散歩の途中でたまたま見つけた街の博物館、「ザ・フリック」。
ニューヨークの美術館「フリック・コレクション」のオーナーであった
ヘンリー・クレイ・フリック夫妻が結婚して最初に住んだ邸宅跡でもあります。
「ザ・フリック」ではちょっとしたガイドツァーが企画されており、
ガイドに案内されて敷地内を歴史的な説明を受けながら歩くことができます。
う
ツァーの申し込みをするのは敷地中央に建つこの近代的なビル。
ここにはミュージアムショップもあります。
時節柄、フリック・コレクションの人物画がマスクしている絵葉書などが・・・。
葉書真ん中のエリザベスカラーの女性(誰?)はマスクをしたままTシャツになっていました。
いろんな意味でこんなの誰が買うのかと思いました。
■The Car and Carriage Museum(車と馬車博物館)
前回お話しした特設展「スポーツファッション」は有料でしたが、
ここには無料の常設展、「車と馬車博物艦」があります。
今日はこの展示をご紹介します。
まず、この1931年型アメリカン・オースチンの後ろに広がる
広大な展示スペースをご覧ください。
20世紀に入って登場した自動車はアメリカの生活を大きく変えました。
この博物館では、馬車から始まり、ピッツバーグに影響を与えた最初の馬なし馬車、
20世紀初頭にさかのぼる自動車のコレクションを網羅しており、
自動車産業の発展におけるピッツバーグの役割について学ぶことができるというわけです。
Brewster and Company 1903 ブリュースター&カンパニーの幌付き馬車。
前方の両輪上にローソクを灯す「ヘッドライト」があります。
これを馬が引くわけですから、照らすのは馬のお尻ということになりますが・・。 後部に御者の座席があるようですが、どうやって馬を制御したんでしょうか。
こちらも同じ会社の大型馬車で、1903年型だそうです。
こちらは車室の外側に御者席があります。
ここからは自動車です。
当博物館で最も有名なのがこのロールスロイス社製かもしれません。
1923年サラマンカThe Salamanca Town Car 。
英国ロールスロイス社と、米国マサチューセッツ州スプリングフィールドにある
同社の生産拠点との革新的なパートナーシップによって生み出された、
エレガントでスタイリッシュな車です。
その高い技術力とデザインは、現在もロールスロイスブランドの特徴である
エクスクルーシブな雰囲気を醸し出しています。
オープンカー走行と風雨から乗員を保護するよう設計されています。
ボディを製作したのは先ほどの馬車を作ったブリュースター&カンパニーです。
リンカーン スポーツ幌型自動車 Model K 202A, Sport Phaeton 1931
「フェートン」というのは二頭引きの四輪馬車のことですが、
自動車時代になって幌付きの4輪車にこの名称が使われるようになりました。
後部のナンバープレートにはマサチューセッツ州を表す「MASS」が書かれています。
魚焼き網のようなものは脚台兼異物巻き込み防止装置かもしれません。
■ ボイス・モトメーター
モトメーターという言葉をご存知でしょうか。
この車のボンネットノーズに乗っているものですが、後に説明する
フード・オーナメントと違い、こちらは実用的な道具です。
モトメーター
正式にはボイス・モトメーターは自動車のラジエーターの温度を表示する器具です。
運転席にいながらエンジンの温度を知ることができるシンプルで画期的な発明で、
同社を設立したのはドイツ系移民のヘルマン・シュライヒという人物でした。
ボイス・モトメーター社は、それから1920年代後半にかけて、
メーカーやディーラーのロゴと文字を印刷した金属製の文字盤を内蔵した
モトメーターを小型車用、中型車用、大型車・トラック用と生産しました。
このトッパーで所有者は職業、好み、ビジネス、好きなスポーツ、
さらには政治的主張を誇示するのが流行となったといいます。
その後ダッシュボードに取り付ける温度計が登場するとこの装置は市場から消えました。
ボンネットの形が先鋭的。
こういうのが当時のエアロダイナミクスの最先端だったのでしょうか。
この博物館は無料なので誰でも気軽に入ってこられますが、
フラッシュ撮影や展示物のお触りなど禁止行為を見張る係がいて、
(車の向こうのタグをかけた人)この人がものすごく神経質に
見学者の一挙一動を凝視していました。
車が発売された時にその助手席に乗っていたであろう淑女のドレスを
その横に展示し時代を感じさせるという趣向です。
総ビーズのドレスは当時パリで絶大な人気があった
アフリカ系アメリカ人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーのイメージ。
当時のカーデザイナーは本当にこんなことをやっていたのでしょうか。
DeSoto Deluxe S-10 Sedan(1942)クライスラー
とくにこのジューイッシュ家族が騒がしい子供を連れてはいってきたとき、
警備のおじさんの緊張度はマックスに(笑)
だって、騒ぐし、ちょっと目を離したらペタペタ触りかねないし。
おじさんの注意は全部彼らに持っていかれました。
ところで、このDESOTOという車のノーズをご覧ください。
オーナメントがクリスタルです。
先ほどの「モトメーター」の流行は、そのうちモトメーターが使われなくなっても
車を装飾するオーナメントという形で残っていきました。
このオーナメントの名前は「 Flying Goddess」(飛ぶ女神)。
風に吹かれている優雅な女性のモチーフは、
車のイメージである優雅さと美しさを表すものとして好まれました。
■ロールスロイス「スピリット・オブ・エクスタシー」の誕生
そこでもう一度このロールスロイスをご覧ください。
ロールス・ロイス社のマネージング・ディレクターであったクロード・ジョンソンは、
アーティストのチャールズ・サイクスにブランドのためのオーナメントの制作を依頼しました。
ジョンソンが求めたのは、ロールス・ロイスの優雅さ、洗練された雰囲気、
そして静かなスピード感を感じさせるオーナメント。
1911年に発表された「スピリット・オブ・エクスタシー」は、
1920年代初頭にはロールス・ロイス車の標準装備となりました。
女性が両手を広げて遠くを見ている姿は、ツーリングの醍醐味を表現しています。
「キャスト・イン・クローム〜フード・オーナメントの芸術」。
これが車と馬車の博物館で行われていた特別展でした。
歴史の中で、フードオーナメントは、モトメーターという実用的なものから、
純粋に装飾的なものへと進化してきました。
現在では、一部の高級ブランドがその伝統を引き継いでいます。
たとえばこの右側。
昔はメルセデスというとこのオーナメントが標準装備だったようですが、
案外簡単に折れるらしく、メルセデスオーナーはよく
このマークを盗難される、という話を昔聞いたものです。
バブルの頃、何度か取られて頭に来て、針金で作ったマークを付けていたら
それも盗られたという「知り合いの知り合いの話」を聞いたことがあります。
真ん中のオーナメントはイギリスのベントレー社のものですね。
もともとラジエーターの温度を監視するために始まったものが、
車のステータスや個性を示す手段になっていくのを、メーカーが見逃すはずはありません。
メーカーはそれをブランディングとして利用し、自社製品、
あるいは特別モデルのために競って純正のフードオーナメントを作成しました。
アーティストがオーナメントのデザインのためのデッサン中。
このモデルさんの背筋力に驚く前に、後ろにすでに完成したデザインがあるのに注意。
これは宣伝用のいわゆるやらせ写真で、このポーズをさせた女性を
ゼロからデッサンしたというわけではなさそうです。
という感じでできた
ナッシュ メトロポリタン 「フライングレディ」。
風を受ける女神というモチーフはいくつかのメーカーが好んで採用しました。
このポーズでじっとしているモデルさんも大変そう。
説明がなかったのでこのデッサンがどのオーナメントになったのかわかりませんが、
プリマスのフライングゴッテスか、キャデラックのフライングニンフかな。
■ 弓を構える人(アーチャー)モチーフ
弓を構える「アーチャー」も人気のあるモチーフでした。
ジャガーの有名なmurder-feline 殺人猫科動物(笑)オーナメントは皆さんもご存知でしょう。
車のボンネットの先端に「相手に襲い掛かるような」
攻撃的なモチーフをあしらうことは、ジャグワーが嚆矢だったかもしれません。
ピアース・アローは、ジャグワーの攻撃的なデザインに対抗し、
マシンの前を通り過ぎる人の首の高さに向かって、弓矢を射る男を
フード・スタイリングの中心に据えました。
「間違いなく、このアローはあなたの頸動脈を射抜き、
アスファルトの上で血を流させて去っていくでしょう」
↑今にすればどうかと思うキャッチコピー
キャディラックの「フライング・ゴッデス」オーナメント。
とても装飾的で優雅なデザインです。
左上の「レディ・イン・ザ・ウィンド」は、
M.ギラール・リヴィエールという彫刻家の作品だそうです。
イナバウアーしている人発見(左前)
動物モチーフでジャグワーと並んで有名なのはフォードのグレイハウンドですが、
ここに展示されている1936年型リンカーンもグレイハウンドです。
直立するウサギという珍しいオーナメントは、
アルヴィス(ALVIS)というイギリスの自動車メーカーのもの。
1967年まで存在していました。
右は今もバリバリ現役のダッジがかつてオーナメントにしていたラム。
ダッジはこの羊に敬意を表して、1981年に「ダッジ・ラム」を発売しました。
1939年に発売されたフォードのマーキュリー8には
ほとんどボンネットと一体化しているような抽象的な飾りが付けられました。
「マーキュリー」というローマ神話の「俊足の使者」を意味する名前は、
具現的なオーナメントの題材に格好のテーマだったはずですが、
命名者のエドセル・フォードはあえて一体型を目指したようです。
オーナメントの具体的な制作方法。
「ネフェルティティの帽子に吸い込まれる人」(嘘)
今回検索すると、フードオーナメントは盗難などで逸失することが多く、
実用的でないことから姿を消しましたが、オークションサイトでは
ピンキリの値段で売買されていることがわかりました。
それこそ、クリスタルグラスのものから、ちゃちなダイキャストのものまで、
その世界のコレクターも存在するようです。
今まで知らなかった、車のノーズ上に展開する芸術の世界。
実用品が飾りとなり、さらにはアートとなって、製造者が付加価値を与え、
市場がそれを広め、コレクターがさらに希少価値を生み出していく・・。
今ではほとんど姿を消したフードオーナメントにこんな歴史とストーリーがあったことを、
わたしはこのたび、ピッツバーグの街の一角でであらためて知ったのです。