長らく語ってきたハインツ歴史センターのベトナム戦争展シリーズも、
ようやく最終回にたどり着きました。
■ 史上最も誤解された歌詞
故郷でちょっとしたトラブルがあって
ライフルを手にした俺は
異国の地に送り出された
「黄色いの」を殺しに行くために
I was born in the U.S.A., I was born in the U.S.A. 俺はアメリカに生まれた
『Born in the U.S.A.』は、アメリカのロックシンガーソングライター、
ブルース・スプリングスティーンの作品で、1984年リリースされました。
彼の代表曲であり、ローリングストーン誌の「史上最高の500曲」では275位、
RIAAの「Songs of the Century」では、365曲中59位にランクインしています。
このジャケットや、タイトルそのもの、そして「俺はUSAに生まれた」という
シンプルで力強いサビ部分が力強く、愛国的な気分を煽ることから、
「ポピュラー音楽の歴史上最も誤解された曲のひとつ」
という説明があるのにはちょっと笑ってしまいました。
冒頭の2コーラス目の歌詞を読んでいただければ一目瞭然、
この曲の「俺」とは労働者階級のベトナム帰還兵であり、
彼が祖国に戻って直面しなければならない困難や疎外感を歌った曲なのです。
元居た製油所に帰ってきたら、採用係はいった
「お若いの、わたしが決められるならなあ」
V.A.(退役軍人局)の人に会いに行ったら言われた
「なあ君、わかっていないようだね」
1980年代初頭、アメリカは不況に陥っていました。
ほとんどの帰還兵が直面した無残な現実と、落胆する主人公。
それはサビの空虚なスローガンと皮肉な対比を為しています。
にもかかわらず、面白いことに、その歌詞を慎重に吟味することなく、
政治家が集会や選挙イベント、勝利演説の際に使用していたというのです。
サビの部分で合唱し、国旗を振って盛り上がるために。
はい、そのおまぬけな政治家は誰ですか〜?って、すごい大物がいますよ。
ロナルド・レーガン!
パット・ブキャナン!
うーん、どちらも保守系の政治家ですよね。
しかしアメリカ人の関係者、誰も歌詞が聞き取れなかったのかしら。
ケサンに弟がいた
ベトコンをやっつけた
ベトコンはまだそこにいるけど彼はもういない
彼にはサイゴンに好きな女がいた
女の腕に抱かれている弟の写真が返ってきた
ケサンでアメリカ軍が戦ったのはベトコンではなく北ベトナム軍ですが、
Khe Sanh
Viet Cong
all gone
Saigon
と韻を踏むためにベトコンということにしたようです。
ベトナム戦争はアメリカの労働者階級を社会的・経済的に追い詰め、
空虚なナショナリズムと国家の誇りは彼らに取って何の益もなかった、
と歌詞は訴えます。
■ 政治的利用
1984年8月下旬、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の売れ行きは好調で、
ラジオ局では頻繁に曲が放送され、関連ツアーも大きな話題を呼んでいました。
そして、スプリングスティーンを古典的なアメリカの価値観の模範と称賛する人もいました。
「スプリングスティーンの政治的なことは全く分からないが、
彼のコンサートでは苦しい時代の歌を歌うときに旗が振られる。
彼は泣き言を言う人ではない。
閉鎖された工場やその他の問題を語るときには、
いつも『アメリカで生まれたんだ!』という
壮大で明るい肯定の言葉で締めくくられているようだ」
なるほど、この人にとっては「アメリカで生まれた」という部分は、
絶望的な境遇から立ち上がるための「掛け声」なのかもしれません。
そう思って聴けば、なぜ多くのアメリカ人が誤解したのか、
少しは理解できるような気がします。
この文章を書いた人物は、レーガン大統領の再選組織とのつながりがあり、
当時本格化していた1984年の大統領選挙のキャンペーンに
スプリングスティーンを担ぎ出すことはできないかと考え、
本人に問合せまでしたということです。
スプリングスティーン本人がそもそもレーガンを支持していなかったため、
ていよく断られてしまったわけですが、それにもかかわらず、
当時行われたキャンペーンで、レーガンは次のようにスピーチをしました。
「アメリカの未来は、皆さんの心の中にある千の夢の中にあります。
多くの若いアメリカ人が憧れる歌に込められた希望のメッセージの中にあります。
アメリカの未来は、皆さんの心の中にある千の夢にかかっています。
そして、その夢を叶えるお手伝いをすることが、私のこの仕事のすべてなのです」
「若いアメリカ人が憧れる歌」とはもちろんこの曲のことです。
その直後、ピッツバーグで行われたコンサートで、
スプリングスティーンはそのレーガン陣営に痛烈な皮肉を放ちました。
失業した自動車工が殺人に手を染める様子を歌った
「ジョニー99」という曲を紹介して、
「先日、大統領がわたしの名前を口にしていたけど、
彼が(この曲を含む)わたしのアルバムを聴いていたとは思えない」
と語ったのです。
そしてさらにその数日後、今度は大統領選に挑戦するウォルター・モンデールが、
スプリングスティーンの応援を受けたというようなことをいうと、
スプリングスティーン側は即座にこれを否定しました(笑)
最近では「Born In The USA」がトランプ前大統領の集会や、2020年10月、
大統領がCOVID-19の治療を受けていた病院の外で聴かれたという話があります。
肝心のスプリングスティーン自身がトランプ大統領を毛嫌いしていて、
公然と悪口を言っていたということをさておいても、やはりこの曲の内容は
その状況に全くふさわしくないという「真っ当な」意見があったようです。
■ 国旗と「Born in the U.S.A. 」
アメリカ国旗を背景にしたスプリングスティーンの背中の写真が
アルバム・ジャケットに採用されましたが、スプリングスティーンは、
そのコンセプトの由来についてこうコメントしています。
「国旗を使ったのは、1曲目が『Born in the U.S.A.』という曲だったからです。
しかし、国旗は強力なイメージであり、それを自由にしたら何をされるかわかりません」
その言葉の通り、これをスプリングスティーンが国旗に向かって放尿している、
などという人たちも現れましたが(笑)彼はそれを否定しています。
「あれは意図的なものではなく、いろいろなタイプの写真を撮って、
最終的に顔の写真よりもお尻の写真の方がいいと思ったから採用したのです。
秘密のメッセージはありません」
最後に、この曲のまだ訳していない出だし部分と、最後のフレーズを記しておきます。
簡単な単語で構成されているのですが、ものすごく翻訳が難しかったことを白状しておきます。
果たしてこれが本人の意図を汲んでいるかは全く自信ありません<(_ _)>
死者の町で生まれ落ちた
最初の出だしで地面に叩きつけられた
叩かれすぎた犬のようになって積むのさ
ごまかしながら人生の半分も過ごさないうちに
罪悪感の闇に突き落とされて
製錬所のガスの火のそばで
俺は10年間燃えながら道に沿って歩いてる
逃げるところもなく行くところもない
Born in the U.S.A., I was born in the U.S.A. (私はアメリカで生まれた)
Born in the U.S.A. (アメリカで生まれた)
俺はアメリカの「ロング・ゴーン・ダディ」(とっくに死んだパパ)
Born in the U.S.A., Born in the U.S.A., Born in the U.S.A., Born in the U.S.A.
ボーン・イン・ザ・U.S.A.
俺はアメリカのクールなロックオヤジ
「Long gone Daddy」
という言葉の解釈が難しかったのですが、じつはアメリカ人なら
誰でも知っている(らしい)R&Bのハンク・ウィリアムズの曲に
「I'm a Long Gone Daddy」
というのがあって、これが、自分を必要としていない相手のもとを去る男が
自分のことをそう呼んでいるという設定で使われている有名なラインです。
「僕はもうとっくに死んだパパだから、君は必要ないよ」
この「君」は、
「僕は僕をもっと正しく扱ってくれる女の子を探すよ
君は別の男を見つけてそいつと好きなだけ喧嘩するがいいさ」(意訳)
という歌詞から、「恋人だったことのある女性」ということになっていますが、
スプリングスティーンはもっと広義での「パパ」として使っていると思います。
スプリングスティーンはこの歌から言葉を引用していて、
「I'm~」のwikiにもそのことが書かれています。
ついでに、「クールなロック『ダディ』」というのは明らかに変ですが、これも
前半の「long gone daddy」に合わせた結果、そうなったのだろうと思われます。
■ ある帰還PTSD患者の手紙
PTSDプログラムを受けているある帰還兵が手紙を書きました。
宛先は
憎しみ、憤怒
フラッシュバック、強迫観念
悪夢、孤立不安
自殺願望、人間関係の損壊 等々。
■ ホームタウン U.S.A.
ベトナムへ行った兵士や海兵隊が、以前お話しした、
輸送船USNS「 ジェネラル・ネルソン・ウォーカー」の掲示板に残した落書きです。
マサチューセッツ、ハワイ、ウェストバージニア、ワシントン、テキサス、アイオワ、
コロラド、オクラホマ、ニューヨーク、イリノイ、カリフォルニア、ペンシルバニア・・。
仔細に見れば、アメリカ合衆国全州が記されているのではないでしょうか。
■ ベトナム戦争が遺したもの
疑問、懸念、希望、恐怖。
ベトナム戦争によって具現化された未来に対するこれらの考慮事項は、
今日も我々とともにあるといってもいいでしょう。
だからこそ、ベトナム戦争に関する無数の本、映画、創作物などが生まれ、
戦争の記憶を永遠に共有し続ける試みがなされているのです。
歴史家はその意味について議論を続け、政策立案者はその教訓を受け継いでいくでしょう。
戦争は過去のものかもしれませんが、それでも、
義務、異論、愛国心、市民権、道徳、国民的信頼、
そして軍事力の行使についての重要な問題を永遠に提起し続けるのです。
ハインツ歴史センター ベトナム戦争シリーズ 終わり