「戦争のはらわた」
一度聞くなり見るなりしたら、決して忘れない、インパクトのあるタイトルです。
製作者の意向を全く無視した言葉選びのあざとさといい、
「戦争は最高のバイオレンスだ」
というキャッチコピーといい、このときの配給会社(富士映画)宣伝部スタッフに
一体何があってのこの結果だろうと首を傾げざるをえません。
元々このイギリス=西ドイツ2カ国による共同制作による作品、原題は、
「Steiner - Das Eiserne Kreuz」
シュタイナーは主人公の名前で、そのあとに「鉄十字章」をつなげたものです。
イギリス始め英語圏では「The Cross of Iron」であり、通常であれば日本ではせいぜい
「鉄十字」
か、往々にして
「血の鉄十字」「悪夢の鉄十字」「偽りの鉄十字」「鉄十字はつらいよ」
なんて感じになるのですが、いきなり「はらわた」ですよ「はらわた」。
わたしに言わせると、この国内向けタイトルはいつもと「逆方向」に暴走した結果であり、
「邦題迷走選手権」があれば必ず3位以内に入賞すると信じて疑いません。
そもそも映画を観た人なら、これを「はらわた」で括ることには
誰しも異論とか懸念とか疑問とかを挟まずにはいられないのではないでしょうか。
さすがのサム・ペキンパー監督も、日本で(のみ)こんなスプラッタ風味の
悪趣味なタイトルになっているとは想像もしていなかったことと思われます。
昔の映画ですので、最初の数分間は律儀にオープニングタイトルが流れるのですが、
これがまた一風変わっております。
モノクロの第三帝国の写真をバックに、
という子供の合唱。
この曲、日本人なら誰でも知ってる
「ちょうちょ ちょうちょ なのはに とまれ」
というあれなのです。
最後のフレーズが違いますが、これは日本が唱歌として歌詞をつける際、
原曲では言葉がうまくあてはまらないため、アレンジしてあることがわかりました。
子供とヒトラー、そしてヒトラーユーゲントの山登り。
歌詞は、ハンスが一人で旅立って帰ってくるまでの話ですが、
よくよく聞くと、ハンスちゃん、戦争に行ったっぽいんですよね。
ひとフレーズごとに軍楽調のマーチが混入してきますが、それと同様、
死体や捕虜の顔など、さりげなく本作の内容を示唆する悲惨な写真が挟まれます。
さて、というわけでとっとと本編に入りましょう。
舞台は1943年後半、第二次世界大戦の東部戦線。
クリミア半島近くでソビエト軍と対峙している小隊の隊長、
我らが主人公、ロルフ・シュタイナー伍長はできる男。
彼が率いる小隊がロシア軍の前線基地をまさに襲撃しております。
この最初の戦闘シーンで、戦争映画史上初といわれる
「超スローモーションの銃撃描写」
が現れます。
ペキンパー監督は、これ以前に「ワイルドパンチ」でこの手法を試みていますが、
本格的な戦争映画にこの効果を導入して世間をあっと言わせました。
今ではそう珍しい表現ではなくなりましたが、当時は画期的だったんですね。
ちなみにこのとき、襲撃を成功させたシュタイナー伍長が部下をねぎらう言葉は、
「Good kill」(字幕では”よくやった”)
戦闘後、部下の指し示すソ連兵の遺体を見てシュタイナーが
「・・子供じゃないか」
と言った途端・・・、
別の部下が同じような子供を連れてきました。
「ロシアのヒナ鳥だ」
皆が息を飲んで見ていると、彼はポケットからハーモニカを出して、拙い調子で
「ステンカ・ラージン」
のフレーズを吹き出しました。
これがソ連国歌か「インターナショナル」だったら、命はなかったかもしれません。
少年は捕虜として隊に連れ帰られることになりました。
さて、西部戦線のフランスからシュトランスキー大尉が着任してきました。
当時のナチス将校にありがちな裕福な貴族出身の、尊大で傲慢な人物で
実力はないが出世欲だけは人一倍強いというタイプです。
彼を迎えたブラント大佐とキーゼル大尉に(字幕では副官となっていますが多分間違い)
シュトランスキー、こんなところに来たかったわけではないが、全て
「鉄十字賞をもらうためですよ」
と言い放ち、二人ともギラギラしたシュトランスキー大尉の名誉欲に鼻白みます。
なんとこのおっさん、自分さえくればロシアを打倒できるとでも思っている模様。
そこに襲撃からシュタイナー伍長が帰ってきました。
「神がかってる」 「第一級の戦士」 「危険なほど頼りになる男」ブラント大佐とキーゼル大尉からこの男の評価を散々聞かされ、
面白くないシュトランスキー、この時点ですでに敵意満々です。
敬礼を下すが早いか「ロシアンひな鳥」を見咎め、殺せという大尉に、
シュタイナーは表情も変えず、
「ご自分でどうぞ」
と言い放ちますが、流石に子供を撃つほど非情でもない大尉が戸惑っていると、
機転を聞かせたシュヌルバルト伍長が、わたしがやっときますんでー、と、
適当にお茶を濁してその場を収めました。
ところでこのとき、シュタイナー伍長を演じるジェームズ・コバーンは48歳でした。
いくらなんでもこの歳で伍長役はないだろう、という評価は当時からあったようです。
(ドイツ語:Das Geduldige Fleisch、1955年)をベースにしているのですが、
シュタイナーのモデルであるヨハン・シュヴェルトフェーガーという主人公は、
1943年の夏時点で28歳という設定でした。
ひな鳥くんはシュタイナーが無造作に落とした拳銃を手にして
不思議そうに眺めたりしております。
そんな彼をシュタイナーはただ眺めるのみ。
BGMの悲しげなロシア風旋律にシュタイナーの内心が垣間見えます。
ここで、戦線を描いた映画のお約束、新兵くんが着任してきました。
シュタイナーへの返事にうっかり「イエス、サー」と答えてしまい、たちまち
「俺をサーと呼ぶな!」
と釘を刺されてしまいました。
アメリカ海軍もそうですが、下士官は皆「サー」と呼ばれるのを嫌います。
さてこちら、着任早々シュタイナーを呼びつけ、曹長への昇進を言い渡すシュトランスキー。
こうすれば生意気な彼も畏れいるだろうとでも思ったのでしょう。
しかし、シュタイナー、微塵も喜びません。
昇進を喜ばない軍人などこの世にいるはずがないと信じているシュトランスキー、
この彼の態度が大いに不満です。
そこで報告の言葉尻を捉え、この不遜な伍長に無理な説教を試みますが、
相変わらず人ごとのような暖簾に腕押し的反応に戸惑うばかり。
さて、というところで戦争映画ではもうおなじみ、
「ドイツ兵が皆で歌うシリーズ」!
Hoch Soll Er Leben!
本日のお題は「誕生日」。
「ホッホ・ゾレア・レーベン、ホッホ・ゾレア・レーベン」
という歌詞、つい一緒に歌ってみたくなりますね(嘘)
タイトルの意味は「彼は立派に(よく)生きるだろう」が直訳で、
字幕では
「長生きするぞ 長生きするぞ 今の3倍長生きするぞ」
となっています。(どこかの教団を思い出したのはわたしだけ?)
このマイヤー少尉の誕生日を下士官兵含む皆でお祝いしているわけですが、
戦場で「長生きするぞ」ってあなた・・・。
第一これ、フラグってやつじゃないのかしら。
ちなみに戦争映画で新兵、故郷に恋人、犬飼ってる、そして誕生日、
ときたらもうダメと思った方がいいでしょう。
彼は近いうちに戦死する運命です。
いつの間にかドイツ軍の上着を着たロシアン子供がケーキを運んできました。
クリームもなく実に不味そうですが、とりあえずローソクだけは巨大なのが立ってます。
そんな中、苛立ちをあらわにしてしらけさせてしまう者も現れますが、
シュタイナーは彼を慰め、皆をとりなして場を和ませるのでした。
下からの人望も厚いという設定だね。
ところで何かといらんことばっかり思いつくシュトランスキー。
今度は副官のトリービヒ少尉と伝令のケプラーを前に、ネチネチと
軍隊における男同士の恋愛について語り出しました。
ちなみにトリービヒは「Leutenant」となっていますが、
ナチス ドイツの階級では少尉の意味です。
ちょっとしたシーンから、この二人が「できてる」と確信を持ったのでした。
こんなことだけにはよく気がつくおっさんです。
二人はフランス戦線から志願して一緒にここにやってきたという関係でした。
ちなみに字幕も解説もトリービヒが中尉だとしていますが、
大尉の副官が中尉であろうはずもなく、これは絶対に間違いです。
当たり障りなく質問に答えていたトリービヒですが、
シュトランスキーの誘導尋問に引っかかってしまいました。
問題は、ドイツ軍では同性愛が禁じられていたということです。
ニヤニヤしていたのが急に目が座って怖いよこのおっさん。
「ラウダー!」「ラウダー!」(大きな声で)
を何度も畳み掛けて圧力をかけ、今度はケプラーにも認めさせ、
二人から言質を取るやいなや、見つかったら二人とも処刑になるぞ、と脅すのでした。
本作は、あのオーソン・ウェルズに高く評価されています。
彼は、この作品が「西部戦線異常なし」以来自分が観た中で最高の戦争映画だと述べました。
理由は様々ありましょうが、少なくとも日本の配給会社が「はらわた」と名付けたところの
戦闘シーンの計算されたバイオレンス描写を言っているのではなさそうです。
誕生会の次の日、ロシア軍の攻撃に備え早朝から待機しながら、
シュタイナー曹長がシュヌルバルト伍長とこんな会話をします。
「俺たち、ここで何をしているんだろう」
「ドイツ文化を伝播しているのさ・・この絶望的な世界に」
「誰かが言っただろ?"War is an expression of civilisation by any other means."
『戦争は違う手段による文化的表現だ』と」
「そうだ、あのアホは・・・フリードリッヒ・フォン・ベルンハルディ」
「クラウゼヴィッツは・・」
「クラウゼヴィッツか。あいつはこう言った。
"War is continuation of state policy. "『戦争は国策の延長である』」
「"...by other means."(形を変えた)」
「そうだ。形を変えた」
フォン・ベルンハルディはプロイセンの軍人で軍事学者でもあります。
第一次世界大戦には現役で参戦し、戦死しました。
シュタイナーと伍長、両人の教養と知識の高さを表すとともに、
戦争の本質を観る者に問いかけようと試みる制作の意図が窺えます。
ロシア軍が攻撃をかけてくるという情報により待機している守備線で、
シュタイナーはソ連軍の子供捕虜を逃してやります。
この子供役はどこで調達してきたのか、本物のロシアンキッズです。
そのとき、それまで一言も喋ったことがなかった子供が、 「シュタイナー」 と彼の名を呼び、ハーモニカを投げて寄越しました。
しかしその直後、やってきたソ連軍の斥候兵に撃たれてしまいます。
フラグには「ハーモニカ」も付け加えることにしましょう。
茫然と死んだ子供の顔を見つめたのも一瞬でした。
ソ連軍が威力偵察をかけてきたのです。
ドイツ側の塹壕にまで迫ってくる勢い。
ブラント大佐は激しい攻撃に狼狽するシュトランスキーに電話で指示を出します。
ていうか、この人戦場で何をオタオタしているの。 大口叩いてた割には怖がりさんなのね。
そして激しい戦闘でフラグの立っていたマイヤー中尉も戦死。
果敢に部下を指揮していましたが、塹壕に侵入した敵の銃剣に刺されるという壮絶な最後です。
その後の戦闘で意識を失ったシュタイナーが幻覚から目覚めると、
美しい看護師、マルガが彼を覗き込んでいました。
仲間を何人も失ったあの戦闘で、シュタイナーは脳震盪だけですんだのです。
しかし、名誉の負傷ということで帰国を許されることになったのでした。
負傷兵を収容する病院では、高官の視察のためにパーティが催されました。
負傷兵バンドが演奏するのは、 So ziehen wir unter fremder Fahne(もろい者どもが慄いてるぞ)
全員直立不動で合唱しているこの歌は、ナチスの進軍歌です。
よーつべで探したのですが、ブラックメタルバージョンしかありませんでした(謎)
昏睡から覚めたばかりのシュタイナーは幻覚が消えず、
部下と他人を見間違えます。
しかし当時にしてこの特殊メイク、すごいね。
そこに高官がやってきて負傷兵の「閲兵」を始めました。
こんな人に握手を求めてみたり。
ちなみにこの兵隊さんはしつこく左手に握手を求められると、
やはり手首から先のない左手を見せ、次にほらこれとでも握手しろよ、
といわんばかりに無表情で足を持ち上げてみせます。
高官は次に握手をガン無視するシュタイナーに一瞬むっとしますが、
その胸に並んだ戦功の証である各種バッジに気がつくとたじろぎます。
ちなみにこの高官、宴席の料理から肉と酒だけ自室にちゃかり運ばせて、負傷兵たちには 「野菜を食べろ。体にいいぞ」
シュタイナーは美人の看護師とすっかり意気投合。 ダンスの時に流れているのは、ヨハンシュトラウスの「ウィーン気質(かたぎ)」です。 しかし、一夜が明けてみると、彼は結局隊に戻ることを選択するのでした。 さっさと荷物をまとめ、寝室を出ていこうとすると、彼女は
「戦争が好きなのね」 そしてひとことも返事をしない男に向かってこう最後に呟くのでした。 「ドイツ万歳 ”Long live Germany."」
続く。