スミソニアン博物館の第一次世界大戦の航空に関する展示も
そろそろ終わりに近づいてきましたが、ここに謎の展示がありました。
ポストが・・・・。
おそらく、1910年代のイギリスのポストではないかと思われます。
たまたま手に入ったので市街地の展示のついでに飾ってみました的な?
■ ロイヤル・エア・フォースの誕生
当時のロイヤルエアフォースの入隊勧誘ポスターです。
「ロイヤル・エア・フォースに来たれ!
そして彼らの栄誉と栄光を共有しよう
年齢 18歳から50歳まで
給与レートは1日につき1/6から12/-まで
自発的にロイヤルエアフォースに加わった場合、
自分の同意なしに陸軍もしくは海軍に移転することはできません」
しかしどうも最後の文章が謎ですね。
これどういう意味なんでしょうか。
「自分自身の同意なくして」ということは、空軍に入ったつもりなのに
いつのまにか陸軍で塹壕掘らされたり、海軍でマストに登らされたり、
そういうことには決してなりませんからご安心ください、という意味かな?
なにしろイギリス海軍というのは港港でめぼしい少年を拉致して
むりやり軍艦に乗せて働かせていたというブラックな前科があるもので、
こういう心配をされてしまってるってことなんですかね。
だとしたら海軍も自業自得って気もしますが、ちょっと驚くのが、
これがリクルートの強力な誘い文句になっていたらしいという事実です。
さて、それはともかく、世界最古の空軍がロイヤル・エアフォース、
イギリス王立空軍、RAFであったということをご存知でしょうか。
そしてその形成はというと、ドイツの行ったイギリス都市部への
戦略爆撃キャンペーンのもたらした最も重要な結果だったとされます。
1915年から1917年のツェッペリンの襲撃の間、英陸軍と海軍の司令官は、
国防任務の前線から航空機をそちらに回すことを嫌い、抵抗していました。
しかし、前回までにお話ししてきたような、特に1917年の夏に
行われたドイツ軍の白昼攻撃は、全てのイギリス国民に衝撃を与え、
ここでついに政治家が動きだすという事態になってしまったのです。
大衆の今後の攻撃に対する不安と恐怖、そしてリベンジを望む気持ち。
これらにに応える意味もあって、英国を航空攻撃から守るために、
そしてドイツの都市に報復爆撃を行うために政治主導でRAFは創造されたのでした。
はーそうだったのね。
実はわたくし、これまでドレスデン空襲について、あるいはイタリアの
モンテカッシーノの空襲について、どちらかというと判官贔屓的?に
これら連合軍の民衆虐殺を汚点のように思っていたわけですが、
それは連合軍側に言わせると、先にやったのはどいつだ?ドイツだ!
という・・・つまりやられたからには倍返し、ということだったのですね。
何度もいうように戦争にどちらが悪いも正しいもないと思うものの、
こと都市爆撃については、先にやっちまったのはちょっとまずかったかもしれません。
このポスターではRAFとドイツ軍の戦闘機の一騎討ちが行われており、
おりしもRAFの戦闘機の銃弾がドイツ軍パイロットを撃ち抜き、
双手を上げて「やられた」モードになっているところが描かれています。
都市への大々的な爆撃で近しい者を失ったりした場合、この絵のように
ドイツ人に復讐してやりたい、という動機で入隊する男性も
決して少なくなかったのかもしれません。
そして憎しみのエンドレスサークルは形成されていくと・・・。
■ 王立飛行隊とパラシュート
RAFが爆誕したのは1918年4月1日。
デビューするなり世界最大の空軍となりました。
それまでの世界では独立した空軍は存在せず、陸軍、あるいは
海軍のもとに航空隊があるというのが趨勢だったのです。
イギリスにはそれまで1912年4月に誕生していた陸軍の
王立飛行隊 The Royal Flying Corps RFC
があり、戦争の初期には砲兵隊への着弾位置を調査する任務、
そして写真偵察によって軍を支援していました。
当時、王立飛行隊は5つの飛行隊、つまり観測気球飛行隊と、
4つの航空機の飛行隊で構成されていました。
このころ王立飛行隊の気球隊で使用されていたのは、
カルスロップ ガーディアン・エンジェル パラシュート
the Calthrop Guardian Angel parachute
というその名前も麗しいパラシュートでした。
もちろん素材は違いますが、基本的な形はこのときに完成されています。
この会社の広告には、イタリアの有名なパラシューター(っていうのかな)
シグノール・グラヴァーニャという人が事故で死んだことについて
こんな風に書いてあります。
彼はパラシュートが開かず、2400フィートの高さから落下しました。
広告ではまず、
パラシュートが確実に開く装置と索の絡まり防止機能がないことを、
落下傘で降下する者はいつ気づくでしょうか。
そんな運命は彼らに起こりうる出来事なのか、それとも必然なのでしょうか。
宇宙の法則とは次の通りです。
「起こるかもしれないことは、かならず起こる」
もし誰かのパラシュートが開くのに失敗ししたとすれば、
それはいつかまた必ず起こるのです。
と脅かしておいて(笑)
ガーティアンエンジェル製パラシュートは100%開傘する、
という記録があります。
当社の製品は自動開傘にに失敗したことは一度もありません。
当社特製の「ポジティブオープニング」と、200フィート以上の高さからでも
パラシューターを安全に着地させるために、索には
常に信頼できる「もつれ防止機能」が備わっています。
ガーディアン・エンジェルの理念をご理解いただき、実際に
それらを試したら、もう他社のパラシュートは使わないでください。
「信頼性」 最初も 二度目も そしていつでも
今でも使えそうなコピーですね。
飛行機は落ちても文字通りあなたの「ガーディアンエンジェル」が、
あなたの身をそっと優しく地面に運んでくれるのです。
てか?
さて、何故長々とガーディアンエンジェルの話をしてきたかというと、
このガーディアンエンジェルという会社を興した
エバート・カルスロップという人が最初にパラシュートを考案し、
特許を取って王立飛行隊に最初に提供し、テストしてもらったからです。
カルスロップはもともとというか本業は鉄道技術者なのですが、
友人だったロールスロイスの創始者の一人、チャールズ・スチュアート・ロイスが
乗っていたライトフライヤーが墜落して32歳の若さで死亡したことから、
航空機事故でも助かる方法を模索した結果、この発明で特許を取ったのです。
ちなみに、ロイスは動力飛行機事故で死んだ最初のイギリス人となりました。
さて、王立飛行隊でのテストは1915年に行われたのですが、なんと
この発明に対する王立飛行隊の見解は、
「パラシュートはパイロットの戦闘精神を損なう可能性がある」
というもので、そのため採用を拒否したというから驚きです。
こう言ってはなんですが、大東亜戦争の時の我が日本軍みたいですね。
イギリス人ってもう少し合理主義的な国民だと思っていたんですが。
そしてこのため、第一次世界大戦中はRFCが海軍と併合して
空軍になってからもパラシュートは最後まで採用されませんでした。
ただし、飛行船では普通に使われ、それで何人もの命が助かっています。
実は飛行機に搭載されない実の理由は、「敢闘精神」ではなく、物理的に
当時のパラシュートは重たくて積み込めなかったというものだったという噂も。
あれ?ということはイギリス人論理的なのか。
ついでながら、王立飛行隊は陸海軍によ合同で創設されたので、
当初内部では陸軍ウィングと海軍ウィングに分かれており、
それぞれの指揮官の統率のもとに動いていたわけですが、
海軍は陸軍とまったく優先順位が違ううえ、王立飛行隊内部で
陸軍より大きな権限を持つことを要求したため(やっぱり)
王立飛行隊から分離して「海軍飛行隊」(RNAS、ロイヤルナーヴァルエアサービス)
という別組織となっていました。
空軍創立の際はそれがもう一度統合されることになったわけですが、
さぞかし最初は陸海出身者の覇権争いが熾烈だったのではないかと(´・ω・`)
まあ、どこの国にも見られた「Same Old cliché」ってやつですか。
■ ロイヤルエアフォース国防基地
ロイヤルエアフォースのホームディフェンス・エアフィールド、
つまり国防航空基地がここに再現されていました。
さすが第一次世界大戦の頃とあって、全体的にのんびりしているというか、
機械の類がほとんど見られず、空軍基地というより郵便局長の執務室みたいです。
これは1918年5月のある日、という設定となっています。
イギリス本土に対するドイツ軍の空襲を受けて、王立飛行隊と
(そこから独立していた)海軍飛行隊が統合され、統一の指揮下に置かれました。
それがロイヤル・エア・フォース、王立空軍です。
RAFの地上統制官(まだ王立飛行隊の陸軍のカーキ制服を着ている)
は、飛来してくるドイツ空襲部隊の飛行機の数、コース、そして
予想されうる爆撃目標についての情報を受け取り、それから
それを基地に待機している戦闘機パイロットに伝えます。
ここにいる女性はWAAC(陸軍女性補助部隊、Women's Army Auxililary Corps)
から転属してきたため、RAFのエンブレムを付けています。
彼女は情報筆記係と派遣するパイロットに連絡を取り続けます。
1918年の5月までに、防衛飛行隊は無線送信機を使用して
ドイツ軍の爆撃機を迎え撃つイギリス軍の戦闘機パイロットを
誘導するという実験を行っていました。
当初パイロットは地上から指示を受け取れても応答はできませんでしたが、
戦争が終わるころには戦闘機側無線送信もより範囲が広くなっていました。
■ 航空戦力の「預言者」たち
新世代の爆撃機たちーマーティンB-10を含む新世代の爆撃機は、
戦後約10年で導入されました。
それらの一部の航空機は、空軍力の預言者による未来を実現していました。
戦後、影響力のある航空擁護者のグループの発言が世間に広がりました。
彼らは、戦争についての伝統的な考えはすでに時代遅れであり、
陸上で人を戦わせるような「費用のかかる」世界大戦はもう時代遅れだと信じていました。
ジュリオ・ドゥーエ将軍
「一般に、航空攻撃による『犯罪』は平時の産業および
商業施設などの標的に対して向けられます。
民間および公共の重要な建物; 輸送の動脈線、そして民間人居住地区も同様に」
最初の航空力の預言者、それはジュリオ・ドゥーエ大佐でした。
第一次大戦の限定された戦略爆撃はイタリア軍のドゥーエ大佐に
深い印象を残すことになりました。
ドイツ軍のイギリスとイタリアに対する爆撃キャンペーンは
オーストリア=ハンガリー帝国にも反映されることになり、
この結果、ドゥーエ大佐は、総力戦争のストレス下にある社会は
空爆により崩壊すると結論付けたのです。
そこで彼は空軍で攻撃を行い、地上で防御を行うという戦略を立てました。
航空戦力により空中から敏速に決定的な破壊攻撃を連続し、
敵の物心の両面の資源破壊により勝利すべきという主張です。
これからの戦争は兵士、民間人に区別はない総力戦である。
空爆でパニックを起こせば、自己保存の本能に突き動かされ
民衆は自ずと戦争の終結を要求するようになるだろう。
これが彼の至った理論、つまり無差別爆撃の提唱でした。
ドゥーエ(真面目バージョン)
彼の理論は、1921年にイタリア空軍から出版されました。
しかし、彼の理論は爆撃機の破壊能力を誇張し、空襲に耐える
民間人の能力を過小評価していたということもできます。
サー・ヒュー・トレンチャード
「空軍が敵国を倒すために最初に軍隊を倒す必要はありません。
空軍は中間段階を省くことができ、敵の海軍と軍隊を通過し、
防空を攻撃し、敵の戦争努力が維持される人口、輸送、
通信の中心に直接攻撃することができます」
サー・ヒュー・トレンチャード将軍は「王立空軍の父」という人物です。
彼は、王立空軍の司令になった時、次の戦争に生き残るために
イギリスに必要なのは、敵の銃後を破壊するための強力な爆撃機集団であり、
敵住民の戦意と戦争継続の意思を低下させるための爆撃機による攻撃である、
だという主張をしました。
1919年、トレンチャードは、植民地の法と秩序は在来の守備隊よりも
機動力の優れた空軍によるほうが安上がりで効果的に維持できるとし、
植民地での使用の経済的効果にも言及しています。
彼ら預言者は、戦争の勝敗が空軍だけで迅速に決定される未来を想像したのです。
彼らの信念は、米陸軍航空隊と英国王室空軍の両方に採用され、
第二次世界大戦における戦略爆撃機の開発を促進していくことになります。
続く。