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「鉄のトライアングル」と「トンネル・ラット」〜ハインツ歴史センター ベトナム戦争展

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ハインツ歴史センター特別展「ベトナム戦争」について
その展示をご紹介しつつお話ししています。

まず、このバナーの示すコーナーは

「さまざまな前線での戦争」1966−1967

として、

ベトナムではどのような戦争が繰り広げられたか?

戦争は銃後にどのような影響を与えたか?

とサブタイトルで語っています。

右の地図は南ベトナムに展開したアメリカ軍の四つの大隊の区分となっています。

1966年から1967年までの戦争の真実

米軍の規模 485,600

米軍戦死者 17,700

ARVIN(南ベトナム軍)戦死者24,700

かかった費用 320億ドル

散布された枯葉剤 700万ガロン

45パーセントの米国国民がベトナムへの軍隊の派遣は間違いだったと考えている


■ ウォー・フロント

ベトナム戦争最初の大きな戦いの一つは、1965年、ラ・ドラン渓谷でのものです。
1966年、1967年と、追加の軍事作戦がことごとく南ベトナムの地名を有名にしました。

この壁画は、四つのことなる戦術ゾーンを表しています。
(I corps、II corps、III corps、IV corpsと分けてある)

また、この地図は、アメリカの取組みをサポートするために構築された
大規模なインフラ整備などが書き込まれています。

「ランディングゾーン」の上にはタンデムヘリが物資を下ろす様子が描かれ、
そこはまた報道関係者が到着する場所ともなっています。

左上に「MEDEVAC」と書かれたヘリが飛んでいます。
MEDEVACは負傷者を後送する機体のことで、ベトナムではその多くがヘリでした。

上部のラオスとの国境近くにあるのが、以前説明した「ホーチミンロード」です。

画面右上が北ベトナム軍とベンハイ川を挟んでドンパチやっているところ。
海岸線では「サーチアンドデストロイ」も行われていますね。

海上からは海軍艦船が援護攻撃を行い、ダナン湾に停泊した空母から
海軍航空機が北ベトナムへの爆撃に出撃します。

後送された負傷者はダナン湾の病院船に搬送されます。

フエ地方ではシービーズが設営を行っています。

これらはI corpsの地域で、北ベトナムとの境にあり、
これが「前線」ということだと思われます。

続いてII  CORPSですが、やや後方なので通信大隊などが展開しています。

特別部隊が駐屯して訓練したりしていますね。
B-52が爆撃しているのはベトコンの地域でしょうか。

■ 鉄のトライアングルとベトコン・トンネル

サイゴンの北方40キロ地点に「アイアン・トライアングル」があるのにご注目ください。
共産軍が支配する地域、すなわちアメリカと南ベトナムが殲滅すべき地帯でした。

地形は平坦で、ほとんど特徴がなく、密な背の高い植物と下草で覆われており、
北部は図に描かれているように、人間の頭よりも高い「象の草」が厚く繁っていました。

狭くて荒れた未舗装の道路での車両の移動はほとんど不可能であったといいます。

さらに画面の「VC トンネル」をご覧ください。

これは仏印戦争の時にベトミンがフランス軍からの防衛のために
トンネルを掘って作り上げていた地下要塞です。

ベトナム戦争が始まると、このトンネルネットワークを破壊するため、
アメリカ軍は

「アトルボロ作戦」

「シーダーフォールズ作戦」

「ジャンクションシティ作戦」

の三つの作戦を発動しました。
たとえばシダーフォールズ作戦だけでも19日間を費やし、参加人数は
アメリカ軍1万6千人、ベトナム軍1万4千人という大勢力で、
この結果72名のアメリカ人が戦死しています。(ベトコンの戦死は720名)

B-52爆撃機、「ローマンプロウ(ローマの鋤)」という装甲ブルドーザ、
「トンネル・ラット」なる特殊部隊(懐中電灯と拳銃だけで武装し、
トンネルに潜入する訓練を受けた兵士)など、あらゆる武力を投入したにもかかわらず、
世界最強のアメリカ軍は20年以上にわたって構築されたベトコン支援システム、
この鉄のトライアングルを完全に破壊することはできなかったのです。

■ トンネル・ラット

ついでにこの「トンネル・ラット」について説明しておきます。

トンネル・ラットはベトナム戦争でアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、
そして南ベトナム軍にあった地下捜索と破壊をミッションとする部隊です。

写真は10歳のオーストラリア軍兵士で、ベトコントンネルを発見し、
これを操作しているところです。

トンネルと一口で言いますが、20年かかって築き上げたベトコントンネルには、
病院、訓練エリア、倉庫、本部、兵舎などがある複合基地が築かれていたのです。

東京にもワシントンにも地下の施設が広がっていて・・・、
という話を陰謀論レベルでよく耳にしますが、ベトコンがやっていたことを
先進国の技術力でやれないわけはなく、わたしはワシントンや東京はもちろん、
ニューヨークにもそのほかの地域にもトンネル都市があるといわれても驚きません。

驚くべきは、地下都市の換気システムが大変高度なもので、あの時代に
ベトコンゲリラは数ヶ月地下に潜伏することができたという事実です。

ベトナム戦争中、アメリカ軍はそこに続くトンネルを発見しました。

そこで、トンネルラットが組織され、潜入して内部に潜む勢力を捕える、
あるいは殺すミッションを課せられたのです。

M1911銃と懐中電灯だけでトンネルに突入しようとする
ロナルド・ペイン軍曹。
しかし、若いですね。20歳そこそこで軍曹か・・・。

ペイン軍曹トンネル移動中。
っていうかこれ誰が撮ったんだ。

トンネルラットに選抜されたのは体の小さな男性(165センチ以下)だったので、
結果的にヨーロッパ系かヒスパニック系(プエルトリコかメキシコ)となったそうです。

なんというか、選ばれてもいろんな意味で羨ましがられない任務ナンバーワンという感じです。

土で掘られ、いつ崩れるかわからないような狭くて暗い穴に忍び込んでいくなんて、
誰にとっても楽しい仕事ではないでしょう。

それに、トンネルの住人もおめおめと客人を通すほど寛容ではありません。
トンネルにはしばしば手榴弾や対人地雷、そしてあのパンジ・スティークが仕込まれ、
ベトコンならではの武器、生きた毒蛇が仕掛けられました。

武器ではありませんが、ネズミ、クモ、サソリ、アリもアメリカ兵には脅威です。
脅威というほどではなくても、コウモリなどもあまり遭遇したくない動物でしょう。

それにときどきこうやって待ち構えてるんだな。ベトコン兵士が。

向こうも敵が入ってくるのは百も承知の上で、U字形の通路を通っていたら
浸水して来て溺死する仕掛けなどを作っており、毒ガスを放つこともありました。

ガスマスクを着用しないと危険だとされていたにもかかわらず、
トンネルラットのベテランによると、彼らはほとんどがガスマスクなしで
穴に潜入していました。

狭い通路でのガスマスクの着用は、視界を遮り、音声が聞き取れなくなるだけでなく、
呼吸すら困難になるという理由からです。


アメリカ陸軍第一工兵隊「ダイハード」は、1969年、
ベトナムのクチ区を巡回した時に「トンネルラットのための特別な場所」
を発見したことをのちに主張しました。

この「ダイハード」という名前におおっと思われるかもしれませんが、
陸軍の部隊はだいたいにして「スパルタン」「ウォリアー」「バトルレディ」
「マッドキャッツ」みたいな名前が基準ですので、驚くことでもありません。

さて、ベトナムのトンネルラッツたちには過酷な戦後が待ち受けていました。
戦後数年で彼らの多くが健康を害することになったのです。

坑内でひどく飽和した空気を吸っていただけでなく、アメリカ軍が武器として撒いた
レインボー除草剤など化学物質にさらされたことが原因でした。

■ ジッポー・モニターボート

この地域は IV CORPS です。
右上、空母から発艦した戦闘機が描かれている横には
「シビリアン・エバキュレーション」(市民脱出)とあります。

エアベースがあり、司令部で高官がメディアの取材を受けているところがあります。

アメリカ軍がバパーム弾を派手にやっている横の河には、
移動河川軍隊であるボートなどが展開しています。

その一番上で火をつけまくっている船が「ジッポーモニター」です。

「ジッポー」はあのライターのことで、図にも明らかな通り、
簡単に火をつけることができることからついた名称なんだろうな、
と何も調べない段階でわかってしまったわけですが、

„Zippo monitor“ in Südvietnam

こりゃジッポーだわ。

正式名はLCM(6)モニター、機動揚陸艇「リバーモニター」級であり、
ベトナム戦争中は機動河川部隊としてベトナム南部の河川で使用されました。

船首には40ミリボフォース砲、そしてM2.50機関銃、81ミリ迫撃砲が後甲板に装備。
軽機関銃とグレネードランチャーも搭載しています。 船体は鋼で重装甲されていました。   「ジッポー」と呼ばれた第二世代型は、主に川の近くの植生を焼き払うために作られましたが、
その数はわずか6隻だったということです。   ニクソンのベトナム化政策の一環として、ボートは徐々に南ベトナム軍に引き渡され、
それらはすべて、戦争のさらなる過程で破壊されたか、戦争後に廃棄されたため、 現存しているのは訓練船として使われていたものだけだということです。  
続く。        

 


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