■その男は若いころから乱酔乱暴で、
戦艦の副長となっても酒癖の悪さは直りませんでした。
ある日上陸して大酒を飲んできたこの男は案の定艦内で暴れだします。
艦長の山本権兵衛が抱き抱えるようにして彼を甲板に連れて行きました。
心配して様子を見に行った少佐が甲板で見たものは、
胸ぐらをつかまれ艦長に殴られている副長の姿でした。
■日本海大戦の17年も前のこと。
横須賀のドックに入港したロシア戦艦の水兵は、日本海軍が用意した
宿泊所の水行社で調子こいていました。
その男はロシア水兵とビリヤードに興じていたのですが、名を尋ねられ
「大和艦副長、海軍大尉、上村彦之丞」
日本語が聞き取れないロシア兵はもう一度聞きなおします。
「大和艦副長、海軍大尉、上村彦之丞!」
こんどは大声で怒鳴ったのですが、その様子にロシア兵は
なぜかクスクスと笑いだしました。すると男は
「人の名前を聞いておきながら笑うとは、無礼千万!」
言うが早いか手にしていたキューで相手を殴り倒してしまいます。
このとき、ビリヤード用の丈夫なキューが折れたという話もあります。
激高した仲間が襲いかかってきましたが、彼はひらりと撞球台に飛び乗って
天井から下がっていたランプをちぎっては投げちぎっては投げ、
しまいには椅子を振り回して大暴れ。
ロシア兵はほうほうの態で逃げて行ったそうです。
■日本が英国の造船会社アームストロング社に「千代田」を注文したときのこと。
基本的に黄色人種の国の仕事など二の次三の次で甘く見ていたイギリス人、
千代田用のために発注した12センチ砲を、日本に無断で
南アフリカ戦争中のイギリス軍に流用してしまいます。
日本側はアームストロング社の責任者を呼びつけて文句を言います。
ところが基本的に黄色人種の抗議など痛くもかゆくもないこの大造船会社のトップ、
通訳の伝える怒りの言葉にも
「ダイジョブデース。コノアトモイッカイチュウモンスレバイインデショー」
などと人を食った態度。
おまけに基本的に白人に劣等感を感じている通訳までもが、
相手を怒らせるのを恐れてジャパニーズスマイルでへらへらしています。
男の怒りは爆発します(笑)
「君じゃ話にならん!」
と一喝して通訳を変えさせ、代わりにやってきた通訳にこういい渡します。
「通訳はただ訳せばいいんじゃない!
怒った時は怒っているように、叱った時は叱っているように、
すべて本人の態度と同じように通訳せよ!」
そして猛烈に文句をつけたのです。
言われた通り猛烈な態度で通訳する通訳(笑)
それからというもの、イギリス造船所の日本に対する態度は一変しました。
この男、帝国海軍軍人、海軍大将、人呼んで「船乗り将軍」、
上村彦之丞。(かみむら・ひこのじょう)。
こういうタイプに優等生はあまりいないということを証明するように、
上村の海軍兵学寮の成績は芳しいものではなく、最下位でした。
もっとも最下位といっても上村の卒業した4期生はわずか13人。
学校で最下位であった上村がこの中でたった一人大将に出世したとしても
全くあり得ないことではありませんが。
さて、話は日露戦争開戦当時の話になります。
当時、ウラジオストックには一等巡洋艦三隻を主力とするウラジオ艦隊が停泊し、
対馬海域、津軽海峡を抜けて伊豆諸島海域にまで出没し、
わが国のみならず中立国の貨物船、輸送船などを拿捕、攻撃するなど
活発な破壊活動をしていました。
その三隻とは装甲巡洋艦ロシア、グロモボイ、リューリックです。
ウラジオ艦隊の暴れた様子と被害に遭ったフネ
日本海付近で跳梁跋扈するウラジオ艦隊に対し遊撃を命じられたのが
上村中将(当時)率いる第二艦隊でした。
しかし、日本海特有の濃霧やウラジオストク艦隊側の神出鬼没な攻撃に、
なかなかこれを補足することができず、ついに常陸丸事件では、
常陸丸、佐渡丸が撃沈され、須知源二郎中佐以下の近衛後備歩兵、
第1連隊等の兵員千名余りを戦死させてしまいます。
上村は、防衛責任者として糾弾されることになります。
国会では野党議員から
「濃霧濃霧、のうむは逆さに読むとむのう(無能)なり」
と批判され(誰がうまいこと言えと)また民衆からは
「露探(ろたん)提督」(ロシアのスパイという意味)と誹謗中傷されたうえ、
自宅に投石されるという事件も起こります。
部下たちが憤慨するのに対し上村は
「家の女房は度胸が据わっているから大丈夫」
と笑って取り合わなかったということですが、このサイトの漫画によると
日露大戦外伝・上村彦之丞(天下御免丸)
こうなります(涙)
そんな世間の悪評の中、またもやウラジオストック艦隊が出港した、
という情報が入りました。
上村中将の第二艦隊は蔚山沖でウラジオ艦隊を補足します。
ここで会ったが百年目。
方やウラジオ艦隊は、相手が軍艦であることを悟ると尻に帆かけて逃げ出し
(この譬えは少し適切ではないかも)濃霧の中無茶苦茶に撃ってきます。
壮烈な砲撃戦の末、ついにウラジオストク艦隊の3つの巡洋艦のうちのひとつ、
リューリックを仕留めました。
ところがリューリックは半沈しながらも味方の船を逃がすため、砲撃し続けます。
残念ながら、こういうのに日本人は弱い(笑)
さんざん悪さの限りを尽くしてきた憎き敵艦にもすぐに
「敵ながらあっぱれ」
となってしまうのが、また日本人でもあります。
このときにリューリックを見て上村中将が言ったのもまさにこの
「敵ながらあっぱれ」だったと言われています。
そして、あの「敵兵を救助せよ!」がここ蔚山沖でも行われるのです。
当初上村は逃げた二隻を追撃することを下命したのですが、
弾が切れているということを部下に板書で知らされます。
上村はその板を奪い取って叩きつけ足で踏み壊して悔しがり、
その形相のすさまじさに周りの部下は震え上がりました。
誹謗を笑い飛ばしながらその実、無能の汚名を返上する機会を
上村は切歯扼腕しつつ待っていたのでしょう。
このとき弾が残っていたら第二艦隊は逃げた二隻を追跡することになり、
当然このような「救出劇」も起こらなかったことになりますが、
これは結果として上村自身と日本軍の武士道を世界に知らしめることとなります。
海上に漂う627名のロシア人将兵の救出が始まりました。
助け上げられ信じられない思いを隠せないロシア人たち。
それもそのはず、彼らはこれまで日本の、のみならず中立国の
非武装の船を襲ってきたのですし、常陸丸事件のときも
黄色人種の生き死にごときには何の痛痒も感じず放置していたからです。
そして、敵をみすみす逃すことを阿修羅の形相で悔しがった上村は、
その同じ口で部下が敵兵に復讐の念をもって虐待行為をしないよう、
「捕虜を厚遇せよ」と命じたのでした。
そしてその命令があまねく行き渡っていると言う報告を聴き
「それはよかった。これで安心だ」
とひとりごちたと言うことです。
上村司令長官の名は一躍上がり、
無能扱いしていた世間は手のひらを反して彼を褒め称えます。
「上村将軍」という歌までができました。
その三番をここに記しておきます。
蔚山沖の雲晴れて
勝ち誇りたる追撃に
艦隊勇み帰る時
身を沈め行くリューリック
恨みは深き敵なれど
捨てなば死せん彼等なり
英雄の腸ちぎれけん
「救助」と君は叫びけり
折しも起る軍楽の
響きと共に永久に
高きは君の功なり
匂ふは君の誉れなり
そんな世間に対して上村長官が感じたのは、まさに
「半年前、ワシを国賊と罵った者もこの中にいるじゃろうのう」
第8話 ウラジオ艦隊壊滅
というひとことであったと思われます。
ところで、記念艦三笠にこのようなパネルを見つけました。
理不尽な国民の声に憤慨した学生が、上村将軍を称える軍歌を作りました。
このキャプションを持つこの「軍歌」、何を隠そう先ほどの
「上村将軍」の一番なのです。
三番の歌詞を見る限り、この歌は上村司令長官が名誉挽回となる
勝利を手にしてから作られたものに違いないと思うのですが、
どうしてこのような情報となるのでしょうか。
史料館の情報には厳密に考証がなされていて欲しいと思いますが、
ときどきこのような不整合を発見します。
さて、最後に腐女子向けの話題を二つ。
■日露戦争の3年前のこと。
上村は練習艦隊司令官としてオーストラリアを訪問しました。
その歓迎会席上、上村が豪州軍総督夫人に挨拶をしていると、
突然音楽が鳴り響きダンスの時間となってしまいます。
上村は正面にいた総督夫人の手を取りダンスをしなければならない状況に!
部下たちが手に汗を握って見守る中、上村は皆の心配をよそに見事に夫人をリードし、
総督夫人からはお褒めに預かりました。
実は上村はオーストラリア入港後、艦上で部下と共にダンスの練習をしていました。
これが本当の豪に入れば豪に従え。誰がうまいこと言えと。
部下が「よく踊れましたねぇ」と感心してみせると上村は
「なにくそ!と思ってお国のために体を動かしたのだ」と答えたとの由。
■あの広瀬武夫が乗ることになる「朝日」の回航責任者だった時に、
ロシアに行った上村。
当地の留学士官だった広瀬に、別れ際列車の窓から体を乗り出し、
その首を抱き寄せて
「この国のことは頼んだぞ!」
というなり熱い接吻をしました。
ああっ!あの広瀬さまがこんなオヤジにっ!
ただ、腐女子の皆さんをがっかりさせるようですが、
上村がキスしたのは広瀬の頬っぺただったそうです。