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「クェスチョンマーク号の挑戦」 戦術の革新者 エルウッド・ケサダ中将〜陸軍航空のパイオニア

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スミソニアンの陸軍航空のパイオニアシリーズで名前が上がっていた中で
わたしが唯一知らなかったのがこの人です。

エルウッド”ピート”リチャード・ケサダ中将
Elwood ’Pete' Richard Quesada 1904-1993

 

Elwood Richard Quesada - Wikipedia

1891年生まれのカール・スパーツ、1896年生まれのアイラ・イーカーより
ケサダはそれぞれ13歳、7歳若いわけですが、軍事航空黎明期において
彼らはほぼ同時期に飛行機に乗っていたことになります。

ちなみにスパーツがパイロットになったのは1916年25歳、イーカーは1919年23歳、
ケサダはいつかわかりませんが、もっと早かったと思われます。

そして、あの「クェスチョンマーク号」による滞空記録達成で
彼らがチームを組んだとき、ケサダは若干25歳でした。

「ケサダ」というファミリーネームはご想像の通りヒスパニック系で、
彼はスペイン人の父親とアイルランド系アメリカ人の両親のもとに生まれました。

黎明期の航空部隊では士官学校出が少なく、たまにいたとしても
ここだけの話決して成績上位ではない者が進路に選ぶ、という印象ですが、
彼もまたアナポリスではなく、一般大卒の予備士官です。

 

■ 航空戦術の先駆として

ケサダはのちに戦術航空司令部の指揮官に任命されますが、初級士官の頃、
すでに地上部隊の近接航空支援の概念に興味を持つようになりました。

ヨーロッパのキャンペーン中に戦術空中戦の開発のアイデアを得て
行った革新には、マイクロ波早期警戒レーダー(MEW)の採用、および
VHF航空機無線機を装備し航空管制官を兼ねるパイロットを配置することが含まれます。

後者の技術は、戦闘爆撃機との直接地上通信を可能にし、その結果
フレンドリーファイアー(味方への誤攻撃)を減らすことに加えて、
敵地上部隊への攻撃、つまり近接航空支援の精度と速度が上がりました。

その結果、機甲部隊が迅速に前進し砲兵支援を行うことができるようになり、
これらの戦術改善は、西部戦線において連合国側に多大な貢献をもたらしました。

■ 戦後空軍におけるケサダ 

1946年、ケサダは戦術航空司令部(TAC)の最初の指揮官に任命され、
その後、新たに独立した米空軍の大将に昇進しました。

しかし、ケサダは、空軍においてTACが無視されており、資金調達やプロモーションが
主に戦略航空司令部に偏っているのを見て、すぐに幻滅することになります。

1948年、空軍参謀本部は、TACから航空機とパイロットを排除しその地位を引き下げました。
これは、戦後のアメリカが日本への原子爆弾投下の成果、空軍の主力を戦略爆撃に据え、
空戦能力の向上を疎かにしようとしたということでもあります。

ケサダはその流れに不満を持ちなんとかしようとしますが、

鈍くてせっかちな性格のため(wiki)

現場に論争を巻き起こしただけに終わり、就任してわずか2か月後に解任されてしまいます。
彼は結局1951年、47歳で空軍から早期引退することになりました。

 

■ クェスチョンマーク号の挑戦

さて、ケサダがその前半の軍歴において急激に出世したのは
ほかでもない、クェスチョンマーク号による記録達成に成功したおかげですが、
今日は、スパーツ、イーカーの紹介の時には簡単にご紹介した
そのクェスチョンマーク号の挑戦についてちょっと詳し目に触れておきたいと思います。

クェスチョンマーク号( 以下”? ")は、米陸軍航空隊の
アトランティック・フォッカー C-2A輸送機です。

1929年、カール・スパーツ少佐の指揮で、空中給油の実験を兼ね、
飛行耐久記録達成を目指して飛び立ち、その結果、
150時間以上というノンストップ滞空世界記録を樹立しました。

それを可能にしたのはもちろん空中給油という技術の発明です。

空中給油が最初に行われたのは1923年のことで、サンディエゴで
陸軍パイロットがさっそく9回の空中給油を行い37時間滞空記録を確立、
その後1928年、やはり陸軍航空隊が 61時間と記録を伸ばしています。

今回の挑戦はその61時間を上回ることを目標に行われました。

 

きっかけは本日の主人公、米陸軍航空隊のエンジニアだったエルウッド・ケサダ中尉の
1928年、任務飛行中、燃料不足から墜落しそうになるという経験をしたことでした。
かれはもっと空中給油の技術を身近なものにしなければいけない、として、
実験方々これまでの滞空記録を破る計画を考案したのです。

ケサダ中尉がその計画を上司だったアイラ・イーカー大尉に提出したところ、
イーカーは大変乗り気になり、結果、実験を単なる宣伝目的にせず、
あくまでも軍事利用を実証することという条件
でプロジェクトが承認されました。

そしてプロジェクト全体の指揮が、カール・スパーツ少佐に任されたというわけです。


早速使用機にアトランティック・フォッカーC-2Aトランスポートが選ばれ、
プロジェクトのためにタンクが貨物室に2基増設するなど改造がなされました。
また翼にキャットウォークが構築され、整備士が緊急メンテナンスのために
エンジンにアクセスできるようにもなっています。

プロジェクトの噂が広まるにつれ、メンバーは何度となくインタビューを受けますが、
その際には必ずと言っていいほど達成する予定の滞空時間を尋ねられるので、
彼らはいつも同じ答えをするのが常でした。

「That's the question. (それが問題です)」。

そのうち彼らはメディアの質問への答えとして胴体の両側に大きな疑問符をペイントしました。
それが話題を呼ぶとともに耐久飛行への関心を呼び起こし、
いつの間にか飛行機のニックネームそのものになったというわけです。


プロジェクトのスケジュールは1929年1月1日、ロサンゼルスを出発し、
パサデナで行われるローズボウル(フットボール)の上空で給油するなど、
どう見ても「宣伝目的だろう」といわれそうな派手な内容となっていました。

当時は無線機の信頼性が低く、「?」号は重量を極力制限しなければならなかったので、
すべての通信は、手旗、発光信号、懐中電灯、メッセージバッグ、
供給ラインに結び付けられたメモ、または随伴機の機体胴体にチョークで書いて行いました。

そのため随伴機のニックネームは「黒板飛行機」になったということです。

Pictured is the crew of the

「?」号の乗組員は、写真左から

ハリー・ハルバーソン大尉、アイラ・イーカー少佐、
ロイ・フー軍曹、カール・スパーツ中佐(隊長)、
エルウッド・ケサダ大尉

の総勢5名。
(一番右に写っているのは誰だかわかっていないそうです)
待機する給油機は2機で、それぞれに2名が搭乗していました。

そして「黒板機」には4名が乗っていました。

 


1929 年の元旦、午前7時26分に「?」号はイーカー大尉の操縦で、重量を節約するために
380 リットルの燃料だけを運んで、離陸しました。

巡航中はハルバーソン中尉かケサダ中尉のいずれかが操縦を行い、
イーカー大尉は効率的なエコ飛行のためスロットルを監視する役目です。
ログは副操縦士によって記録され、毎日地上に向けて投下されました。

A Fokker C-2A is refueled in flight by a modified Douglas C-1 transport aircraft during a refueling operation dubbed 給油中

離陸1時間も経たないうちに、最初の給油が行われました。
給油中、イーカーとハルバーソンがスロットルを制御、スパーツとケサダが燃料交換を監督し、
フーはポンプを作動させる係を務めました。

両機が時速130kmで安定してから給油機 は上から?号に近づきホースを繰り出します。
スパーツはプラットフォームに登り、雨具とゴーグルを着用し、
ホースを受け取って上部胴体に取り付けられた「レセプタクル」に入れます。

バケツから作られたレセプタクルは、燃料タンクにつながっていて、
バルブを開くと燃料は重力により毎分280 リットルがバケツを通じてタンクに流入し、
そこでフー軍曹がポンプを手作業で動かし翼タンクに入れるのです。

食料、郵便、工具、スペアパーツ、その他の供給品も同じ方法で渡されました。

(ところでどこにもかいていないのですが、トイレはどうしていたのでしょうか)

Flight of the Question Mark?号内のケサダ

「?」号の5人の男性は、飛行前に健康診断を受けて体調は万全の状態。
騎乗での彼らの食事のために航空医は特別食を用意しました。

しかし、重量の節約と安全上食品を加熱するための電気ストーブは廃止されたので、
彼らのために元旦の七面鳥を含む温かい食事が送られました。

クルーは燃料タンクの上の二段ベッドで寝ることもでき、トランプ、読書、
手紙を書くことによって退屈を紛らわせていました。
(手紙は書くたびに地上に投下すればすぐに拾ってもらえます)

1月3日の夜には新記録達成したので、サポートクルーはお祝いに
チーズ、イチジク、オリーブ、キャビアの瓶詰め5つを送りました。

しかし、給油が失敗したこともあります。
燃料容器から引き出す際、山岳地で気流が乱れ、揺れでホースを取り落としたスパーズは
高オクタン価ガソリンを体中に浴びることになってしまいました。

ケサダは安定した飛行のために海上に進路を取りましたが、スパーツは
ガソリンの化学やけど?を懸念し、パラシュート降下がいつでもできるよう、
イーカーに地上の飛行を続けるように命じました。

(さすがのスパーツもちょっとパニクっていたのかもしれません)

しかし結局スパーツは衣服をすべて脱ぎ捨て、油をつけた雑巾で体を拭き、
そのままの姿(服を脱いだ状態?)でもう一度給油を行っています。
「化学やけど」は大丈夫らしいと判断したのでしょう。

衣服については交換品がすぐに配達されました。
しかしトイレの件とともにわたしなどどうしても気になってしまうのですが、
1週間機上で限界の生活をした彼ら5人は、その間着の身着のままだったわけですから、
地上に降りた時にきっとものすごい状態だったんだろうなあ・・・・。

 

ケサダも同じ事故に見舞われましたし、スパーツの燃料流出は一度に止まらず、
あと二回でしたが、怪我はありませんでした。

その都度油を使用して皮膚を拭き、酸化亜鉛を使用して目を保護してしのいでいます。

霧、乱気流、暗闇のため、給油はスケジュール通りになかなか行えず、
給油中にエアポケットに遭遇すると、たいてい悲惨なことになりました。


乗組員はエンジンを保護するために低速の巡航速度で飛びましたが、
エンジンにかかったストレスは目に見えて馬力を失わせていきました。

そして1月7日午後、ついに左翼エンジンが停止。

フー軍曹はキャットウォークにいって修理を試み、プロペラをゴム製のフックで固定しました。
残りのエンジンも目に見えて疲弊していきます。

限界でした。

「?」号は離陸後150時間40分14秒ぶりにメトロポリタン空港に着陸しました。

燃料補給37回。
この飛行は、持続飛行、燃料補給飛行、
および距離に関する既存の世界記録を破りました。

そして乗組員5人全員に殊勲飛行十字章が授与されたのです。

 

この壮挙の影響は大きなもので、クエスチョンマーク号の記録達成以降、
わずか1年以内に民間人によって40回の滞空記録滞在挑戦が試みられ、
そのうち9回は「?」号を超えるという結果になりました。

 

このプロジェクトに関与した16人の陸軍飛行士のうち6人は後に将軍になり、
スパーツ・イーカー、ケサダはこのブログでもお話ししたように、
第二次世界大戦中に米陸軍空軍で重要な役割を果たす重職を務めることになりました。

カール・スパーツは陸軍空軍の司令官に昇格し、米空軍の初代参謀本部長となり、
アイラ・イーカーは第8地中海地中海連合軍を指揮しました。
そしてエルウッド・ケサダはフランスのIX戦術航空司令部の指揮官になっています。

残りの将校、ストリックランド、ホイト、およびホプキンスは米国空軍の准将になり、
ハルバーソンは陸軍大佐にまで昇格してB-24リベレーターを率いる第10空軍の
最初の指揮官となって第二次世界大戦に参戦しました。

 

クェスチョンマーク号機体のその後についても書いておきましょう。

輸送飛行機としての耐用年数を果たした「?」号は、1932年11月3日、皮肉なことに
飛行中に燃料がなくなって着陸を試みるも、深刻な損傷を受け、廃棄されました。

 

1948年1月、クエスチョンマークプロジェクトを指揮してから19年後、USAFの首席補佐官、
カール・スパーツは空軍の戦略上の最優先事項ー空中給油システムーを決めました。

その結果、すべての第一線のB-50爆撃機に空中給油装置を改造することが決定され、
世界で最初に結成された専用空中給油ユニットである第43と第509の空中給油飛行隊は、
1949年1月から運用を開始しました。

そして1948年、「フライング・ブーム」による供給システムが開発され、
その後1949年に「プローブ・アンド・ドローグ」システムが、そして
シングルポイント受信装置を使用した戦闘機の機内給油も実用化され、この時点で
USAFは未来の空中給油に関する大部分のコンセプトにコミットすることになったのです。



最後に、その扱いにケサダが激怒して辞めるきっかけになったTACですが、
その後朝鮮戦争が始まり、航空戦術の独立を必要としたアメリカ空軍は、
これを機会にTACを再編成する決定をしました。

再結成されたTAC司令官には、第二次世界大戦中にXIX TACを率いたケサダの友人、
オットー・ウェイランド将軍が指名されたということです。

Weyland op.jpg

ケサダが辞めていなければ、彼がこの地位にあったかもしれません。
ドンマイ。

 

続く。

 

 


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