昨年末より、サンディエゴの海兵隊航空博物館、
「フライング・レザーネック航空博物館」の展示をご紹介していましたが、
その検索過程でそのものズバリの
「フライング・レザーネックス」という映画があることを知り、
せっかくの機会ですのでこの映画を紹介することにしました。
博物館の方は、おそらくこの映画のタイトルをそのまま運用したはずです。
しかしながら日本語タイトルは、案の定センスゼロの「太平洋作戦」。
こういうとき日本の配給会社は、どうしてこう絶望的に無個性な題をつけるのか、
ということについてはもう今更という感がありますが、
それより問題はこの作品を扱うDVD販売会社の販売姿勢です。
DVDの画質が悪い!
本編が始まった途端、何か設定に不具合があるのかと一度再生を止め、
点検してからもう一度再生し直したというくらいの酷さです。
Amazonの商品レビューでわざわざそのことに言及している人もいたくらいなので、
大元のDVDダビングの技術にどうやら問題があったようです。
そこで不本意ながらその辺の画像をかき集め、二日分を制作し終わったのですが、
次に取り上げる映画を探すため、自分のDVDラックを見ていたら、
なんとわたしは同じ映画をあと2枚、合計3枚持っていたことが判明しました。
「フライング・レザーネック」という特殊なタイトルを記憶していれば
何枚も同じDVDを買ったりしなかったはずですが、邦題が
「太平洋作戦」などというすぐ忘れてしまうものだったため、買ったのを忘れて、
高速道路のレストエリアなどで一枚300円くらいでワゴン売りしているのを
他の戦争ものといっしょに3回も購入していたと見えます。
しかしこれは今回に限り、ラッキーでした。
もしや?と思って残りの2枚の画質をチェックしたら、
3枚目のDVDが「当たり」だったのです。
ちなみにタイトルはこれだけが「太平洋航空作戦」。
あとの二枚は「太平洋作戦」となっていました。
画質の悪いバージョン
3枚目のDVD、同じシーン
三枚目はデジタルリマスターしてあるバージョンだったというわけです。
おお、と感激して全部キャプチャし直しながら観なおしたところ、なんと
前の2枚は、画像以前に、あっちこっち大事な部分が勝手にカットされており、
それによって全く映画の内容さえも変わっていたことがわかったのです。
ちなみに2021年12月現在、Amazonプライムではこの映画が観られますが、
こちらはデジタル化前のカットしまくりバージョンですので念のため。
■ ハリウッドの赤狩りと本作品
さて、例によって本編に入る前に、この映画の背景について語ります。
制作は1951年。
タイトルにもある通り、制作はハワード・ヒューズです。
前回、当ブログで扱ったウェインものの邦題は「太平洋機動作戦」でしたが、
こちら「航空作戦」と同じ年に製作されています。
同じ年にウェインで海軍と海兵隊を扱った第二次世界大戦ものが製作されたのは、
大衆のムードを、その前年度に始まっていた朝鮮戦争を肯定する方に
誘導するのが目的であったと考えてまず間違いありません。
さらに、配役と制作のメンバー、当時の世相を鑑みると、
もう一つ、ハリウッドで起きていた歴史的な問題が見えてきます。
制作会社はRKOラジオピクチャーズ。
RKOグループはこのときハワード・ヒューズの管理下にあり、
ヒューズが映画のスポンサーとして制作の資金繰りを行ったというわけです。
ヒューズは誰知らぬものがない熱心な飛行機マニアでしたが、
いくら航空機がふんだんに出るといっても、これは露骨な戦争推進映画。
あのヒューズには「違う、そうじゃない」的な毛色の作品であったうえ、
しかも監督のニコラス・レイは有名なリベラルです。
それではなぜこの時期に彼らが戦争推進映画を撮ったかですが、
そのキーワードは1950年代にアメリカの芸能界に吹き荒れた「赤狩り」でした。
赤狩りは共和党議員のジョセフ・マッカーシーの告発をきっかけにしているので
「マッカーシズム」とも呼ばれる反共産主義運動です。
ハリウッドで共産党と関連づけられた人物は「ブラックリスト」に載り、
その中でも、召喚や証言を拒否した10人(ハリウッド・テン)は
かなり長い間業界から干されていたという話が有名です。
そんな流れを受けて、1952年、俳優協会が映画スタジオに対し、
誰であってもアメリカ連邦議会で自身の潔白を証明できなかった人物の名前を
自主的にスクリーンから削除できる権威を与えるという出来事がありました。
ヒューズはその前から、スタジオから共産主義者(とされる人物)を排除するために
いわゆる「踏み絵」的な映画の制作を、何人かに試しています。
その映画のタイトルは「私は共産主義者と結婚した」
つまらなさそう・・・
最初に監督を打診されたジョン・クロムウェルもジョセフ・ロージーも、
これを拒否し、会社によって罰せられた上ブラックリスト入りしました。
ニコラス・レイはというと、これがとんでもないやつで(笑)
一旦引き受けておいて、製作が発表された直後に辞退してしまいました。
彼に何があって辞退したのかは謎です。
彼の解雇が検討されましたが、なぜかヒューズは契約を切りませんでした。
これは推測の域を出ていませんが、この時二人に何かしらの密約があって、
レイはその条件として、本作を撮ることになったのではないかと言われています。
本作はハリウッド的には露骨な戦争推進映画であり、
(戦争映画を見慣れているとこんなものだろう、としか思いませんが)
本来ならリベラル左派のレイが手がけるような内容ではありません。
「リベラル監督に、ゴリゴリタカ派のウェイン主役の戦争映画を撮らせる」
確かに誰が見てもこれは「罰ゲーム」です。
ゆえに、これがレイの当局に対する「アリバイづくり」、
あるいは彼をブラックリストから外すよう働きかけたヒューズへの
「借りを返す」ための作品であったと見られているのです。
しかし、レイ監督、そこは腐っても映画人の端くれ?ですから、
黙っておとなしく戦争礼賛映画を撮ると見せかけて、
(というか実際にもちゃんと撮りきってその評価も高いのですが)
保守派の代表のようなウェインの「カウンターパート」、
リベラル俳優のロバート・ライアンを送り込んだとされています。
本作のポスターからもわかるように、サブテーマは二人の男の対立です。
ロバート・ライアンの役どころは部下思いで人気があり(というか受けがよく)、
下からは隊長への就任を望まれていたのに、
ジョン・ウェイン演じるダン・カービー少佐の推薦が受けられず、
のみならず上に立たれてそのやり方を一から否定されるグリフ大尉です。
ロバート・ライアンは大学ボクシング部出身の「タフなタイプ」で、
リベラルでありながら「Kick Wayne's ass」(ウェインに立ち向かえる?)
ができる唯一の俳優とみなされて、キャスティングされたと言われます。
しかし、蓋を開けてみると、関係者全員にとって意外な展開が待っていました。
確かに撮影の間、ライアンはウェインから、例のブラックリスト支持を熱く語られ、
「中国の都市に核攻撃をして朝鮮戦争を拡大させるべき」
「ソ連を東欧から追い出すために軍事力を行使するべき」
などといった演説を拝聴せざるを得なくなったのも確かですが、
一旦撮影が始まると、二人は互いの政治的な立場は一切脇に置き、
良好な関係のままプロフェッショナルに仕事を完了させました。
そのライアンをキャスティングした監督のニック・レイも同様でした。
政治的には対立する立場であったはずウェインとの関係は実際には悪くなく、
というか、撮影中は全クルーがウェインを称賛し、
ウェイン自身も、全てのクルーに対し満足していたというのです。
ここで思い出していただきたいのですが、以前当ブログで紹介してこともある、
後年撮影されたウェインのベトナム戦争もの「グリーンベレー 」では、
ほとんどの俳優とクルーがウェインを嫌い、対立関係にあったという事実です。
「グリーンベレー」とこのときとの違いはなんだったのでしょうか。
一つはウェイン本人が脂の乗り切った時期で、まだ「老害化」しておらず、
現場でスタッフの人心を掴み得たこと、そしてもう一つは、
このときの朝鮮戦争と、後年のベトナム戦争に対する
大衆感情の「温度差」にあったのではないかとわたしは思います。
ちなみに、監督ニコラス・レイとジョン・ウェインは
映画撮影から20年後になる1979年6月のほぼ同じ時期に亡くなりました。
6月11日がウェイン、16日がレイの命日です。
■ 新隊長就任
さて、それでは始めましょう。
おなじみの海兵隊マーチが何のひねりもなく始まり、タイトルには
「この作品を米国海兵隊の、特に航空団に捧げる
この作品を可能にした彼らの協力と支援に対して感謝の意を表します」
とあって、映画の撮影に海兵隊の協力があったことを強調しています。
舞台はハワイのオアフにある海兵隊航空団基地。
ここにVMF247航空団「ワイルドキャッツ」が駐屯しています。
彼らは負傷した前指揮官の後任として、敬愛する上官、
グリフィン大尉が自分たちの隊長になって戻ってくると思い込み、
いち早く祝賀会を開いて大尉を迎える用意までしていました。
ところが、グリフィン大尉は新任の隊長、ダン・カービー少佐を伴っていました。
大尉はカービー少佐の推薦を受けられず、昇進できなかったのです。
このことは後々まで二人の間の問題として尾を引きますが、普通、
自分が就任するポジションに他の大尉を推薦するなんてありえませんよね。
推薦しなかったのはカービーではなく前任の隊長のはずなのですが。
カービー新隊長は、鷹揚に、この人違いの就任パーティを続けるようにいいますが、
テキサス出身の「カウボーイ」ヴァーン・ブライス中尉が履いている
ロデオブーツに目を止め、さっそくお小言を与えます。
「私甲高なんで・・」
意味不明の言い訳をするブライス中尉に新隊長は、
「飛行中は履くな!」
カウボーイはグリフィン=グリフ大尉の義弟、そして金持ちだ、と
グリフ大尉が紹介しますが、その口調からも、カービー少佐は
隊の中にすでに「馴れ合い」「ゆるみ」が蔓延しているらしいと察します。
かたや部下たちも新隊長に決していい感想は持ちません。
「俺たちを馬鹿にした目で見てたな」
「非情な男で、訓練で地面すれすれの超低空飛行をさせるそうだ」
真ん中にいる、マッケイブ中尉役の俳優ですが、
どこかで見たことがあると思ったら、あの世紀の駄作「オキナワ」で
インテリ乗組員エマーソンの役をしていたジェイムズ・ドブソンじゃないですか。
しかし、悪口に興じる隊員の中、一人だけカービー少佐に
強いシンパシーを持つマラーキ(Malotke)中尉。(右)
彼はミッドウェイ海戦で兄を亡くしており、そのときの航空隊長であった
カービーから送られてきた、心のこもった手紙に感銘を受けていました。
部隊の戦線への移動が決まりました。
マラーキ中尉の家族は、兄のように弟も戦争で失うのかと
移動でしばらく手紙が書けないという彼の報告に絶望しています。
ハロルド・ジョーゲンソン大尉の妻は赤ちゃんを産んだばかり。
「キュートなビリー・キャッスルから手紙が来たわ。
あたしあの子好きなのよね」
キュート・リトルボーイ・キャッスル(絶賛モテアソバレ中)
周りに侍らせた軍服の男たちに満面の笑みで言いながら、
他の男の戦地からのと一緒に暖炉の上にビリーからの手紙をピンで止める派手な女。
どうも彼女は「軍服愛好家」「コレクター」で、
ビリー・キャッスルはそのコレクション(取り巻き)の一人のようです。
ナバホ族出身のチャーリーも、両親に短い手紙を書きます。
彼らの両親は文字が読めないので、居留区の世話役が音読してやっています。
早速問題を起こした「カウボーイ」ブライス中尉。
彼の自慢の美人妻が、「パパからの手紙」を一男一女に読んでやります。
手紙が一瞬映りますが、彼の家族はLAに住んでいる模様。
・・・さて。
この一連の隊員とその家族などのシーンは、画像の粗いバージョンと、
Amazonプライムの本作からはバッサリとカットされています。
しかし、この部分、実はのちに回収される「フラグ」なのです。(あ言っちゃった)
ここをカットするなんて、映画の楽しみを半減させかねない蛮行じゃないかしら。
■ガダルカナル進出
VMW247航空隊はその後ガダルカナルに進出することになります。
この部隊は実際のVMF-223「ブルドッグ」航空隊をモデルにしています。
「ブルドッグ」はF4Fを搭載した海兵隊戦闘飛行ユニットで、
最初にガダルカナルに転出した航空隊でした。
現在でもVMA-223、海兵隊攻撃航空隊として存在しており、
AVー8Bハリアーを運用し、イラク・アフガニスタンにも参加しました。
カービーの部隊がガダルカナルに進出して以降の実写映像はすべてカラーです。
さすがアメリカ、あの時代にこれだけカラー映像が、と思いきや、
実はほとんどが朝鮮戦争のニュースリールからの抜粋だそうです。
ニック・レイがなぜカラー映像の使用に拘ったかと言うと、彼にとって
これが初めてテクニカラー映画となったからで、カラーと白黒映像を混ぜるという
後年よく見られる手法を嫌ったのでしょう。
ですから、本編の映像には、第二次世界大戦には存在しなかった航空機が
ところどころ発見できるそうですが、画像が悪いので判別できません。
(わたしの場合判別できないのは画像だけが理由ではありませんが)
ガダルカナルで最初にVMF247が搭乗するのはF6Fヘルキャットですが、
「ブルドッグ」が運用したのは、先ほども書いたようにF4Fワイルドキャットです。
F6Fは1943年後半まで日本軍と交戦することはありませんでした。
映画に登場するF6Fは、先日来当ブログでご紹介してきた航空博物館の近く、
エル・トロに拠点を持つ訓練部隊に当時現役で運用されていた機体です。
映画撮影当時、ワイルドキャットはほとんど残っていませんでしたが、
ヘルキャットの方はまだかなりの数残っていたのです。
日本軍に苦戦しているという地上軍の支援攻撃に指揮を執る新隊長カービーですが、
彼はここでもご紹介した、カクタス航空隊のジョン・スミス少佐がモデルです。
本物と比べるまでもなく、ウェインが歳取りすぎ。
スミスがガダルカナルでエースになったとき、すでに38歳くらいだったので、
44歳の俳優なら、なんとか演技でカバーできないこともないと思うのですが、
ウェインはどこまでいってもジョン・ウェインだからなあ。
鈴木亮平みたいに役作りのための増量減量なんて考えたこともなかったでしょう。
さて、カービー隊長就任後、最初の任務で早速問題が発生しました。
何を思ったか、勝手に敵機を追って編隊を離れていってしまうシモンズ中尉。
そのまま彼はその日帰投しませんでした。
ガダルカナルに到着したカービー少佐は、ミッドウェイ以来旧知だった
ライン・チーフのクランシーに再会します。
ラインチーフはフライトライン(航空隊)の維持管理を監督する下士官です。
クランシーは「足りないものはジャップの攻撃以外全てだ」といい、
さらに燃料補給を手動でしなければならない、と愚痴を言います。
軍医のクラン中佐もミッドウェイ以来です。
こういう映画には相談役としてつきものなのが軍医です。
いかにも素人さん
このとき、カービー少佐に基地の地上員が挨拶したりしますが、
彼らは本物の海兵隊員で、エキストラとして出演しているようです。
協力の「お礼」といったところでしょうか。
カービーらが司令部に向かったところ、零戦が単独で攻撃を加えてきました。
クランシーによるとこれは「日常茶飯事」であるとのこと。
何人か出てくる零戦搭乗員、そして日本軍の砲兵はクレジットにありませんが、
記録には「フランク・イワナガ」「ロリン・モリヤマ」という
二人の日系人俳優の名前が残されています。
彼らの乗っている零戦は、白く塗って日の丸をペイントしたヘルキャットです。
「あーびっくりした」
司令部に続く道にある傾いてしまった看板には、
「この通路は世界最速の海兵隊員たちが通行します」
と書かれています。
この言葉は海兵隊なら誰でも知っている、
”Through these portals pass the world's finest fighting men
: United States Marines"
の改編です。
零戦はひとところにまとめて駐機されていた航空機を一撃で撃破していきました。
ただでさえ利用可能な機体が少ないと言うのに。
翌日、昨日行方不明になったシモンズ中尉が意気揚々と帰還してきました。
帰投命令を無視して離脱して敵機を追いかけ、あげくに
燃料の無くなった戦闘機を乗り捨ててパラシュート降下し、
ドヤ顔で帰ってきてうそぶいていうことには、
「交戦のベテランである俺様に、貴様ら、なんでも聞いてくれよ!」
カービー隊長は彼に激怒し、軍法会議にかけると叱りつけます。
そうなればグリフ副隊長も厳しく言わざるを得ません。
「君が落とした機種は」
「さあ・・軽偵察機だったような・・わかりませんが」
「君の出身校はどこだ」
「ハーバードビジネススクールです」
「君が失くした戦闘機の値段は!」
「1万5千ドルです」
「それでは敵の偵察機の値段は!」
「わかりません」(´・ω・`)
「考えろ!」
これだけ厳しく言ったら大丈夫、と思ったら、カービー隊長は
要するに貴様のその甘い態度がいかんのだ、とマジお怒りモード。
そして司令所の入り口にあった、謎の漢字らしきもの
(『軍』からあっちこっち抜き取ったような)が書かれた板を、
腹立ち紛れに叩き落として去ります。
それにしてもこの現場には漢字がわかるスタッフが皆無だったんですね。
その晩、グリフ副長を交えた隊員の中で、カービー少佐に対する愚痴が噴出。
アンチ・カービーの急先鋒はマッケイブ中尉ですが、そんな彼らを
一応はなだめていたグリフは、カービーの信奉者マラーキが、
「どんな時にも命令が下せる、カービーはプロフェッショナルの軍人だ」
と激褒めすると、それは俺への皮肉か、と気色ばみ、
物資も戦力も不足のこの戦地で、ちょっとしたことで
部下を軍事裁判にかける非情な隊長、カービーに対する反感を口にします。
「俺だってプロフェッショナルの兵隊だ!」
続く。