さて、前回は海軍原子力の父、ハイマン・リッコーヴァーについて、
ちょっと変わったエピソードを中心にお話ししましたが、
今日は、まず、その名前の原子力潜水艦を見てみましょう。
■USS「ハイマンG・リッコーヴァー」SSN-709
リッコーヴァーの名前を冠した原子力潜水艦は2隻あります。
USS「ハイマン・G・リッコーヴァー」
USS Hyman G. Rickover SSN-709
は、「ロサンゼルス」級潜水艦 の22番艦です。
「ロスアンゼルス」級の命名基準はご存知のとおり都市名ですが、
唯一これだけが人名となっているというわけです。
22番艦はもともとUSS「プロビデンス」と命名される予定でしたが、ちょうどそのときリッコーヴァー提督が引退することが決まったので、
その名前が与えられたということです。
ところで、前回、ハイマン・リッコーヴァーの退役は、ゼネラルダイナミクス社との衝突を巡り、海軍長官レーマンに嫌われたから、
と書いたのを覚えておられるでしょうか。
レーマンは、そのときたまたま新造艦が事故を起こしたのを利用し、
その責任をリッコーヴァーに取らせて首にしたわけですが、
事故を起こした新造艦の名前は、USS「ラホーヤ」SSN-701であり、
「ロスアンゼルス」級の14番艦だったことも思い出してください。
14番艦の事故の責任を取らせて首にし、22番艦にその名前を付ける。
彼の偉大な功績を後世に遺すために。
いったい海軍という組織は愛があるのかないのか、
リッコーヴァー自身すらしみじみと考えてしまったのではないでしょうか。
まあ、ある作家に言わせると、晩年の(しかし現役の)リッコーヴァーは
「老いては麒麟も駑馬に劣る」
の諺に近い状態だったということでした。
もう少し早く、きれいに身を引くべきだったのかもしれません。
そしてこの潜水艦を建造したのも、因縁というのか、リッコーヴァーの天敵、
溶接の不具合のやりなおし修理費を全部出せと言われて
海軍長官を引き入れてやりあった、コネチカット州グロトンの
ゼネラルダイナミクス社エレクトリックボート部門でした。
こればっかりは、いかに天敵同士とはいえ、他に建造するところがないので、
仕方なくか、嫌々か、いずれにしても言われたからには
きっちり仕事をしたとは思いたいですが、気づいてしまいました。
1973年12月10日に建造契約が発注され、起工が1981年7月24日
発注から工事にかかるまで8年?
普通発注から起工までこんな時間かかります?
ちなみに他の「ロスアンジェルス」級の発注から起工までの期間は、
旗艦の「ロスアンジェルス」でも1年、「フィラデルフィア」4ヶ月、
「オマハ」「グロトン」「メンフィス」2年、
「バーミングハム」「ダラス」3年、「ニューヨークシティ」11ヶ月。
うーん・・・これは・・・揉めたな(ゲス顔)
あるいは引き伸ばして待ってたとか・・・(何を?ってあなた)
しかし、もめたのは(決めてかかってますがあくまでも想像ですよ)
上層部だけで、一旦それが決まると、現場はさくさくと仕事を進めたらしく、
「ハイマン・G・リッコーヴァー」は、起工から浸水まで2年、
進水から引き渡しまで11ヶ月と普通にスムーズでした。
進水の儀式を行ったリッコーヴァー提督夫人
エレオノーレ・アン・ベドノビッチ・リコバー女史
リッコーヴァーの微妙な表情に注目
興味を持った方のために。
リッコーヴァーの奥さんは、海軍看護大尉(最終)でした。
探してみましたが二人の馴れ初めなどは一切見つかりませんでした。
彼女が退役したのは1974年で、同じ年に結婚しています。
結婚した時2回目の結婚で合った夫は74歳、
超年の差婚で、妻は44歳と30歳差でした。
彼女は結婚を機に軍を退いたと思われますが、専業主婦になるためではなく、
その後もリッコーヴァー夫人として、多くの宗教団体、
慈善団体、そして海軍組織に関わるボランティアに生涯を捧げました。
あのリッコーヴァーが人生最後に伴侶に見初めたくらいですから、
知性と人格を兼ね備えたとんでもなくよくできた女性だったのでしょう。
「ハイマン・G・リッコーヴァー」の艦章は、
彼のボートの元乗組員の妻がデザインしたものです。
4つの白い星は、リッコーヴァー提督の退役後の階級を象徴し、
潜水艦の上向きの角度は、敵を探し出すイメージ。
原子力のシンボルは、彼が原子力海軍の父であることを思い出させ、
「Committed to Excellence」(卓越性にひたむき)
のモットーは、提督の64年にわたる海軍での現役生活を象徴していました。
1984年1月 初期乗員配置完了
3月10日S6G炉の初臨界達成
4月23日 キャビンとメスが完成し、乗組員が初めて入艦
特別メニューはリブアイステーキ、ベイクドポテト、コーンチップス
4月24日就航
5月16日から最初の海上試運転
米国エネルギー省の海軍原子力推進室長ロナウド・マッキー提督が立ち会う
公試にかかった時間はエレクトリックボート社製688級潜水艦の史上最短
1984年7月21日12時8分、就役
グロトンでの式典当日は土砂降りで、
主賓の下院議員の到着が1時間遅れる
■ 退役
「ハイマン・Gリッコーヴァー」は2006から不活性化プロセスが開始され、
2007年に廃艦となり、2007年12月17日、最後の出港をおこないました。
その後何も変わりがなければ、2016年に解体と廃棄されたはずです。
■USS「ハイマン・G・リッコーヴァー」SSN-795
その後、2隻目の同名艦が誕生しました。
「バージニア」級原子力攻撃型潜水艦
USS Hyman G. Rickover (SSN-795)
進水式は2021年7月31日に行われ、
スポンサーを務めたのは海軍作戦部長の妻でした。
「バージニア」級潜水艦のシャンパンボトル割り
飛沫飛散防止のパネル付きの敷台を艦体から突出した部分に近づけて
誰でも簡単に失敗なく割れるような工夫がしてある
リッコーヴァー夫人エレノアは、夫の名前を冠した2隻目ができることを
大変楽しみにしていたということですが、残念ながら
2021年7月5日、潜水艦就役式の16日前、95歳で亡くなりました。
おそらく彼女に2回目のスポンサーをさせる案は最初からあったはずですが、
この話もオーダーから起工まで4年もかかっています。
そして建設請負業社は、ゼネラルダイナミクスエレクトリックボート。
この期間世間ではパンデミックが流通と製造を圧迫しましたが、
当社関係者は官民を問わずその期間1日も造船所を閉鎖しなかった、
この期間今までになく作業効率は高かった、と胸を張り、なぜか
「溶接されたパイプの接合部は、過去2隻よりも早くグロトンで完成させた」
としています。
「パイプの接合部」・・・これ、リッコーヴァが激怒した
不具合(しかも1隻にとどまらなかった)そのまんまですよね?
もしかしてまだ恨んでるのか?
しかしそれはともかく、受注から起工の間にパンデミックはありませんし、
高齢のスポンサー候補(しかも実の夫人)のことを鑑みて、
誰か一人くらい彼女のために早く作ろうと言う人はいなかったのでしょうか。
二代め「ハイマン・G・リッコーヴァー」スペックは以下の通り。
排水量 7.800トン
全長 115m
ビーム 10.4メートル
喫水 9.8m
推進力 S9Gリアクター、補助ディーゼル機関
速度 25ノット (46 km/h)
試験水深 244m 以上
乗員 134名
[武装]VLS発射管12基
Mk-48魚雷用21インチ(530mm)
魚雷発射管4基
BGM-10 Tomahawk
二代めUSS「ハイマン・G・リッコーヴァー」の艦章は、
先代より電子マークがシェイプに影響を与えており、
リッコーヴァーを表す4つ星、そして金と銀のドルフィンマーク。
米海軍のドルフィンマークは、士官が金、その他が銀であるためです。
■USS「シルバーサイズII」
第二次世界大戦中の「シルバーサイズ」は、
彼女の姉妹艦が全部退役、売却、解体、沈没した後も、
訓練艦としてシカゴに留まりました。
しかし、1969年、彼女の名前を海軍登録から抹消する
(何らかの方法で廃棄前の船舶を海軍のリストから削除すること)
動きが新たに強まっていったのです。
その理由は、意外ですが「シルバーサイズ」の名前でした。
そのころ、アメリカ海軍は続々と原子力潜水艦を建造しており、
もうそれは100隻目になろうとしていたのですが、
せっかく100というキリの良すぎる原潜なので、どうせ付けるなら、
第2次世界大戦の殊勲艦で、かつドラマの多い有名な
"Luckey Boat "の名前をつけたい、と関係者は思ったのでしょう。
「シルバーサイズ」は新しい原潜に名前を寄贈する話になりましたが、
さりとて本家がこれで売却されてスクラップになるのは本意ではない。
協議の結果、原潜は「シルバーサイズ II」として差異化をはかり、
「シルバーサイズ」は生き残ることになったのです。
「シルバーサイズII」の記念消印。
「シルバーサイズII」のパッチですが、いろんなメッセージが含まれます。
まず、「II」がない?
と思わせてからのー、潜水艦のセイルに「II」の模様。
そして艦尾のラダーは「I」に見えますが、その後ろに、
水流に見せたSS-236、初代「シルバーサイズ」の艦番号が!
艦首には電子マークと100thの文字。
これは原子力潜水艦100隻めを意味します。
「SILVERSIDES」の文字の周りには金色の星が14個。
これはおそらく乗り込んでいる士官14人のことでしょう。
わたしがどうしてもわからなかったのが、艦体上部の文字らしきもの。
「A」が見えるような気がしません?
もしかしたらデザインした人のイニシャルだったりして。
そして、「シルバーサイズ」博物館の展示パネルには、
この艦章の下に、艦のモットー
”Veni, vidi, vici”
"I came; I saw; I conquered"
は、「迅速かつ決定的な勝利」を指すラテン語のフレーズです。
ジュリアス・シーザーが紀元前47年頃、戦いに勝利した後、
元老院への手紙の中でこのフレーズを使用しました。
日本語に訳すなら、
「来た、見た、征服した」
(関西人なら誰でも知っていた、今は無き喜多商店の
『来た、見た、買うた』は、『来た、見た、勝った=買った』
の大阪弁バージョン。これ考えた人、天才)
■ 「シルバーサイズII」の隠密行動
「ノーチラス」から100隻めの原子力潜水艦となった
「シルバーサイズII」。
冷戦の最盛期、彼女がそのキャリアで行った任務の多くは、
依然として極秘のままです。
(ウィキペディアにも行動記録が全く見られない)
「シルバーサイズII」の何人かの乗員が匿名を条件に語ったところによると、
「我々の任務に関する書類がたとえ作成されていたとしても、
それは今後も決して見つからないと信じている」
事実、機密解除され世間に知られるようになった事実はごくわずかです。
それによると、彼女は大西洋に出て北海のほとんどで活動していたと。
乗組員は、スコットランド近海のバルト海、地中海、
そして北極にも行ったことがあるとだけ語りました。
ただ、はっきりしているのは、彼女は
北極点を「少なくとも」2回は訪れているということです。
1981年10月11日、北極点に達した15番めの潜水艦となり(上写真)
(その最初の任務を達成したのはもちろん『ノーチラス』です)
1989年の秋にもう一度訪れていることははっきりしている模様。
北極点到達後、氷の下を抜けた「シルバーサイズII」は
パナマ運河を通り、ノーフォークに戻りました。
■ 諸元
発注 1968年6月25日
建造者 ジェネラル・ダイナミクス社エレクトリック・ボート部門、
コネチカット州グロトン
起工式 1969年10月13日
1971年6月4日進水
1972年5月5日就役
1994年7月21日 退役
1994年7月21日起工
モットー Veni Vidi Vici (「私は来た、見た、征服した」)。
登録抹消 1994年8月2日
船舶と潜水艦のリサイクルプログラムによるスクラップ
2000年10月1日開始、2001年10月1日完了
一般特性
艦種・型式 Sturgeon級攻撃型潜水艦
【排水量】
3,978トン(4,042トン) 軽量
4,270トン(4,339t) 全備重量
292トン(297t) デッド
【全長】302フィート3インチ(92.13m)
【ビーム】 31フィート8インチ(9.65 m)
【喫水】 28フィート8インチ(8.74 m)
【設備出力】15,000軸馬力(11.2メガワット)
【推進力 】S5W型原子炉1基、蒸気タービン2基、スクリュー1基
【速力】
15ノット(28km/h、17mph)浮上時
潜航時25ノット(時速46キロ、29マイル
【試験水深】 1,300フィート(396メートル)
【乗員】109名(士官14名、下士官兵95名)
USS「シルバーサイズ」潜水艦博物館シリーズ
終わり