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志願入隊者たちの『理由』〜ハインツ歴史センター ベトナム戦争

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ベトナム戦争における徴兵対象者にまつわる様々なことを
徴兵拒否や延期、反戦運動などをからめてお話ししています。

■ ある陸軍中尉の日記

1969年から70年にかけて信号舞台に所属していたドナルド・フェディナック中尉の日記です。

ドン・フェディナックがこのページに記入したとき、彼はまだ
ベトナム出向への命令を受けていませんでした。

別のエントリには、

「僕の同時代人と僕がベトナムで戦うことを決めた理由がなんであれ、
誰にも『彼らは義務を果たさなかった』などと言われる筋合いはない」

という文章が見えます。

この日記は軍事訓練、海外勤務、そしてベトナムでもドンとともにあって
彼の毎日の心情が書きつけられました。

展示されているページには、

「不当な戦争を戦わなくてはならないことを自分に納得させるのは難しい」

「それは内部で一つのものを二つに引き裂く。国家に奉仕することと良心を保つこと」

「しかし抵抗することによって何が達成できるのか。
僕はいつもアメリカ人であることを誇りに思っているが、ベトナムは誇りに思わない」

「受け身になるな・・ 彼らはお前の自由を奪おうとしている」

「1812年の戦争、米墨戦争。
ベトナム戦争だけが不当な戦争というわけではない」

「とにかく僕は自分の決定で生きるのだ」

などと書かれています。

右の字は「限界まで引き伸ばしてみた!」という文字で

「NEED STRENGTH !」(強さが必要)

と記されています。

「彼らの内面にあったものは何か」

というのがこのコーナーのテーマですが、若い彼らは
自分の置かれた運命の不条理さの中で思索し、悩み、
自分がどうあるかを懸命に考えて生きていたのでした。

■ 入隊者調査の質問表

これはペンシルバニア州のセレクティブサービスが、ジョセフ・コリガン三世という人に
1966年送った質問票で、該当欄にチェックをつけてすぐに送り返すこと、とあります。

あなたは現在( )入隊前審査の登録者( )入隊予定者 の何かの登録者である

あなたが間違いなく適切に分類されていることを明らかにするために
次のフォームに記入し、同封の返信用封筒に入れて10日以内に返送してください。

1、わたしは( )独身である( )結婚している
( )離婚した( )別居している( )死に別れた

もし結婚していて情報を登録していなければ、
郵送か持参で結婚証明書のコピーを送ってください

2、わたしは(  )人同居の子供がいる

もし子供の情報について登録していなければ、
ただちに出生証明書を送ってください

3、胎児がいる場合は診断の根拠と出産予定日を示す医師の証明書を送ってください

4、被雇用者ですか(  )
もしそうなら仕事内容は(   )
雇用者名称ならびに所在位置(  )

あなたが被雇用者である場合は雇用者があなたの仕事が国民の健康、
安全に不可欠であるとした場合、延期の要求を提出してもらうことができます。

徴兵を猶予する対象であるかを申請するフォームです。

そしてこれがドラフトカード(徴兵カード)。

このこのジョー・コリガンという青年は、24歳で陸軍に徴兵されました。
彼はベトナムまで例の「ジェネラル・ネルソン・M・ウォーカー」で輸送され、
中央高原の歩兵隊に配置されました。

彼は徴兵が決まった時のことをこう書いています。

「わたしは仕事中だったが、そこに妻から電話がかかってきた。
彼女は泣いていた。
わたし宛の入隊者情報の手紙を受け取ったのだった」

■ 志願者

「曹長は、わたしたちが新婚旅行から戻って来たら『出荷』されるだろうといいました。
わたしが戻ってくるまでは予備兵の召集をしないと大統領が決定したのです。
もし招集されたら行くつもりですが、そうならないならどんなに嬉しいでしょう」

ロングアイランド在住のアート・ベルトロンは1963年、海兵隊に入隊しました。

彼は帰還して数十年後、妻のケリーとともに、以前ご紹介した輸送艦
「ジェネラル・ネルソン・M・ウォーカー」装備を保存するプロジェクトを立ち上げました。

「妻はわたしにベトナムには行って欲しくないといいましたが、
わたしは平時軍隊に10年間在籍していたので戦闘に参加する可能性もありました。

それはわたしが訓練していたことであり、それはわたしが軍隊にいた理由です。

愛国心(パトリオティズム)と軍隊への敬意と称賛がその期間、
わたしと同年代の人々には植え付けられていました」

「フルメタル・ジャケット」であまりにも有名になったシーン。
一人ひとりに罵声のような言葉を浴びせながら新兵の隊列を歩き、
何か言われた新兵は、

「サー・イエス・サー!」

と答えることしか許されない・・・。

映画「フルメタル・ジャケット」について書いた時、当ブログでは

人を兵士に変えるシステムがあるとすれば、例えばこの映画の前半で語られる、
アメリカ海兵隊の錬成システム、80日の地獄の訓練がそれである。

そこでは、まさに草食系だろうが肉食性だろうが、繊細だろうが愚鈍だろうが、
ひとしなみにその世間的な観念や常識、平和とか倫理とか、人権とかの概念を
ゲシュタルト崩壊レベルにまで打ち壊してしまうような激しい「人格否定」が行われる。



「敵を殺せ!殺さなければ死ぬのはおまえだ!
そしておまえらはマリーン・コーアとして死ね!」

という言葉が、地獄の訓練と罵詈雑言で自我を失った脳髄にねじ込まれる。

しかし戦争そのものが人間の人格を全く顧みない所業であれば、
そこに身を投じることが分かっているとき、その非人間的な空間にあっても
自己崩壊しないだけの非人間性を見につけているべきだという、
このハートマン式の非常な訓練は、至極理にかなっているということができる。

と位置付けてみました。

■ 女性志願者

さて、ベトナム戦争には女性兵士も参加したのはご存知の通り。
アフリカ系が多いなという印象です。

ちなみに名前は左からクリスティン・ベイカー、キャロリン・ミッチェル、
レナ・モンテ、マーサ・ダンカン、バーニー・アン・キアッシャー、
キャロリン・ムーア、エマ・ソーントン、そしてフェイ・コンドウェイ。

右から二人目のエマ・ソーントンがこんな証言をしています。

「わたしはベトナムに配属されたWACの最初のグループでした。
これは人生におけるアドベンチャーというものでした。
わたしは最前線の男性のために物資を調達する部署につき、
そこで多くのことを学びました」

ソーントンは1965年に婦人陸軍部隊に加わり、ベトナムで
事務とタイピストとして働いていました。

1965年5月、テキサス州ヒューストンのフォート・サムで、
陸軍の入隊者が入隊の誓いを行っているところ。

左から、ラモン・プレサスJr.はアフリカ系、フアン・ティエリナ、
そしてホセ・フェルナンデスはヒスパニック系です。

誓いを授けているのは白人でフィリップ・スミス中尉です。

陸軍のリクルートセンターの前に立っている若い男性たち。

若者の全てが徴兵を忌避しようとしたわけではありません。
国のためにと自ら志願した者ももちろん数多くいたのです。

ただ、なかにはこんなネガティブな理由で志願した者も・・・・。

 

「僕は家にいるのにうんざりしていて、家では両親といつも口論していました。
それで僕は”それ”をしてやったのです。入隊です。

それを告げたとき、父の顎は下に落ちたようになりました。
母親はなんとかして僕の入隊書類を撤回させようとしました。

1ヶ月後、僕はホワイトホールストリートに二度目の試験のために戻り、
その日のうちに陸軍に入隊登録を済ませてしまいました」

トニー・ベレスは1965年入隊し「ブラックホース大隊」に配属されました。
家にいるのが嫌で家から出るために(つまり家出同然に)入隊したというんですね。

彼の両親はおそらく息子とうまくやれなかったことを
死ぬほど後悔したことでしょう。
彼がベトナムからちゃんと生きて帰って来ていればいいのですが・・・。

■ G.I.ジョー

「G.I.ジョー」は「アメリカの可動式戦闘員」として、1964年の夏に
アメリカの市場でヒットしました。

わずか1週間でニューヨーク地域の店舗の棚は空になり、
製作したハスブロ・トイ社は大成功を収めたのでした。

アメリカの親たちは、GIジョーは第二次世界大戦時の名称であると知っていました。

彼らの息子たちは21もの可動パーツを持ち、本物のように見える装備を備えた
兵士、水兵、海兵隊員、そしてパイロットとしてGIジョーの名前を知ることになりました。

1965年、ジョーのクリエイターであった第二次世界大戦と朝鮮戦争のベテランたちは、
GIジョーのシリーズにこのたびは黒人ジョーを登場させました。

彼らは

「勇気とヒロイズムは特定の肌の色や信条の者に限定されない」

ということを示すことで、公民権運動の後押しを目指した
(というか商売に利用した?)と言えます。

 

たとえば海兵隊に入隊し1965年ダナンに送られたレジナルド・エドワーズは
入隊の動機をこのように語っています。

「俺は家が貧乏だったので、大学なんかには進学できないと知っていた。
誰も俺なんかを雇うやつはいない。
だから俺に残されたのは兵役に行くことだけだったのさ。

加えて、海兵隊員は皆『悪』で、海兵隊は『男』を作るところだった。
入隊する前は毎晩ジョン・ウェインの映画を見てるような連中だ」

貧しくて学歴がない青年は、当時軍隊にしか居場所を見つけられず、
したがってベトナム戦争の徴兵に応じるしかありませんでした。

 

続く。

 


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