、見張り、伝令、地雷の探索に動員されました。
現在アメリカ軍では全部で200匹の犬がイラクとアフガンに
パトロールと薬物検査を行うために派遣されており、軍全体では
その10倍以上の犬が同様の任務を世界中で行なっています。
911以降、空軍でも検査犬の数を増やし、主に爆博物の探知のために
特別な訓練を行う部隊を創設して対処しています。
さて、人犬一体の熱々カップルだったホーンとアレックスが別れる日がやってきました。
楯と首輪、そして櫛だけが、ケネス・ホーンが除隊するときに持って帰ることができた
アレックスの思い出の品でした。
あまり知られていませんが、ノルマンディ上陸作戦にも犬は参加していました。
ボートが近くまで岸に待機して、ちかづいて来る兵士皆にむかって
励ますように吠え、数フィート、彼と一緒に歩いてくれます。
そしてこの場に自分が必要とされていないと感じると、
空のボートまで駆け戻り、そこで自分を必要とする人々をまつのでした。
イラクの自由作戦
空挺犬
戦場に犬がいなかった時代はありません。
ちなみに上の左から2番目の犬は、亡くなった主人(水兵)を悼んでいます。
後ろにあるゴールドスターのバナーは、この家の出征した兵士が
戦死したということを表しているのです。
右上、防空眼鏡にレインコートのシェパード。
ちゃんと尻尾の形にあわせてコートが仕立てられているのが笑う。
ポケット犬
最後に、認識表のことは一般的に「ドッグタグ」と言われてきましたよね。
ドッグついでに説明しておくと、「ドッグタグ」とは1906年、
陸軍が各兵士に個別の金属識別デスクを発行し、それ以来米軍の装備の一部になりました。
それ以前は、兵士には軍の身元を特定する手段がほとんどなかったのです。
この時発行されたメタルの認識票はドッグライセンス・タグを連想させ、
兵士たちはすぐにニックネームとしてこれを「ドッグ・タグ」と呼ぶようになりました。
しかし現在では発祥地のアメリカでも「ドッグ・タグ」という言葉は使われなくなっています。
続く。