スミソニアン航空宇宙博物館の展示より、今日もまた
宇宙開発(という名の兵器開発)の過程で建造されたロケットを紹介します。
■最終兵器
冷戦が始まると同時に、米ソの戦略家と国家指導者たちは、
いかに敵の心臓部を素早く攻撃できるかという方法を模索し始め、
その答えは終戦と同時にドイツから持ってきた
「フライングボム」=飛行爆弾にあると考えられました。
つまり、のちの巡航ミサイルです。
しかし、ドイツから召し上げた初代巡航ミサイルのV-1は低速で精度が低く、
さらにそれを発展させたV-2も、ミサイルの原型としてはともかく、
この時代に使うには、あまりに精度も射程も不十分でした。
なにしろ冷戦時代の米ソは、ドイツがV-2で相手にしていた国との距離など
問題にならない遠方の敵にダメージを与えないといけないのですから、
それだけに状況に合った性能を持っていなければ話になりません。
そこで両国の技術者たちは、これらドイツの技術を発展させ、
V-1は長距離巡航ミサイル( long-range cruise missile )
V-2は大陸間弾道ミサイル(intercontinental ballistic missile ICBM)
へと改良されていきます。
【ナバホとトマホーク〜長距離ミサイル】
1946年に開発が始まったナバホミサイル(SM -64 NAVAHO)は、
ラムジェットエンジンを搭載し、長距離を飛翔する
大陸間巡航ミサイルを目指していました。
アメリカが戦後最初に取り組んだプロジェクトで、
V-2ロケットのエンジン研究から、より効率の良い新しい設計が試みられました。
1950年代には、無人による長距離飛翔体爆弾は、
まだ技術的に射程距離や精度が不十分で、
簡単に撃ち落とされてしまうという問題がありました。
1958年までの間、ナバホの研究は継続されていましたが、
そうこうしているうちに
長距離弾道ミサイル(ICBM)が実用化される見通しとなり、
開発の必要がなくなり中止されました。
【巡航ミサイルの分類】
1970年代に入ると、推進装置、電子機器、誘導装置の小型化が進み、
さらに偵察衛星によって詳細な地形図の情報が得られるようになってくると、
巡航ミサイルはいよいよ通常兵器や核兵器を搭載して実用可能となります。
巡航ミサイルの定義は、
「翼を持ち、推進力を伴って長距離を飛行し目標を攻撃するミサイル」
ですが、サイズ、速度、射程距離、発射される設備によって名称が違うので、
一応全部書いておきます。
ALCM( air launched cruise missile、空中発射巡航ミサイル)
GLCM(ground launched cruise missile、陸上発射巡航ミサイル)
SLCM(surface ship launched cruise missile、水上艦発射巡航ミサイル)
SLCM(submarine launched cruise missile、潜水艦発射巡航ミサイル)
水上艦と潜水艦の略字が同じですが、これはどちらでも通じるってことかな。
ちなみに空中や潜水艦から発射されるものは、運用の関係から
陸や艦から発射されるものより小型化されていました。
また、何を攻撃するかによっても名称が違います。
対艦攻撃:ASCM(anti-ship cruise missile、対艦巡航ミサイル
対地攻撃:LACM( land-attack cruise missile、対地巡航ミサイル)
また、巡航速度によっても二種類に分けられます。
亜音速巡航ミサイル(subsonic-speed cruise missile)
超音速巡航ミサイル( supersonic-speed cruise missile)
また誘導装置もミサイルによって異なり様々でした。
慣性航法、TERCOM、衛星航法など。
さまざまな航法システムを何種類も搭載できるミサイルもありました。
大型の巡航ミサイルは通常弾頭と核弾頭のどちらかを搭載することができ、
小型のものは通常弾頭のみを搭載することができます。
【トマホーク】
トマホーク
トマホークは、上記の分類に入っていませんが、分類としては
陸地攻撃ミサイル(ランドアタックミサイル・TLAM)です。
トマホークも分類分けしてみると、
海軍開発、艦船・潜水艦ベースの(SLCM)
陸上攻撃作戦に使用する(LACM)、
長距離、全天候型、ジェットエンジン搭載の
亜音速巡航ミサイル(Subsonic)
などがあります。
潜水艦から発射!
トマホークは、直近では2018年のシリアに対するミサイル攻撃で
米海軍が使用し、この時には66発のミサイルが
シリアの化学兵器施設をターゲットに発射されています。
【大陸間弾道ミサイル ICBM】
ドイツのV−2から始まった長距離弾道ミサイル。
音速の5倍の速さ(極超音速)で移動することができ、
地上からの信号にも依存しないICBMは、当時にして
「究極の兵器」「最終兵器」と思われました。
1950年代後半から1960年代初頭の冷戦の最盛期には、
アメリカ軍はB-52ストラトフォートレス爆撃機を
戦略的抑止力の主役にしていたというのは何度もお話ししてきました。
しかし、冷戦時代、ソ連が国力を上げてV-2の技術を改良しているとき、
相変わらず戦略爆撃機に重点を置いていたことは、宇宙開発の初期に
アメリカがソ連に引き離された原因の一つとなります。
なぜかというと、アメリカは最初、軍民宇宙計画に明確な区別をつけず、
ヴァンガード計画も表向き純粋な科学研究のためとしていた上、
科学衛星計画は非軍事という認識(というか建前)があったからです。
しかも、宇宙計画の責任や打ち上げ計画は、
実質軍部に任されていたというのに、肝心の空軍が
有人戦略爆撃機至上主義から一歩も出ていませんでした。
一方、ソ連はなまじ長距離爆撃機の戦力がアメリカに劣っていたため、
最初からV2を発展させて利用することに前向きでした。
そして国家の総力を挙げて開発したのが、
スプートニクを飛ばしたR-7ロケットです。
【ミサイルギャップ】
ミサイル「ギャップ」と打ったら、すかさず「ギャップ萌え」と変換される
わたしのPCですが、萌えている場合ではありません。
アメリカは、世界一の座にあぐらをかいていたのでしょう。
各種核兵器を現地に送り込む最も確実な方法は戦略爆撃機であり、
その方法ならソ連に負けるはずがない、と思いこんでいたのです。
しかし、同じドイツから技術と技術者を引っ張ってきておきながら、
ほとんど彼らを飼い殺しにしていたアメリカと違い、
ソ連はV-2技術を発展させ、世界初のICBM、R-7を作り、
そしてスプートニク1号を打ち上げてしまったのは歴史の示す通り。
アメリカの自尊心と自信をぶち壊したこの「スプートニク・ショック」は、
核の運搬方法において戦略爆撃機を上回る方法を敵に先に開発された
ということに対する恐怖を伴っていました。
【究極の武器とICBMの決定】
技術の進歩により、初期のミサイルはさらに強力な
「最終兵器」へと近づいていきます。
小型の熱核弾頭の開発は、広島と長崎に投下された原子爆弾よりも
遥かに強力な破壊力をミサイルに与えました。
1954年初め、アメリカ空軍にある極秘報告書が提出されました。
この極秘文書の内容は、最近の核兵器技術の進歩を踏まえた上で、
弾道ミサイルの効果を再評価する内容となっていました。
ミサイルギャップの時に議論されたことですが、この時戦略ミサイル評価委員会は、
長距離弾道ミサイルでロシアが米国に先行する可能性を懸念し、
空軍にミサイル開発を "極めて高い優先順位 "で扱う指令を下したのです。
■ポラリスミサイル 〜テクニカル・ブレークスルー
アメリカは、1953年までに水素爆弾を小型・軽量化することに成功しました。
つまり、ICBMの本体を大きく作る必要がなくなったのです。
1954年に南太平洋で行われたキャッスル作戦の「ブラボー」実験で、
小型化した新しい水素爆弾の実用性が確認されました。
ICBMの時代が到来したのです。
ちなみに、日本の漁船「第五福竜丸」が被爆したのはこの実験でのことです。
その後貯蔵可能な液体および個体推進剤により、ICBMS(大陸間弾道ミサイル)は
地下サイロや、SLBM(submarine-launched ballistic missile)
つまり潜水艦から発射することができるようになります。
また誘導システムの改善により、精度が劇的に向上しました。
1960年にテストされたポラリスA-1はアメリカ初のSLBMでした。
潜水艦という検出され難い装備から放たれるSLBMは当時
最も有効な戦略核兵器システムとして評価され、米ソ両陣営で1960年〜65年ごろ配備されました。
ソ連側はSLBMと潜水艦をセットで開発して運用しています。
ちなみに、映画「K-19」で原子炉事故を起こした話が描かれた
「カ-19」は、ソ連海軍最初のSLBMを搭載した原子力潜水艦でした。
また、1970年代初頭には、
MIRVS Multiple independently targetable reentry vehicle
マーヴ、複数個別誘導再突入体
ひとつの弾道ミサイルに複数の弾頭(一般的に核弾頭)を装備し
それぞれが違う目標に攻撃ができる弾道ミサイルも現れます。
分かりやすいマーヴの弾道軌道イメージ
■スカウト:NASAの’ワークハウス’(主力製品)
この写真では右の、「UNITED」の文字が見えるのがスカウトです。
細長い円筒形で、ロケットの約半分まで徐々に細くなり、
直径の小さい第2段、直径の大きい第3段、第4段、
ペイロードセクションが熱シールドフェアリングに収納されています。
第1段の底部には4枚の固定式三角形空力フィンがあり、
フィンの外側は可動式で、方向制御と安定性を補助しています。
インジャンV(エクスプローラー40)とエクスプローラー39の
バックアップ衛星の2つのペイロードが見えるように、
この標本は上部が切り取られています。
1968年8月8日、スカウトDはオリジナルのペイロードを打ち上げました。
NASAが結成されて最初のタスクとなったのは、小型衛星と探査機を
宇宙に打ち上げるための信頼性の高いロケットの開発でした。
その結果NASAが開発したのはその歴史で最も小さかった
スカウト(SCOUT Solid Controlled Orbital Utility Test system)
です。
NASAは新しいロケットをできるだけ早く稼働させたかったので、
既存の固体推進剤ロケットのコンポーネントを使用して、
つまり既製品を使ってロケットを製造しました。
1段目は海軍のポラリスミサイル、
2段目は陸軍のサージャントミサイル、
そして上2段は海軍のヴァンガードからと言った風に。
短距離弾道ミサイル MGM-29 サージェント(Sergeant)
カリフォルニア工科大学と陸軍が開発したサージャントについては
少し前にもお話ししています。
スカウトに陸海ロケットを混ぜて使ったのは、忖度か内部事情か、
あるいは本当に科学的な理由によるものかは分かりません。
スカウトは「全米で最も成功した信頼性の高いロケット」と言われます。
Solid Controlled Orbital Utility Test system
(個体制御軌道汎用テストシステム)
の頭文字から取られた名称で、これまで打ち上げは118回行われ、
その成功率なんと96%を誇ります。
おそらく、スミソニアンに一緒に並んでいる各種ロケットの中で
最も評価が高く完成度も高い「優等生」に違いありません。
スカウトが打ち上げたのは、欧州宇宙機関のためにドイツ、オランダ、
フランス、イタリア、イギリスの衛星などを含み、
94の軌道ミッション(海軍の航法衛星27基、科学衛星67基)、
7つの探査機ミッション、12の再突入ミッションに関わりました。
スカウト計画に携わることによって、技術者たちは
米国の宇宙開発計画に独自の貢献をしたことになります。
当然ですが、開発当初から、スカウトの構成は進化し続けています。
各モーターは少なくとも2回改良され、ロケットエンジンの設計の改良により、
より大きなペイロードを搭載できるようになっています。
しかし、現在のスカウトG-1の形状は、開発当初とほとんど変わっていません。
確かに
これは取りも直さず、初期の設計の完成度の高さを証明していると言えます。
ロケットの各段には名前がつけられています。
「アルゴル」「キャスター」「アンタレス」「アルタイル」と。
ロケット1段目は「アルゴル」(Algol)。
長さ9,144m、直径114cm。
このモーターは平均82秒燃焼し、最大推力は140,000ポンドです。
下部には、1段目の高度制御用ジェットベーンとフィンの先端があり、
最初の打ち上げ時に機体を操縦します。
第2段目の「キャスター」Castorは、長さ約6m、直径76cmの大きさです。
この段は41秒間燃焼し、6万ポンドの推力を発生させます。
第3段めのロケットモーター「アンタレス」Antaresは、
長さ3m、直径76cm。
第2段と第3段の制御は過酸化水素の噴射で行います。
第4段「アルタイル」Altairは、長さ152cm、直径50cmの小さなものです。
燃焼時間は34秒で、6000ポンドの推力を発生します。
その制御にはスピン安定装置が用いられています。
第4段とペイロードセクションを覆う熱シールドは、
コルクとグラスファイバーのラミネートでできています。
打ち上げ場は、バージニア州ワロップス島のNASAワロップス飛行施設(ワロップスってネットスラングっぽい?)
カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地の西部試験場、
それからアフリカのケニアにあります。
最初のスカウトは1960年に打ち上げられ、その後、モーターを改良し、
進化を続け、1972年に展示されているD型スカウトが登場します。
最後のスカウトが打ち上げられたのは1994年。
このロケットは1977年にNASAのバージニア州ワロップス島の施設より
スミソニアン博物館に寄贈されたものです。
続く。