Quantcast
Channel: ネイビーブルーに恋をして
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2816

ストライカー装甲車のヘヴィメタル・イラクの自由作戦〜兵士と水兵のための記念博物館

$
0
0

ピッツバーグの兵士と水兵のための記念博物館展示、
定礎の奥に102年ぶりに取り出されたタイムカプセルの中身の展示のあとは
いきなりイラク関係とわかるコーナーが現れましたが、とりあえず
時系列順でいきたいので、この後に現れた湾岸戦争展を紹介します。

■湾岸戦争

湾岸戦争のとき、アメリカの派兵を宣言するパパ・ブッシュの支持率が
90%を超えたというニュースを見て、ふとわたしなどは
西部劇で悪のガンマンと対峙する保安官を指示する街の人々という構図を思いました。

クェートに侵攻したイラクはわかりやすい「制裁すべき悪」であり、
アメリカにとってこれほど大義のある開戦理由はなかったはずです。

第二次世界大戦後、事態解決のために世界が一致団結したのは初めてで、
侵攻から5ヶ月目、多国籍軍の空爆から始まった、

「砂漠の嵐作戦」Operation Desert Storm

は、陸上部隊の進攻100時間で圧倒的勝利を収めました。

このときの攻撃はCNNによって生中継され、これが
世界で初めて戦闘が同時に世界に発信された瞬間となりました。

展示ケースはこの湾岸戦争関係の資料が収められています。

砂漠地用戦闘服のことをデザートバトルドレスユニフォームと言います。
なぜかDBDUという略称まであるらしいんですが、このDBDUは、
第475補給部隊のエルマー・スヴェダ曹長が「砂漠の盾」作戦で
着用していたものです。

「砂漠の盾」作戦は、イラクのクェート進攻に対し、アメリカが
世界に「協力を呼びかけながら」国境付近に展開した進駐そのものを指します。

国連軍というのは政治的に正式な編成ができないため、アメリカは
「有志を募る」という形で自らが進攻の先陣を切ったのでした。

475補給部隊はペンシルバニアのグリーンズバーグの本拠地とする部隊です。

これがスヴェダ曹長のようです。

ユニットを悲劇が襲ったのは1991年2月25日の夜のことでした。
イラクのスカッドミサイルがバラックを直撃し28名が死亡、
110名が病院に搬送され、150名が軽傷を負いましたが、
多くが深刻な心的外傷を負うことになりました。

部隊はたった6日同地に駐留する予定であったそうです。

スカッドミサイルが直撃した後の写真が右側に並んでいます。

スヴェダ曹長が無事だったのかどうか記述がなかったのですが、
検索していると、2017年に彼の父親が亡くなったという葬祭会社の通知が出てきて
(父親は海軍軍人で空母『ランドルフ』に乗っていたらしい)彼が喪主であることから、
少なくともこのときにはピッツバーグで健在であることがわかりました。

左は作戦に参加した軍人個人に対しクェート政府から贈られたメダル、
右はサウジアラビアバージョンだそうです。

真ん中の小瓶には土が入っているのでしょうか。

このとき戦死した第475補給部隊の隊員に対しては
パープルハート勲章が授与されました。

名簿を見ていると、女性の名前もありました。

2018-5-21 Clark.jpg

SPC Beverly Sue Clark。
まだ23歳だったそうです。

R.I.P.

 

■ アメリカ大使館爆破事件の旗

1983年、平和維持の目的でレバノンのベイルートに駐留していた
アメリカ大使館で爆弾テロが起こりました。

これに続き1984年9月20日、自爆テロの車が大使館の別館を爆破し、
20名のレバノン人、2名のアメリカ人職員が犠牲になりました。

このデパートメントフラッグは、そのときベイルートのアメリカ大使館に掲げられていたものです。

■ イラク戦争

1904年の開館時そのままの石の床、大理石の柱、そして南北戦争の地元部隊の記念プレート。
そういった昔ながらのものに囲まれて、この展示は、周りの雰囲気に合わせ
新たに作られた木枠とガラスという展示ケースの中に納められていました。

まずこのケースの中の説明を翻訳しておきましょう。

「イラクーアフガニスタンオペレーション」

2001年9月11日。
われわれのアメリカ本土は決して攻撃されることはない、
という神話は永遠に崩れ去りました。

同時多発テロによってニューヨークとワシントンが攻撃されてから
数ヶ月以内に、アメリカの軍事力は(ミリタリーリソース)
我が国へのさらなる脅威を探索し、
それを和らげる要求がなされることになります。

 

つまり同時多発テロへの報復としてイラク侵攻を行ったということを
まわりくどく言うとこういうことになるということですね。

わたしは9・11のときアメリカに住んで、事件の後の国内の
一種異様な雰囲気を肌身で体験したものですが、驚愕に続く恐怖、
犠牲者に対する祈りのような空気が次第に「愛国」へと変わっていくなか、
ブッシュ大統領がイラクに対する「悪の枢軸宣言」を行ったとき、
ほぼなんらかの軍事行動は誰にも予感される認識となったと感じました。

そして2003年、ブッシュ大統領がイラクに大量破壊兵器があることを理由に
先制攻撃を行ったと言うニュースが流れたとき、

「やっぱりそうなったか・・」

という薄寒い気持ちでサンフランシスコの曇天の下を歩いたことを思い出します。

その後、

「本当にイラクに大量破壊兵器はあったのか」

については、情報を提供した本人(イラク人科学者)が

「サダム・フセインを失脚させるためについた嘘だった」

と認めたことで、十万人以上の市民が犠牲となったイラク侵攻は
ブッシュ大統領、そして「イラクの自由作戦」に参加した
イギリスのトニー・ブレア首相に対する評価を落とす結果になりました。


単純に考えて、たとえイラクが大量破壊兵器を持っていたとしても、
アメリカがイラクに侵攻することが自衛の戦争なのかと言う疑問は湧くわけですが、
それに正当性を与えたのが、やはり同時多発テロという「本土攻撃」だったわけです。

さて、ここにはこのようにイラク侵攻について簡単にまとめてあります。

もともと「対テロ戦争」The grobal War on Terrorism"
と呼ばれていた我が国の軍隊は、現在、

イラク不朽の自由作戦(Operation Iraqi Freeom OIF)

アフガニスタン不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom OEF-A)

に配備されています。

 

しかし今日はイラク戦争について深く掘り下げることは目的ではないので、
これくらいにして、展示の紹介に参りましょう。

砂漠仕様のカモフラージュセットはヴェテランの寄贈品です。

ヘルメットに装着されているのはカメラ?

左胸のマークから、空挺部隊に所属する軍人であることがわかります。

「イラクの自由作戦」に展開する制服の持ち主、マシュー・ボシャン大尉。

Soldiers of the 1st Squadron (Airborne), 40th Cavalry Regiment, salute during the national anthem at the 4th Brigade Combat Team (Airborne), 25th Infantry Division's deployment ceremony at Sullivan Arena, Anchorage, Alaska, Nov. 29, 2011.  The 4-25th ABCT,

ボーシャン大尉が所属し「イラクの自由作戦」に展開していたのは、

第4空挺旅団戦闘団
4th Brigade Combat Team (Airborne), 25th Infantry Division

でした。

同戦闘団は、イラクの自由作戦で53名を、普及の自由作戦では
13名の兵士を戦闘で失っています。

ボシャン大尉(右)が手にしているのはロケット弾。
この数分前、彼らの乗っている車のターレットを取り巻く保塁を直撃したものです。

ところで全く関係ないのですが、車の手前に搭載?されているのは
アメリカではおなじみの色付きゲータレードです。

ボシャン大尉のマネキンが持っているボディアーマーは
アメリカ兵に配布され、かれらの命を脅威から守る工夫がなされていました。

ベストの左側にはファーストエイドキット、黒のメタル製汎用カラビナ
右側にはウェブ用ユーティリティポーチ、銃弾、手榴弾入れが付いています。

左下はボシャン大尉のニットスカーフです。
戦闘で息子を亡くした母親が、息子の思い出のために手作りし、
部隊の兵士たちに届けられたたくさんのそういった品の一つで、
このニットスカーフは、2004年8月に戦死した兵士の母親が編んだものだそうです。

このスカーフをつけて任務にあたっている間、その兵士が
息子のようにならないことを祈りながら、母たちは贈り物を編みました。

この小さな旗は「Memorial Guidon」と説明されています。
ギドンとは、紋章旗と言う意味ですが、この旗は、
イラクの自由作戦で英雄的な戦死を遂げた

ロバート・ファイク1等軍曹 Robert Fike

ブライアン・フーバー参謀軍曹 Bryan Hoover

の二人の死を顕彰しているものです。

Pennsylvania National Guardsman remembers his fellow soldiers' 'ultimate  sacrifice' - pennlive.com

2人はペンシルベニア陸軍州兵でした。

ロバートJ.ファイク1等軍曹(38歳)とブライアンA.フーバー参謀軍曹(29歳)ら
ペンシルベニア陸軍国家警備隊第1大隊、第110歩兵連隊3名は
アフガニスタンのブラードバザールで徒歩パトロール中、
自爆テロの爆発に巻き込まれ、二人が死亡したというものです。

彼らの棺はピッツバーグに帰還し、アレゲニー墓地
(南北戦争からの戦死者が埋葬されている古い墓地)に埋葬されました。

マシュー・ボシャンはイラク任務中二回負傷をしています。
これらについても彼はこのように述べています。

「場所もタイミングも運が悪かったんだ・・・どちらも」

そして彼はパープルハート章と、柏葉勲章を授与されました。
彼の部隊は大変危険な地域に展開していたため、
ボシャンの隊だけで86名がパープルハートを与えられており、
そのうち21名が彼の部下でした。

戦争博物館の展示にアップル製品が登場するのを見る日がこようとは感無量です。

戦争に関わりのないわたしたちと同様、兵士たちもまた、
音楽が戦争の日々のストレスから開放するものだと感じています。

ボシャン大尉はこのiPodを最初のイラク遠征に持っていきました。
これをM1128 ストライカーMGSのサウンドシステムに繋いで、
哨戒任務に展開する前に鳴らして聴いていたそうです。

同行するメンバーにはヘヴィメタルが大変喜ばれました。
おそらくかれらの任務へ気分を盛り上げるものだったのでしょう。

しかしこのiPodはたった3ヶ月使用しただけである日突然「死んで」静かになりました。

イラクではさすがにアップルケアも使えないしねえ・・・・

アップルケアといえば、近代の戦争にコンピュータは基本装備です。
このラップトップもボシャン大尉がイラクで使っていたものですが、
これもまたすぐにうんともすんとも動かなくなったそうです。

その原因は砂埃と現地の気候ですが、もしかしたらアップルも
今なら砂漠仕様の特別バージョンを作れるかもしれません。

そんなストライカーとボシャン大尉。
え?こんなのストライカーではないぞ、また間違えたな、って?


はいご覧の通り。
アフガニスタンでのストライカー。
車体上面ハッチ周辺にブラストパネルと呼ばれる装甲板が追加されています。

アメリカの軍事史上初めて、女性が戦闘後方支援ではなく
戦闘の支援を行ったのが、イラクの自由作戦とアフガンの自由作戦でした。

しかし、あるジャーナリストに言わせると、イラクとアフガンでは
130名以上が亡くなり、そのうち好きなくない女性が男性と一緒に戦って
その結果亡くなっているにもかかわらず、
公式には戦闘に参加していなかったということになっているということです。

このジャネール・ザルコウスキー1等兵は第101空挺師団の民事部隊所属ですが、
名前を検索するといやと言うほど写真が出てきます。

Janelle Zalkovsky

お好きな方のためのサービス画像

イラクの自由展開部隊の基本装備です。

ところで大量破壊兵器が発見されなかったことで、
結論としてブッシュやブレアは評価を落とした、と書きましたが、
イラク戦争を支持した同盟国にも激震が走りました。

ブレア首相はこのことによって国民が「騙された」と感じたため、
支持率が急落、任期を残しての早期退陣に追い込まれています。

イラク戦争を支持したデンマーク国防相は辞任を余儀なくされ、また、
ポーランドのクワシニエフスキ大統領などは、

「アメリカに騙された」

とまで厳しく批判をしています。

日本の久間章生防衛相(当時)は(日本の政治家には珍しく)

「大量破壊兵器があると決め付けて、戦争を起こしたのは間違いだった」

と発言し、オーストラリアのブレンダン・ネルソン国防相にいたっては、

「原油の確保がイラク侵攻の目的だった」

と大胆な発言をして批判を浴びたそうです。

ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで

「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、
イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」

と述べ、それに対して記者が

「大量破壊兵器を保有していないことを事前に知っていれば、
イラク侵攻に踏み切らなかったのではないか」

と質問すると

「興味深い質問だ」

とだけ答えたそうです。

ってか答えになってないし。

また、ヒラリー・クリントンは、開戦に賛成しましたが、
侵攻は誤りだったと認めています。

 

続く。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2816

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>