前回まで、戦後のV-2から技術発展させた飛翔体ミサイルについて
歴史的に順を追い、さらにここスミソニアン航空宇宙博物館に
展示されているロケットの実物やレプリカの写真と共に語ってきました。
そして、あっという間に宇宙開発と並行して研究されてきた
ICBMの時代が幕を開けることになった、というところからです。
ソ連もアメリカも、戦後の冷戦の期間に競って研究してきたのは、
つまり「核兵器を運搬するための強力なミサイル」でした。
アメリカに限っていうと、陸上で運用する大陸間弾道ミサイルICBMとして、
アトラス、タイタン、ミニットマン、ピースキーパー(MX)
海上で運用するSLBM潜水艦弾道ミサイルとして、
ポラリス、ポセイドン、トライデント
を配備していました。
ちなみに冒頭写真の真ん中のペールグリーンのミサイルは、
今日ご紹介する「ミニットマン」です。
技術の進歩はミサイルの精度を格段に変えました。
短時間で発射でき、かつ複数の弾頭を搭載できるようになりました。
このように性能が向上したことで、ミサイルはより魅力的な武器となります。
■アトラスとタイタン:宇宙飛行に使われたミサイル
アメリカ初のICBMである「アトラス」と「タイタン」が、
宇宙船の打ち上げロケットとして民間宇宙開発にも使用されたことは、
今まで何度もマーキュリー計画を語る上で触れてきています。
【アトラス】
アトラスは1962年にジョン・グレン宇宙飛行士を乗せたマーキュリー宇宙船、
「フレンドシップ7」を初めて軌道に乗せました。
その後、アトラスは
「エイブル」「アジェナ」「ケンタウルス」
などの上段と組み合わされ、
さまざまなアメリカの宇宙船を打ち上げる役割を果たします。
タイタンIIは、1965、66年にジェミニ計画全10ミッションを打ち上げ、
その後改良を加えつつ、大型の惑星探査機や軍事衛星の打ち上げに使用されました。
アトラスの打ち上げ
宇宙船を打ち上げるのみならず、元々ICBMであるS M-65アトラスは、
兵器として1959年から1965年まで現場に配備されることになりました。
しかし、完成まで長い準備期間を要した割に、
わずか6年で廃止になった理由はなんだったかというと、
雪崩のようにミサイル開発が進んで、たちまち陳腐化したことと、
迅速な発射ができない
という、兵器としては割と致命的な欠陥にあったといわれております。
しかし、宇宙ロケット打ち上げに関しては何の問題もないので、アトラスは宇宙開発の方面で長らく活躍し、その歴史を刻みました。
あの「マーキュリー計画」では、結果的に
宇宙飛行士4名を軌道に乗せる働きをしています。
アトラスの派生形である、
アトラス「ジェナ」、アトラス「ケンタウルス」
ファミリーは宇宙開発の成功の礎を築いたと言っても過言ではありません。
アトラスの推進機構は、2基のブースターの間に1基の主エンジンを持つ、
「ステージ・アンド・ハーフ」方式といわれる液体燃料ロケットです。
Stage-and-a-Halfとは、アトラスロケットが、後に実用不可能となる
多段式ミサイルの製造というリスクを避けて採用した独自の方法で、
2基のブースターとサステインエンジンの3基のエンジンに、
同じ液体酸素/RP-1(ケロシン混合燃料)推進剤タンクを供給し、
発射時にすべて点火するシステムです。
飛行開始後、軽量化の為ブースターを落下させ、燃焼を続けるというもので、
2基のブースター・エンジンLR-89は、ロケットダイン社が開発しました。
フロリダのNASAビジターセンターには、
このアトラスロケットが展示されているということですが、
わたしはアメリカに住んでいた頃、ここに見学に行っていながら、
当時はあまりに宇宙事業に対して基礎知識がなかったため、
アトラスロケットを現物を見たかどうか全く記憶にありません。
フロリダNASAビジターセンター
まあこういう感じで十ぱ一絡げにロケットが林立しているので、
当時のわたしに何らの記憶も残らなかったとしても無理はありません。
わたしが今も強烈に覚えているのは、発射センターを再現した空間で行われる
当時の発射までのカウントダウンの再現と、外にあった
任務中殉職した数々の宇宙飛行士たちの名前を刻んだメモリアルです。
【タイタン】
タイタンIはアメリカ発の多段式大陸間弾道ミサイルで、
同じく1959年から3年間だけ運用されました。
タイタンIは空軍のアトラスミサイルの「予備機」として設計されましたが、
最終的にはアトラスに負けた形であまりにも早い引退となりました。
最初からアトラスのバックアップということだったので、製造元が
プロジェクトに真剣に取り組まず、失敗が結構多くて空軍が不満を持ち、
その分タイタンIIに期待が集まったという話もあります。
タイタンは、1962年にアメリカ戦略航空軍で運用が開始され、
万が一の攻撃から守るため、地下の硬化型サイロから発射されました。
1965年に配備された改良型のタイタンII打ち上げ。
サイロからの発射は、万が一、敵の核による先制攻撃があったとしても、
ここだけはそれを乗り切り、二次攻撃で報復することを意味します。
また、そのことを抑止力とする目的がありました。
タイタンIIはタイタンIの2倍のペイロード(搭載量)となり、
米軍のICBM中、最大の核弾頭を搭載することができました。
推力方式も変わったので、以前のようにサイロからいちいち機体を引き出して
燃料を添加しなおさないといけないという面倒は無くなりました。
【もし、大統領の発射命令が下されたら?】
今でもそうですが、核の使用権限は大統領に委ねられています。
当時もタイタンIIの発射命令は、アメリカ大統領が独占的に有していました。
「核のボタンを持っている」
とはそのことを指しています。
この当時、明文化されていた、発射命令までの手続について、
その「手順」は次のようなものになります。
発射命令が出される
SAC本部やカリフォルニアのバックアップからサイロに発射コードが送られる
この信号は、音声で35文字の暗号となって伝えられる
2人のミサイル・オペレーターが、その暗号をノートに記録する
オペレーターは、ノートにコードを記録し、そのコードを照合
もし一致すれば、ミサイル発射の書類が入った赤い金庫に向かう
金庫の鍵はオペレーターごとに分かれており、
オペレーターは自分だけが知っている組み合わせでそれを解錠
金庫の中には、表に2つの文字が書かれた紙の封筒が何枚も入っているので、
その中から、本部から送られてくる35文字の暗号に埋め込まれた
7文字のサブコードの最初の2文字が書かれた封筒を選んで開ける
封筒の中には、5文字が書かれたプラスチックのクッキー?が入っており、
それがサブコードの残り5桁と一致すれば、初めて打上げ命令が認証される
このメッセージには、ミサイルのロックを解除するための
6文字のコードも含まれ、このコードは、さらに
ミサイルエンジンの酸化剤ラインのひとつにある
バタフライバルブを開くため、別システムで入力される
ロックが解除されると、そこで初めてミサイルは発射可能な状態になる
メッセージの他の部分には、発射時刻が書かれている
それは即時かもしれないし、将来かもしれない
二人のオペレーターはそれぞれのコントロールパネルにキーを差し込み、
それを回して発射させる
キーは2秒以内に回し、5秒間は押し続けなければならない
それは同時に行われなければならないが、1人で2つのキーを回すには、
コンソールの間隔が広すぎるので、二人で行う
うまく回せると、ミサイル発射のシークエンスが開始
タイタンIIのバッテリーが完全に充電され、サイロの電源から切り離される
サイロの扉が開き、制御室内に「SILO SOFT」の警報が鳴り響く
タイタンIIの誘導システムがミサイルの制御を行い、
ミサイルを目標に誘導するためのデータを取り込むように設定される
メインエンジンの点火開始
数秒間推力を蓄積させた後、サイロ内でミサイルを固定していた支柱を
火工品ボルトで解放し、ミサイルを離陸させる
1980年代半ばになると、アトラスミサイルの改修品の在庫が
品薄?になっていたので、空軍は
退役したタイタンIIを宇宙打上げ用に再利用することを決定し、
1988年最初のタイタン23G宇宙用ロケットの打ち上げに成功しています。
1962年から2003年の間に、282機のタイタン IIが打ち上げられましたが、
そのうち宇宙打上げに使用されたのは(たったの)25機でした。
■ミニットマンIII
ミニットマン(Minuteman)というと、わたしは条件反射で、飲料、
「ミニッツメイド」を思い出してしまうわけですが、
何と今回、ミサイルのミニットマンも飲料のミニッツメイドも、
その語源は独立戦争の時パトリオットと共闘した
民兵=ミニッツのことだったと思い出しました。
昔、ボストンのアーリントンという街に住んでいたことがあるのですが、
隣の街が空母の名前にもなっている「レキシントン」で、
家の前を通る幹線道路を車で15分行くと、この像が立っていました。
ミニットマンの像
ミニット=1分、つまり1分で出撃OKな人たちのことです。
さて、そこでここスミソニアンでその実物が拝めるミニットマンですが、
やはりこちらも1分で発射OK、ということでこの名前になったようです。
Launch With A Minte’s Notice
ということですね。
ミニットマン・イン・ザ・サイロ!
いうてサイロというより井戸の中って感じです。
3段式のミニットマンミサイルは、アメリカの標準的なICBMとなりました。
初期のサイロ発射式ICBMは、発射準備に時間がかかるのが難点でしたが、
ミニットマンはさすが1分でOKマン、それはもう即応性のあるミサイルです。
これは燃料を固体燃料にしたから、ということのようです。
液体だと発射直前にいちいち燃料の酸化剤を注入しなければならず、
しかもロケットをサイロから出すので時間がかかってしまっていたんですね。
初代ミニットマンは1962年から西部・中西部のミサイル基地に配備され、
各ミサイルには核弾頭が1つずつ搭載されていました。
その後、改良された「ミニットマンII」と「ミニットマンIII」が登場します。
1970年に配備された固体推進剤使用の3段式ミサイル、ミニットマンIII。
長年にわたって最大3基の独立した標的を攻撃できる核弾頭を搭載しました。
スミソニアンに展示されているのはミニットマンIIIです。
ミニットマンIIIは、独立した標的の核弾頭を3つ搭載することができます。
1970年以降、実に約550基のミニットマンIIIが米国に配備され、
現在も国内に残っている唯一運用可能なICBMです。
Arms Control agreements(軍備管理協定)
では、現在ではそれぞれを単一の核弾頭に制限することに決まっています。
これはおそらく、当初は軍備管理協定の中の1972年に締結された
弾道弾迎撃ミサイル制限条約
Anti-Ballistic Missile Treaty ABM条約
のことだったと思われますが、このアメリカ合衆国とソビエト連邦間における
弾道弾迎撃ミサイルの配備を制限した条約は、2002年にアメリカが脱退し、
無効化されているので、「Now」がどうなっているのかは分かりません。
最初に締結された条約の内容は、米ソともABM配備基地を
首都とミサイル基地一つの2箇所に、のちに1箇所に制限するもので、
これに基づき、ソ連はモスクワ近郊、アメリカはノースダコタ州の
グランドフォークス空軍基地にミサイルを配備していました。
1990年代に入り、中小国も弾道ミサイルが装備されるようになると、
アメリカはそれに対抗するためにミサイル防衛に乗り出すのですが、
結論としてこのミサイル防衛がABM条約に抵触することから脱退しています。
現在はブッシュ-プーチンの時に結ばれたモスクワ条約が有効のようですが、
それによると、アメリカではワイオミング、ノースダコタ、
そしてモンタナの空軍基地が所有するミサイルサイロに装備されています。
ここに展示されているミニットマンIIIミサイルは、
訓練と展示のためのもので、推進剤も弾頭も含まれておりません。
ファーストステージ(第一段)の下部ケーシングと呼ばれる部分には
コルクの剥離層が挿入されており、サイロから発射される際の熱、
大気中を上昇する際の猛熱から本体を保護します。
ただ、コルクはカビや腐敗に弱い有機物であるため、劣化を防ぐために
防カビ剤処理をしてあり、そのためこの緑色をしているということです。
現地に展示されていた「LIFT」と書かれた黒い板。
これはミニットマン・ミサイラー、ミサイル担当者の技術指令パッケージです。
打ち上げのための手順や関連する重要知識の説明、そして
長時間の勤務のため、カードのデッキ?を収納するためのものです。
開けたところ。
左上にあるのは空軍が1962年から採用した、当時未開発だった新技術、
集積回路(シリコン「チップ」)です。
迅速に目標を再設定することを目標にデータが入力されていました。
このチップは、その後ミニットマン製造契約により、
消費者市場へ導入されることになります。
ミサイルサイロでの長時間の勤務に備えたトランプもあります。
もしスマホがある時代でも持ち込み禁止だろうな。
真ん中に見えるのがこの「シニアミサイルマン」の記章です。
wiki
ミニットマンIIIの弾頭部分です。
左上が核弾頭を搭載する「バス」。
右側のコーンが弾頭を待機の衝突から守る「シュラウド」という部分です。
ちなみに知らなくても全く困らない知識ではありますが、
ミニットマンIIIがどのように打ち上げられるかを書いておきます。
Minuteman-III MIRVの打ち上げシーケンス
1. 第1段ブーストモーターを発射し、サイロから発射される
2. 発射から約60秒後に第1段が落下し、第2段モータが点火
ミサイルシュラウドが射出される
3. 打ち上げから約120秒後、第3段モータが点火し、第2段から分離
4. 打ち上げから約180秒後、第3段モータが点火、第2段モータから分離
5. 再突入ロケット(RV)の展開に備え、機体の姿勢制御を行う
6. 後方離脱中にRV、デコイ、チャフを展開
7. 高速で大気圏に再突入し、飛行中に武装
8.核弾頭は空中炸裂または地上炸裂で始動
2019年9月現在の情報によると、アメリカ空軍はミニットマンIIIを
2030年まで運用する予定であるということです。
今も緑なのね
運用中のミニットマンミサイルは、年に3回ほどテストが行われます。
空軍は無作為にミサイルを選び、弾頭を取り外し、
カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地に輸送され、そこから
約7,700km離れたマーシャル諸島にある試験目標に向けて発射されます。
この試験は、ミニットマン構成部品の精度や信頼性、
固体推進剤の経年劣化の影響に関するデータを収集するためのものです。
続く。