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スキャパ・フローの自沈艦隊とフォン・ロイター少将の決断 後編

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第一次大戦の敗戦後、連合国の戦利品にドイツ艦隊の軍艦が奪われる前に
艦隊司令であるフォン・ロイターは全部自分自身の手で沈めてしまいました。

「スキャパ・フロー」はヨーロッパでは誰でも知っている事件ですが、
こんな歌があるくらいですから、きっとわたし(個人)が思う以上に
この、「自沈艦隊」への決断は称賛されているのかもしれません。

Scapa Flow 1919

爽やかなカントリー風の曲調ですが、作者はスコットランド出身です。

また、現在は武漢肺炎の関係で閉館していますが、
「スキャパ・フロー博物館」というものもあるのだとか。

いずれもフォン・ロイター提督に「してやられた」側のイギリス側ですが、
これは、イギリス人全体の自沈への評価を表していると考えられます。

さて、それでは今日は後編として、沈んだ艦隊の現代にまで至る
「その後」についてお話ししましょう。

 

■ サルベージ

スキャパ・フローにあった74隻のドイツ艦艇は、戦艦16隻のうち15隻、
8隻の巡洋艦のうち5隻、50隻の駆逐艦のうち32隻が沈没しました。


艦腹を見せている「セイドリッツ」

残りは浮いたままであるか、より浅い海域に曳航されて浜辺に運ばれました。
曳航され浜に揚げられた艦艇は後に同盟海軍に分散されましたが、
沈没した艦艇のほとんどは最初はスキャパ・フローの海底に沈んだままでした。

 

なぜ放置されたかというと、当時はスクラップ鋼鉄が大量に余っていたため、
引き揚げの費用は利益にならず、割が合わないと判断されたのです。

終戦後、多くの軍艦が解体されました。

沈没したままになっていた艦艇については、航海に危険であるという苦情が
地元民から寄せられたため、1923年に回収会社が設立され、
沈没した駆逐艦のうち4隻が引き揚げられています。


バーデンで進行中のサルベージ作業

この頃、起業家のアーネスト・コックスなる人物が現れ、 海軍から
26隻の駆逐艦を250ポンド(現在の11,000ポンドに相当)で購入しました。

彼は、ドイツの古い乾ドックを使用して駆逐艦を浮揚させる作戦を開始し、
1年半かけて26隻の駆逐艦のうち24隻を引き揚げるのに成功し、
その後、より大型の船舶の作業を開始しました。

必要は発明の母とはよく言ったもので、彼はこのとき、水中の艦体の穴に
パッチを当て、空気をポンプで押し出して水を押しのけ、
水面に上昇させて牽引できるようにする新しい回収技術を開発し、
この技術を使用して、数隻の船を浮揚させることに成功しました。



しかし、この方法には滅法費用がかかることが判明します。
たとえば「ヒンデンブルク」引き揚げの費用は現在の金額で130万ポンド。


「ヒンデンブルグ」

おりしも1926年の石炭ストライキにより操業はほぼ停止しましたが、
コックスは代わりに、沈没した「セイドリッツ」から石炭を掘り出し、
ストライキの終わりまでそれを使用してに電力を供給しました。

しかし「セイドリッツ」の引き揚げで大惨事が発生します。

最初に浮揚させるための試みの間に再び沈没し、その際、
引き揚げ装備のほとんどが破壊されてしまいました。

しかしコックスは全くめげずにもう一度挑戦し、艦体ががに海面に現れたとき、
ニュースカメラにその瞬間の彼と艦を目撃するためそこにいるように命じています。

コックス

アーネスト・コックスという男はいつもシミ一つないお洒落な衣装で現場に現れ、
ポーズをキメて自分を撮らせるのが常でした。

まあ要するに「そういう風な人」だったということなのですが、
彼の「こんな人ぶり」を表すのがこの経緯です。

コックスがたまたまスイスに休暇に行っている間に、
問題の「セイドリッツ」は皮肉にも偶然浮き上がってきたのです。

するとコックスは、労働者に再び彼女を沈めるように命じ、
それからスコットランドに戻って、自分が見ている前で3度目の浮揚をさせました。
(もちろんニュースカメラもスタンバイさせていたに違いありません)

コックスの会社は最終的に26隻の駆逐艦、2隻の巡洋艦、
そして5隻の戦艦を調達することに成功し、残りの持分を鉄鋼業者に売却し、
その後引退しました。

彼に与えられた最後のキャッチフレーズは

「海軍を買った男」

会社は、第二次世界大戦の勃発により作戦が停止する前に、
さらに5隻の巡洋艦、巡洋艦、戦艦を取得しています。


■ 沈められた艦隊の「価値」

残りの沈没船は、深さ47メートルの深い水域にあり、それ以来、
それらを引き上げようとする経済的動機はしばらくはありませんでした。

しかし現在、彼女ら沈没船の所有権は幾度も変更され、小さな鉄片を回収するために
マイナーな回収がいまだに行われているのだそうです。

というのはこの頃の艦船からは最初の核実験「トリニティ(三位一体)テスト」
が行われた1945年以前に製造された低バックグラウンド綱
(核爆発の影響を受けていない大気中で組成されており、したがって
放射性核種で汚染されていない)が回収できるとわかったからです。

低バックグラウンド鋼はガイガーカウンターなどの
放射線に敏感なデバイスに使用されるため、スキャパ・フローは
限定的な用途とはいえ、宝の山といっても過言ではないのです。

2001年、海底に残っていた7隻は 1979年の古代遺跡および遺跡地域法 によって
保存されており、ダイバーはそこを訪問するためには許可が必要です。

 

ちなみに、前回お話しした、

「艦隊を沈めたロイターを呼びつけ、激怒しながら彼を非難した
フリーマントルとそれを『無表情で』見ていたロイターの図」

というのは1957年に亡くなったイギリス軍人ヒュー・デイビッドの目撃証言です。

David目撃者

当時HMS「リベンジ」乗組で、二人の提督が対峙しているのを、
デイビッドはわずか数フィートの距離で目撃しており、そのときのことを
手紙に残して歴史的な瞬間を記録してくれたというわけです。

デイビッドの証言については、BBCが特集を報道したこともあったようです。

 

最近の動きですが、2019年、3隻の戦艦「マルクグラーフ」「 ケーニッヒ」および
「クロンプリンツ・ヴィルヘルム」は、引退したダイビング業者により
ebayで中東の会社にそれぞれ25,500ポンドで販売されました。

巡洋艦「カールスルーエ」はイギリスの個人入札者に8,500ポンドで売却されています。

 

■100周年記念イベント

2019年6月21日、ドイツ公海艦隊の100周年記念に
2回目となる追悼式が行われ、フォン・ロイターの3人の曽孫が出席しました。

■ 沈没艦隊全リスト

名前  タイプ  沈没/曳航  その後

【バーデン 】戦艦  曳航 1921年に標的として沈没、英軍の管轄下に移送

【バイエルン】戦艦  沈没14:30  1933年9月に引き揚げ

【フリードリヒデアグロース】  戦艦  沈没12:16  回収1937

【グロッサークルフュースト】 戦艦 沈没13:30 1938年4月引き揚げ

【カイザー 】戦艦  沈没13:15  1929年3月引き揚げ

【カイゼリン 】戦艦 沈没14:00  1936年5月引き揚げ

【ケーニッヒ】 戦艦 沈没14:00  引き揚げられず

【ケーニッヒアルベルト】 戦艦 沈没12:54  1935年7月引き揚げ

【クロンプリンツ・ヴィルヘルム 】 戦艦 沈没13:15  引き揚げられず

【マルクグラフ】  戦艦 沈没16:45  引き揚げられず

【プリンツレゲンドルイトポルド】 戦艦 沈没13:15 1929年3月引き揚げ

【ダーフリンガー】 巡洋戦艦  沈没14:45 1939年8月引き揚げ

【ヒンデンブルク】巡洋戦艦  沈没17:00  1930年7月引き揚げ

【モルトケ】 巡洋戦艦  沈没13:10  1927年6月引き揚げ

【セイドリッツ】巡洋戦艦  沈没13:50 1929年11月引き揚げ

【フォンデルタン】巡洋戦艦  沈没14:15  1930年12月引き揚げ

【ブレンセ】巡洋艦  沈没14:30  1929年11月引き揚げ

【ブルマー】巡洋艦  沈没13:05 引き揚げられず

【ケルン】巡洋艦  沈没13:50  引き揚げられず

【ドレスデン】巡洋艦  沈没13:50  引き揚げられず

【エムデン】巡洋艦  曳航 1926年に廃止、フランスに移される

【フランクフルト】巡洋艦  曳航 1921年標的として沈没、アメリカ軍の管轄下に移送

【カールスルーエ 】巡洋艦  沈没15:50  引き揚げられず

【ニュルンベルク】巡洋艦  曳航 1922年標的として沈没、英軍の管轄下に移送

【S32】駆逐艦 沈没 1925年6月に引き揚げ

【S36 】駆逐艦 沈没 1925年4月に引き揚げ

【G38】 駆逐艦 沈没 1924年9月に引き揚げ

【G39】 駆逐艦 沈没 1925年7月に引き揚げ

【G40】駆逐艦 沈没 1925年7月に引き揚げ

【V43 】駆逐艦 曳航 1921年に標的として沈没、アメリカ軍の管轄下に移送

【V44】駆逐艦 曳航 1922年除籍、イギリス軍に転籍

【V45】駆逐艦 沈没 回収1922年

【V46】駆逐艦 曳航 1924年除籍、フランスの支配下に移される

【S49】駆逐艦 沈没1924年12月引き揚げ

【S50】駆逐艦 沈没 1924年10月に引き揚げ

【S51 】駆逐艦 曳航 1922年に解散、イギリス軍に転籍

【S52】 駆逐艦 沈没 1924年10月に引き揚げ

【S53】 駆逐艦 沈没 1924年8月に引き揚げ

【S54】 駆逐艦 沈没 部分的に回収された

【S55 】駆逐艦 沈没 1924年8月に引き揚げ

【S56 】駆逐艦 沈没 1925年6月に引き揚げ

【S60 】駆逐艦 曳航 1922年に解散、日本軍に転籍

【S65】 駆逐艦 沈没 1922年5月に引き揚げ

【V70 】駆逐艦 沈没 1924年8月に引き揚げ

【73 】駆逐艦 曳航 1922年に解散、イギリス軍に転籍

【V78 】駆逐艦 沈没 1925年9月に引き揚げ

【V80 】駆逐艦 曳航 1922年に解散、日本軍に転籍

【V81 】駆逐艦 曳航 ブレーカーに向かう途中で沈没

【V82 】駆逐艦 曳航 1922年除籍、イギリス軍に転籍

【V83】 駆逐艦 沈没 回収1923

【V86 】駆逐艦 沈没 1925年7月引き揚げ

【V89】 駆逐艦 沈没 1922年12月引き揚げ

【V91 】駆逐艦 沈没 1924年9月引き揚げ

【G92】 駆逐艦 曳航 1922年除籍、イギリス軍に転籍

【V100 】駆逐艦 曳航 1921年に除籍、フランスの支配下に移される

【G101 】駆逐艦 沈没 1926年4月引き揚げ

【G102】 駆逐艦 曳航 1921年に標的として沈没、アメリカ軍の管轄下に移送

【G103 】駆逐艦 沈没 1925年9月引き揚げ

【G104 】駆逐艦 沈没 1926年4月引き揚げ

【B109 】駆逐艦 沈没 1926年3月引き揚げ

【B110 】駆逐艦 沈没 1925年12月引き揚げ

【B111 】駆逐艦 沈没 1926年3月引き揚げ

【B112 】駆逐艦 沈没 1926年2月引き揚げ

【V125】 駆逐艦 曳航 1922年除籍、イギリス軍に転籍

【V126】 駆逐艦 曳航 1925年除籍、フランスの支配下に移される

【V127 】駆逐艦 曳航 1922年除籍、日本軍に転籍

【V128 】駆逐艦 曳航 1922年除籍、イギリス軍に転籍

【V129 】駆逐艦 沈没 1925年8月引き揚げ

【S131 】駆逐艦 沈没 1924年8月引き揚げ

【S132 】駆逐艦 曳航 1921年沈没

【S136 】駆逐艦 沈没 1925年4月引き揚げ

【S137 】駆逐艦 曳航 1922年に解散、イギリス軍に転籍

【S138 】駆逐艦 沈没 1925年5月引き揚げ

【H145 】駆逐艦 沈没 1925年3月に引き揚げ

 

ちなみに、日本が戦利品として分け与えられた沈没艦隊のうち
駆逐艦2隻は、いずれも未編入のまま終わっています。

第一次世界大戦で日本が得た艦船で、実際に使用されたのは
「エレン・リックマース」「ミヒャエル・イエプセン」などの汽船で、
いずれも軍用ではなく運送船としてでした。

ドイツの軍艦は使い方がわからなすぎたってことなんでしょうかね。

 

終わり。

 


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