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U-505 「最後の旅」〜シカゴ科学産業博物館

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U-505は関係者各位の努力により、意外とあっさり、
シカゴのここ科学産業博物館、MSIに展示されることが決まりました。

今日は「U-505のファイナル・ジャーニー」と名付けられた、
新しい住処への「最後の航海」についての展示を紹介します。
まず、U-505が国定歴史建造物に指定されたときに戻ります。


■ 1954年 奉献式


海軍当局者は、U-505を、第一、第二次世界大戦中に海で亡くなった
全てのアメリカ国民に対する恒久的な記念物であると宣言しました。
この銘板は、1954年9月25日の奉献式で除幕されました。

1815    1944ドイツ海軍潜水艦
U-505
この戦争記憶は、大海の何処かにある墓に降りて
海における戦いに勝利することに寄与した
全てのアメリカ人船員の記憶に捧げられるものである

U-505はタスク・グループ 22.3 米国大西洋艦隊によって
フランス西アフリカのケープブランコで6月強襲および拿捕された

これは、1815年以来、アメリカによって海上で強襲および捕獲された
唯一のドイツ潜水艦であった

タスクグループ22.3
ダニエル・V・ギャラリー大佐 U.S.N

USS「ガダルカナル」CVE-60(旗艦) ダニエル・ギャラリー大佐
VC航空隊8 
ノーマン・D・ホッドソン大尉

護衛駆逐艦隊 第4分隊 
フレデリック・S・ホール中佐

USS「ピルズベリー」DE-133 ジョージ・W・カッセルマン少佐
USS「ポープ」DE-34 エドウィン・H・ヘッドランド少佐
USS「フラハーティ」DE-135 ミーンズ・ジョンソンJr.少佐
USS「シャトレーン」DE-149 ダッドレー・S・ノックス少佐
USS「ジェンクス」DE-665 ジュリウス・F・ウェイ少佐
■ 国定歴史建造物


U-505は、1989年6月29日、国定歴史建造物のステータスを取得しました。
国定歴史建造物プログラムは、アメリカの歴史を形成する上で
役立った出来事に焦点を当てて、国家的に重要な財産を区別します。


MSIで展示されることになった日のU-505

1954年の記念碑の除幕は、ウィリアム・ハルゼーJr.提督の演説に続いて、
タスクグループのアール・トロシーノ中佐が行いました。

おそらく演説しているのはハルゼー提督

予備海軍中佐(海軍歴4年、駆逐艦の無線技師)であり、
テレビやラジオで全米に有名だった人気司会者、
アーサー・ゴッドフリーに紹介されたハルゼー提督は、
17発の祝砲に続き、祝辞を述べました。

「U-505は、正義よりも力を優先し、
国民を国家の奴隷にする生き方を常に思い起こさせる存在です。

これが博物館に常設展示されることによって、
常に世界は思い出すことでしょう。
アメリカ人が平和を祈り、戦いを嫌いながらも、
自らの生き方を信じるゆえに侵略者から身を守る意思と能力があることを」

■ U-505保全のための取り組み



ここにやってきてからというもの、U-505には多くの人々が訪れました。


U-505を見学した400万人目は、カリフォルニア州のアーサー・レイJr.君。
左、アーサーに記念品を渡すローア館長と右はギャラリー提督。

2004年に現在の展示場に移動するまでに、
実に2,400万人以上が潜水艦を訪問しました。

ここまでは良かったのです。

が、外に展示されていたU-505の艦体は、
驚くべきペースで劣化していきました。
2001年に行われた分析では、
何年にもわたって露天に暴露されていたことにより、
外殻は元の厚さの 4 分の 1 まで侵食されていることがわかりました。

屋内の温度制御される環境に移動しなければ、
潜水艦は永遠に失われる可能性もありました。

そこで、MSIは、この国の歴史的な宝の一つを
将来に受け渡すために完全に保護する企画を立てました。

博物館は、将来の世代のために適切な保護および保存すべく、
U-505をマコーミック・トリビューン財団展示ホール内のに移しました。

マコーミックというのは、U-505移動のスポンサーになった
出版業者ロバート・マコーミックの財団のことです。

エンジニアはU-505が安全に航行できるように詳細な構造分析を実施し、
キュレーターはボートを元の外観に戻すためのプロジェクトを開始しました。

このとき、U-505は50年間風雨にさらされて艦体は劣化し放題でした。
まずエンジニアは潜水艦の強度をテストすることから開始しました。
さまざまなサポート構成をテストし、
移動前に補強が必要な領域を特定するため、
コンピューターによるシミュレーションを行いました。

作業員は到達も困難に思われた潜水タンクまでの通路を案内し、
補修が必要なエリアを特定していきます。



作業員は、バラストタンクとフリーフラッドスペースから
3,200ポンド(約145kg)以上の錆びた鋼鉄を取り除きました。

彼らは、損傷した部品から作られたパターンを再利用し、
損失した部分は元のドイツの図面を使用して、新しい板金ブラケット、
ストリンガー(船側外板の内面を縦通する大形骨材)
およびリブ(艦体横方向に走る構造部材、肋骨に似ていることから)
をあらたに作成しました。
【修復〜正確さを求めて】

U-505は移動する前に大規模な保存作業を施す必要がありました。

学芸員は、U-505の内外の表面に、何年にもわたって積み重なった
何種類もの塗装色の層を発見しました。


これは潜水艦内のバルブハンドルの断面の拡大図ですが、
微細な塗料のチップを調べると、
何年にもわたって色の層ができているのが確認できます。

スタッフは当時の写真、第二次世界大戦のドイツ海軍の塗装マニュアル、
顕微鏡による塗装チップの分析結果を使用して、
最終的に当時のままの潜水艦のオリジナルの配色を決定しました。

■ U-505の敷地内移動

U-505の保存は、責任ある管理の問題であり、
貴重でかけがえのない歴史遺物の管理者に期待される種類のものでした。

潜水艦を劣化から守るためのセーフハーバーを作ること、
訪問者があらゆる角度から潜水艦に遭遇できるような体験を提供すること。

この重大な二つの目的のためには多額の財政的投資が必要でした。

博物館は、公共および民間にキャンペーンを行い2,900 万ドル以上を集め、
連邦、州、および地方政府への呼びかけで全体の52%が拠出されました。

残りの48%の協力金の内訳は、
博物館の理事会主導による、4,300人を超える個人の献金が24% 、
財団は22%、企業は2%というものです。

移転と保存のプロジェクトは、1997 年に開始され、
潜水艦捕獲の61周年に間に合うように、2005 年に完了しました。

(おそらく60周年にはどうしても間に合わなかったのだと思われる)


計画では、右側の黄色いところから、時計回りに
上の予定地まで潜水艦を動かすことになりました。

ただし、平面を動かしていくだけなら簡単ですが、
最終的な到着予定地は地下になります。

ただ無闇に場所を移すのではなく、移動する前に、
艦体がどのような影響を受けるか判断する必要があります。
構造エンジニアは、有限要素解析ソフトを駆使して移動をシミュレートし、
移動中にボートを支えるクレードルのさまざまな構成をテストし、
その結果、U-505を新しい場所に安全に誘導するには、
6つのクレードルと特別な補強が必要であると結論づけました。

この結果を導き出すため、捜査員は狭い開口部から腹ばいになって、
潜水艦の船体外殻と内部圧力弁の間の空間に進入しています。

かつて潜水艦を捕獲した時、沈没を止めるために
腹ばいになって狭いところに入ったアール・トロシーノ中佐のように。

その後、復元した内部の部品を取り替えたり、補強材を取り付けるなど、
U-505が1,000フィート移動に耐えられるようになるまで2年を要しました。
この作業をおこなったチーム(トレド船舶修理会社)は、
修理の際、オリジナルの建造方法を忠実に再現し、
移動作業を大型の海洋&産業アイテムの移動に経験を積んだチーム、
NORSARが手掛けました。

NORSARは従来の重量物の移動と違って、クレーンやリフトは使わず、
6つの持ち上げクレードルに艦体を乗せるという方法を取りました。


まず、潜水艦の下に24基のジャッキを配置しました。

ジャッキは重量を均等に分散し、船体を保護します。
潜水艦を一度に4インチ持ち上げ、それぞれのジャッキの下に
クリビングを置いて支えました。

パネルの下にはこのような角材が展示されていました。

説明がないのですが、もしかしたらこれが
このときに艦体を支えたクリビングの素材かもしれません。



次に、U-505を支えていたコンクリートの支柱を切り取り、
潜水艦を 18 台の油圧駆動の台車に載せました。
各台車には 8 個の頑丈なタイヤが付いていました。

各台車には相互接続された油圧ジャッキが装備されてボートを支えます。


写真の左上には、U-505がそこからやってきたミシガン湖があります。動き出したU-505 はミシガン湖に向かって、敷き詰められた板の上で
クレードル、ドリー、および多くのタイヤに乗せられます。

甲板には安全柵が取り付けられていますが、これはオリジナルではなく、
MSIスタッフが装着したもので、その後削除されました。

ボートの下にはそれぞれ8つのタイヤを備えた 8 セットの台車が配置され、
台車は、でこぼこした路面を操縦するために、
それぞれが調整可能な油圧ラムを備え、個別に制御可能でした。

博物館は潜水艦の進路を確保し、縁石を板で覆い、
標識やフェンスなどの他の障害物をすべて片付けました。

1954年にここにボートを運んできた時とは全く違い、
今回は油圧モーター駆動の台車によって、Uボートは
博物館の周りを「動かされる」ことになりました。

この50年の間にいかに科学技術が進歩したかということですね。


2004年4月8日、Uボートはシャンパンを破る洗礼式の後、
最後の「旅」、新しい場所での展示を始めました。

ドレープのかかった幕の前でWW2のベテランである市長が挨拶をし、
海軍軍楽隊が澄み切った青い空の下、お馴染みの音楽で空気を充しました。

15年過ごした博物館のファサード前をバックで離れていくU-505。
艦尾の下には潜舵とプロペラのうち一つしかないのがわかります。


これから潜水艦は、地下に掘られた新しい設置場所への
最後のコーナーを回っていくところです。

最終的に彼女が落ち着くのは、画面右下、潜水艦の形に造られたコンクリートの壁の容れ物です。

潜水艦のセイルには巨大な星条旗が翻っています。



展示ホールには機器(8つのクリビング タワー)を建設しました。
各タワーは150 トンのジャッキで構成されています。



40,000ポンドの重さの 4 つの橋梁を組み立てました。



潜水艦の下に4つのスキッド ビームを配置した後、
油圧シリンダーによって U-505がブリッジ ビーム、展示ホールの上、
およびタワーの上に押し込まれていきます。



支持梁を取り外し、リバースジャッキを使用してホールの底まで降ろし、
潜水艦を床のスキッドビームまでジャッキダウンします。

最後に、スキッド ビームを使用して U-505 を適切な位置に回転させ、
最終的な移動が完了しました。

その日以来、U-505はこの場所にあります。



続く。



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