戦争映画ばかりを集めた「戦場の目次録」というセットDVDを買い、
数ある作品の中からタイトルだけをみて選んでしまった今回の映画ですが、
まさか「マーフィーの戦争」を上回る駄作とは思いませんでした。
どれだけ駄作かというと、観終わった瞬間内容を忘れるくらいの駄作です。
記憶に残るのは義烈決死隊などの特攻の実写映像が使われていたことだけ。
映画史的にも全く評価が残っておらず、
wikiにも出演者くらいしか情報がないという・・・。
苦労して映画サイトを調べると、たった一人だけ、
感想を述べている人がいましたが、
これがあまりに痛烈に的をいているので翻訳しておきます。
これにはがっかりした。
何千人ものキャストで構成された感動的な大作になるはずだったが、
数十人のキャストで構成された
くだらない安っぽい小品になってしまったのだ。
沖縄への侵攻には何千何万という兵士が必要だったにもかかわらず、
映画製作者たちはこの費用を巧妙に避けようと考えたのだ。
そこで彼らは、沖縄侵攻のストック映像を大量に使い、
下手な俳優たち(少なくとも台詞の下手な俳優)にそれを演じさせ、
あたかも戦争が起こっているかのように装わせた。
彼らは本当に「何もしていない」!(NOTHING!)
来るシーン来るシーン、文字通り人々が戦争について話し、
何が起こっているかを説明するだけ。
彼らは本当にほとんど何もせず、
わたしはこれがエド・ウッドの戦争映画かと思ったほどだ。
全ての面で酷過ぎ。
観るだけ時間と労力の無駄である。
文中の「エド・ウッドの戦争映画」って何かしら、と思って調べたら、
自らが製作した映画がすべて興行的に失敗したたため、
「アメリカで最低の映画監督」と呼ばれ、
常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没した。
死因はアルコール中毒。
最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪だった
(というよりその全てが評価対象以前だった)
にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意や、
ほとばしる情熱を最後まで失わなかったため、
「ハリウッドの反天才」と呼ばれる。
真珠湾攻撃の後に海兵隊伍長としてタラワの戦いに参加。
日本兵の銃床で殴打され前歯2本を失い、
機関銃で足を数回負傷している。
女装癖があり、第二次世界大戦に従軍した際、
上陸作戦中にブラジャーとパンツを軍服の下に着込んでいた。
そして「殺されるよりも、負傷して軍医にばれることを恐れていた」wikiより
Oh・・・(戦慄)
しかし逆張り上等のティム・バートンとか
クェンティン・タランティーノなどは彼の作品を支持していますし、
今や一周回って一部にカルト的な人気があったりするそうで・・
彼の伝記映画まで作っています。
ちなみに彼の代表作?は
「死霊の盆踊り」(原題Orgy of the Dead死者の乱痴気パーティ)
あ、これわたしでも知ってるぞ。有名ですよね。
観てないけど。
さて、それでは「エド・ウッド並み」と人の言う、
戦争映画の解説を始めましょう。(なんか怖いな)
1945年4月1日、第五艦隊は日本本土上陸作戦に向かいました。
その初めての目的地は沖縄でした。
噂通り?さっそく実写映像の連続です。
映画の舞台となるのは第5艦隊のピケットラインに配属され、
補給船と上陸部隊を支援する駆逐艦「ブランディング」。
これがどうやら本作の「主人公」らしいです。
緊張した面持ちでその時が来るのを待つ駆逐艦の乗員たち。
この巨大なヘルメットを装着しているということは・・・
沖縄本土に向けて艦砲射撃が行われるのです。
また一頻りニュースリールの映像が続き・・
「どこに向けて撃ってるんだ」
「オキナワって島だ とにかく撃て」
水兵たちは目標を見ることができないので、自分がどこを撃っているのか
全くわからず各自の動作を淡々と行なっているわけです。
実際に沖縄上陸に際して米軍が行った艦砲射撃では、
そのせいで島の地形が変わったとも言われ、
生き残った沖縄の人々は、戦後、自分たちのことを
「カンポーヌクェーヌクサー(艦砲射撃の喰い残し)」
と表現したほどでした。
撃ち方やめになって、どこに撃つのかぐらい知りたいとか、
狭くて暗いところはゴメンだとか、暑さと湿度が暴力的だとか、
手袋をしていても手が熱いなど、皆で愚痴の言い合いが始まります。
本編の主人公たちは砲塔勤務の砲員たちのようですね。
上陸部隊の舟艇が岸に向かうと、援護射撃が再び始まりました。
噂通りここまでほぼ実写映像と繋ぎだけで構成されていますが、
浅瀬を歩いて上陸するアメリカ兵や火を噴く艦砲、
燃える民家の横を海兵隊が進軍する姿など、
実際の映像がふんだんに見られるのはそれはそれで貴重です。
同じ映像を何度も使い回ししなければなおいいのですが。
総員配置が解かれ、ヘロヘロになって砲塔から出てきた砲兵たち。
いきなり甲板に崩れるように転がって横になりました。
タバコよりビールが欲しいとうめく兵。
同僚にそれ艦長に頼めと言われると、
「”あいつ”がそんなことをしてくれるもんか」
そこにコーヒーを持ったフィリピン人の給仕、フェリックスがやってきます。
下働きの彼は大胆にも軍艦の砲員になる野望を抱いていますが、
その理由は、故郷ミンダナオが日本に侵略されたので
仇を取りたいからだ、とこんなところで言い出します。
しかし、フィリピンはもともとスペインの植民地で、
その後米比戦争で大量に民衆を虐殺された結果、
アメリカ合州国が植民地支配していたわけですし、
第二次世界大戦で亡くなったフィリピン人のうち、約4割は
アメリカの無差別爆撃で亡くなったという事実があります。
日本だけを恨んでアメリカ側に立っていることそのものが
かなり史実をわかっていないということが言えると思います。
アメリカは戦勝国なのをいいことに、結構
自国に都合の悪いことを日本のせいにしたりしているのですが、
このフィリピンでの被害問題もその一つです。
ま、いずれにしてもこれは、アメリカ軍の無慈悲な沖縄攻撃を
正当化するために、ことさら日本を悪者にしているという場面です。
そのとき艦橋から士官のフィリップスが声をかけてきました。
特に意味はありませんが、ただ戦闘後の兵隊たちの働きを労うためです。
「勲章好きのヘイルなんかよりフィリップスが艦長ならよかったのに」
この水兵グリップは、硫黄島でフィリップス中尉と一緒だったのですが、
彼に比べ3日前に艦長になったヘイルは出来が悪い、
となんの根拠もなく決めてかかっています。
さて、士官室では艦長が本日の状況について反省会を行っていました。
艦砲の照準が2度も合わず目標を外した(目標って何だろう?)
ことが、ヘイル艦長のお気に召さないのです。
原因を聞かれて理由がわからないと砲術長が答えると、
「なるほど、天皇がそれを聞いたらさぞ喜ぶだろうな」
なるほど、嫌味なタイプか。これじゃ嫌われるわ。
乗員に受けのいいフィリップス大尉は、八方美人なのか
場を取り持つ性格なのか、老朽化した艦まで擁護しています。
演じているリチャード・デニングは、主役級ではないものの、
生涯非常に多数の映画に出演して脇役を演じてきた俳優で、
本人も自分のキャリアについて、
「素晴らしいというものではないが、
そこそこ普通を長年続けてきたことに満足している」
と語ったそうです。
日本で言うと平田昭彦みたいなポジションかしら。
次の作戦についての艦長の説明が始まりました。
こんな風にレーダーを搭載した艦が沖縄を囲む、というのですが、
もしかしてこいつら、沖縄諸島全体を淡路島くらいの大きさと思ってないか?
そして艦長は、日本の「カミカゼ」について言及します。
「未熟で着陸方法すら学んでいない若者がやらされる。
死を恐れずむしろ死にたがる。日本最大の武器だ」
「キャマカゼ・・神聖な風という意味だ」
そのとき、艦内で大音響が。
かけつけてみると、蒸気配管が爆発しました、との報告。
「最低の艦だな」
艦長は吐き捨てるのですが、これって艦長としてどうなの。
そして、明日の朝までに修理できなければ、作戦に加われず、
したがって沖縄を取り囲む例のラインに穴が開く、というのですが、
南西諸島が無人島も入れて113個あり、総面積1,418.59平方㌖って知ってる?
そして、唐突に昔車が壊れた時噛んでたガムで直した話などを始め、
「全員でガムを噛めば明日までになんとかなる」
と力強く言い切るのでした。
兵員のバンクでは女の話ばかりしているデルガドがギターを弾きながら
他の兵員たちと取るに足りない馬鹿話をしています。
そのとき士官たちは陸軍の増援要求の無線をキャッチしました。
しかしまだ艦の故障は修理できていません。
にもかかわらず上陸部隊を特攻から守るため、
「ブランディング」が前哨に赴くことになりました。
乗員たちはそこで遭遇するであろう「カミカチ」についての噂を始めます。
曰く、「ガキが日本酒をガブガブ飲んで飛び立つ」
「彼らは自ら望んで命を捨てに来る」
しかしそれもすぐに飽きて、ヘイル艦長嫌いのグリップが
さかんに口癖の物真似を披露していると、本人登場。
慌てて曹長が「彼らはストレスが溜まっていて・・」と言い訳すると、
艦長は、
「別に怒っていない。
が、私を評価するにはまだ何も知らないんじゃないか」
と鷹揚なところを見せます。
そして幾度も訪れる総員配置シーン、これは映画独自の撮影ですが、
あとは全て実写フィルムです。
「カモメだった」
誤警報のたびに極度の緊張をしつつ総員配置して待つことが、
「戦闘より辛い」とついこぼしてしまう砲員たち。
バンクでイライラするグリップとインテリのエマーソンが口論しています。
エマーソンの言い分はこうです。
「いくら前哨に立っても、カミカゼは飛行機だから
俺たちは飛び越され、目標にアタックされるだろう」
それに対しグリップは、
「奴らは必ずこの艦に突っ込む。なんなら賭けるか?」
基本グリップはなんでも賭けにしてしまいます。
それにしてもなんて意味のない論争なのか。
その後もグリップがカリフォルニアでグレープフルーツを売っていたこと、
酒がどうしたこうしたという愚にもつかないヨタ話。
映画を見ている人には全く以てそれがどうしたという会話ですが、
しかるに登場人物はそういった話をいつまでもデレデレと垂れ流し続けます。
この手の話をくだらなく思うのは、わたしが日本人だからで、
もしかしてアメリカ人なら、何か琴線に触れるものがあるのだろうか、
と、冒頭の感想を見ていなければ、危うく思ったかもしれません。
そして、驚いたことに、何も起こらないまま
映画はこれで半分来てしまうのです。
ここまで観てわたしは確信しました。
「エド・ウッド並み」どころか、少なくとも、
「死霊の盆踊り」のほうが確実に面白いに違いないということを。
続く。