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”アメリカの忘れもの” ラオスのUXO問題〜ハインツ歴史センター ベトナム戦争展

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「ヒトラーの忘れもの」

という映画については一度軽くここで触れたことがありますが、
「Under Sandet」(デンマーク語で砂の下)というタイトルに
一体何をしてくれとんのじゃ、と思わずガンを飛ばしたくなる、相変わらずの
日本の映画配給会社の絶望的なネーミングセンスのなさはともかく、
砂の下に埋まった地雷すべてをヒトラー一人のせいにしてしまうという
戦後世界のあるべきとされる方向性を如実に表しているという意味では
なかなか当を得たものであったとは思っているわけです。

ラオスの不発弾問題はそれこそ”アメリカの忘れもの”そのものじゃないか、
ということで本日のタイトルに採用させていただきました。

 

さて、ベトナム戦争によって、ベトナムのみならず、ラオス、カンボジアに
地雷と不発弾が撒き散らされました。

冒頭の

ラオスの大地には8000万本の爆弾が残っている
撤去された爆弾の数は1%にも満たない

と書かれたポスターには、処理された地雷がまるで木の実のように山になっています。

Looks like a ball. Kill like a bomb.
(ボールのように見えますが、爆弾と同様人を殺します)

わたしも写真のキャプションを見るまでは恥ずかしながら
冒頭写真を木の実の山だと思っていたくらいです。

戦争が終結した後も、毎年不発弾は偶発的な爆発によって
数千の人々を殺傷し、傷を追わせてきました。

 

ポスターで少女が地雷を持っていますが、ラオスでは

ボンビーズ Bombies

と可愛らしい名前で呼ばれるクラスター爆弾はとても小さく、
子供たちが見つけておもちゃのように不発弾を手にするケースがありました。

2017年、10歳の女の子が「ボンビー」を見つけて拾い、家に持って帰ったところ、
家族全員がいるところで爆発したなどという例は決して珍しいことではないのです。

たとえば、このアイリッシュタイムズの記事で紹介されている例をご覧ください。

Yeyang Yangというこの31歳の男性は、ゴミを燃やしていたところ、
その熱で引火し、爆発した地中の不発弾によって顔を失いました。

右耳は完全に失われ、かつて耳のあった部分には穴が開いているだけです。
右手は骨と筋肉の塊となってしまい、指がありません。
彼の顔は、まるで溶けた肉色のプラスチックのマスクで覆われているかのようです。
彼の赤い目は常に涙を流していて、きちんと閉じません。

これでも彼は8ヶ月間入院し、皮膚移植を受けたことがあるのです。
しかも手術は大変痛みを伴う辛いもので、もう二度と受けたくないと言っています。

不発弾は多くの死者を出しましたが、生存者はそのほとんどが悲惨な怪我を負いました。
統計によると負傷者の3分の1は手足や視力、酷い場合は両手足を失う例もあります。
毎年、何百人もの人々の人生が、傷を負うことによって永遠に変わってしまうのです。

発展途上国であるラオスでは、ほとんどの人が生まれた土地で肉体労働をしながら
なんらかの生計を立てているのですが、その唯一の資本である身体に不調を生じれば、
生きていくことさえも容易ではなくなるということになります。

Yeyang Yangさんも元々は農業をしていましたが、それでは足りないので
副業としてやっていたゴミを燃やす仕事でこの事故に遭いました。

身体はもちろん、彼の脳は爆発の影響で集中することすら困難な状態です。
彼は爆発事故の後、何年もの間、村はおろか家からも出ることができず、
身体に負った傷は彼の心を深く蝕み、家族やコミュニティから孤立するばかりでした。

ラオスでは医療制度によるメンタルヘルスのサポートというものがそもそもないのです。

また、同じ記事で紹介されている25歳のフォマリーンさんは、2016年の10月5日、
作業していた畑で小さなシェルを見つけ、持ち帰りました。

この金属でナイフを作ろうとしてシェルを開けようとしたところ、
爆発して目が見えなくなってしまったのです。

四世代の家族と同居している彼は、一家の長であり、働き手でもあったのですが、
事故以来肉体労働を行うことができなくなりました。

 

もし

アメリカ合衆国の国土の30パーセントが不発弾で覆われたら?

受け入れられますか?

というポスターには、文字通り30パーセントの国土が爆弾で覆われています。
そして、

アメリカは8000万個の不発弾をベトナム戦争中の爆撃でラオスに残しました。

と「戦争の遺産」を糾弾しています。


冒頭の不発弾のポスターには、

Legacies of War (戦争の遺産)

と書かれていますが、まずこの「レガシーズ・オブ・ウォー」は、
ベトナム戦争時代のラオスでの爆撃の歴史についての認識を高め、
不発弾の除去と生存者の支援を提唱し、戦争の傷を癒す場を提供し、
平和な未来への大きな希望を見出すことを目的とする組織です

アメリカは1964年から1973年までの9年間に、

58万回の爆撃を行い、
200万トン以上の兵器
2億7000万発の爆弾

をラオスに投下しました。

これは8分に1回、24時間に1回、飛行機1台分に相当します。
その結果、ラオスは国民一人当たりが受けた爆撃が史上最も多い国となりました。

クラスター弾の約30%、8000万個が不発のままで、
これにより国家の発展の可能性が失われたといっても過言ではありません。

Legaciesの主な目標は以下の通りです。

ラオスおよびベトナム戦争時代の爆撃の遺産について、
米国およびより広い国際社会の認識を高めること

ラオスにおける不発弾の除去と被害者・生存者への支援を強化するため、
アメリカから、および国際的な支援を提唱する。

ラオスの戦争から得た教訓をもとに、平和と安全保障の問題について議論し、
アメリカ国内のコミュニティを巻き込み活動につなげる

ラオス系アメリカ人の支援とそのコミュニティが関心を持つ問題について提言を行う

Legaciesの財政は個人、財団、企業のサポーターからの寄付で成り立っており、
政府からの資金提供は受けていません。

■ ベトナム戦争終結後

1975年の戦争終結後、ラオスの村人たちは畑や庭にある不発弾の処理を
すべて自分たちで行わなければならなくなりました。

1994年、メノナイト中央委員会は、ラオス政府および諮問機関と協力して、
民間資金による人道的地雷除去プログラムを開始することを決定。

1996年にはラオス国内の地雷除去グループ

「UXO Lao」

が結成されました。
「UXO」とは「Unexploded Ordnance」の省略形で、不発弾のことです。

米国をはじめとする各国政府も地雷除去活動を支援するようになりましたが、
アメリカが拠出した額は年間平均250万ドルから300万ドルで、
問題に適切に対処するために必要な推定額をはるかに下回ることになりました。

2004年、当時フォード財団に勤務していた女性、

セラ・カムボンサ(Sera Khamvongsa)

は、政策研究所所長のジョン・カヴァナから戦争の話を聞き、
ラオスでの爆撃を生き延びた人たちが描いた絵を見たのがきっかけで
「Legacies of War」を設立することを決心しました。

 

■ アメリカ合衆国の「秘密の戦争」

先ほども書きましたが、ラオスは国民一人当たりに対し、空爆が
世界で一番多かった国、というありがたくないタイトルを持っています。

1964年から1973年の間、当時のラオスの人口で計算すると、
1人当たり1トンの爆弾が落とされたというくらいなのです。

第二次世界大戦後、フランスの植民地支配下に置かれていたラオスは、
1953年に独立を果たしたのですが、国内で権力争いが起き、内戦に発展します。

ベトナム戦争に介入していたアメリカ政府は、ラオスの共産主義化を断ち切るため、
北ベトナムに対抗させるためにラオスにゲリラ訓練を施したりしましたが、
戦況において北ベトナムが優位になってきたため、1964年、
ラオスでの秘密作戦の一環として空爆を決行したのでした。

例の「ホー・チ・ミン・ルート」を断ち、北ベトナムから南のベトコンへの
兵力・戦争物資の供給をストップするという目的のためです。

そして、これはとんでもない理由だと思うのですが、アメリカ軍はラオスをなんと、

爆弾の投棄場所

にしていたというんですねー。

つまり、アメリカの爆撃機は、ベトナムで本来のターゲットを爆撃できなかった場合、
タイの米軍基地に帰る途中、ラオスにひょいっと爆弾を捨てていくのです。

理由は爆撃機は爆装したまま着陸することができないからです。

捨てるといっても爆発したりしなかったりで、爆発しなかった不発弾は
戦争から約40年経った今日でも問題となっているというわけです。

しかしまた、ラオス民衆も滅法したたかで、不発弾やクラスター爆弾のケースなどを
加工して、日常生活にちょっと取り入れてみたり(植木鉢とか?お椀とか?)
それだけならまだしも、観光客にお土産として爆弾の残骸を加工して売る村、

「ウォー・スプーン・ヴィレッジ」

なるものもあるというからちょっと驚きます。

こういう、貧困ゆえにやむなく残骸ビジネスに手を染めた人々は、
国土から残骸が一掃されたらご飯の種が無くなって困るというジレンマにあります。

 

2010年の夏、Legaciesは、オバマ政権のヒラリー・クリントン国務長官に

「ベトナム戦争時にラオスに残された不発弾の除去のための資金を大幅に増やすこと」

として、米国がラオスにおける不発弾除去のために、今後10年間、
毎年1,000万ドルを拠出するように提言しました。


もちろんラオスの不発弾問題に関わっている団体はほかにも、

地雷撤去専門の非政府組織「ヘイロー・トラスト」

「マインズ・アドバイザリー・グループ」(MAG)

「ノルウェー市民援助」(NPA)

「UXO(不発弾)ラオス」(ラオス政府管轄)

「ハンディキャップ・インターナショナル」

などがあります。

慈善団体World Educationもそのひとつで、冒頭に紹介したヤンさんに対し、
交通費、入院費、薬代、そして彼に付き添う家族の費用を負担しています。

現在、ヤンさんは他の地域で自分の体験を語り、他の被爆者を支援しています。
農場で働くことはできなくなりましたが、被曝者としての体験を伝えることで
誰かの役に立っているということは、彼に平穏と使命感をあたえ、それが
今のところ生きていくための重要な心の支えとなっているのです。

失明したフォマリーンさんも、「World Education」の支援で
マッサージ師になるためのトレーニングの可能性を現在模索しています。

しかし、目が見えず、肉体労働ができないという事実は変えられません。

正直なところ、仕事ができない上介助を必要とする彼の存在が重荷らしく、
家族のうち一人など、彼を連れて行って永久的なケアをしてくれないかと、
ワールド・エデュケーションに個人的に頼んできたということです。

家族から厄介払いされそうになったという事実はフォマリーンさんを深く傷つけ、
いまだに毎日悪夢にうなされている、とスタッフは打ち明けています。

 

博物館にはクラスター爆弾のシェル実物が展示されています

クラスター爆弾( cluster bomb)は、容器となる大型の弾体の中に
複数の子弾を搭載した爆弾で、クラスター弾、集束爆弾(しゅうそくばくだん)
などとも呼ばれるものです。

ベトナム戦争期に使用されたタイプは、ケースに野球ボール大の子爆弾を300個ほど内蔵し、
その子爆弾ひとつの炸裂で600個ほどの金属球を飛散させるというもので、
ここに展示されているのはその子爆弾である「ボール爆弾」のシェルです。

この子爆弾は、手榴弾や指向性の無い散弾地雷のように、人員や車両など、
非装甲標的に被害を与えるものです。

不発弾が国際問題となったとき、保有国であるアメリカの対応は

クラスター弾不発率の低下を目指す

というものでした。

うーん・・・そっち?(´・ω・`)

 

続く。

 

 


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