希望の歌、喜びの歌〜令和元年度 自衛隊音楽まつり
令和元年度の自衛隊音楽まつり、自衛太鼓が終わるとその盛り上がりは最終章のフィナーレにつながっていきます。 その前に、これも音楽まつり恒例となった、演技支援隊の紹介があります。大きな楽器の出し入れやステージ途中のセッティング、カラーガードが使用する小物を手渡すなどという細々とした仕事も行います。 東部方面隊から選抜された隊員12名とそれを率いる隊長からなり、会場のアナウンスでは、...
View Article三机・九軍神慰霊の旅〜愛媛県伊方町
やっと音楽まつりのご報告が終わりましたが、その音楽まつりが始まってからというもの、阪神基地隊の年末行事、旧軍軍人英霊の慰霊祭、人間ドック、上原ひろみのコンサートとやたらと行事が集中してしまいました。 ドック入りは本来アメリカから帰ってすぐに予約を入れていたのですが、今回は事情があって帰国する日を伸ばしたため、予約を取り直してもらい、こんな忙しい師走に病院で二泊三日(うち1日はPET...
View Article真珠湾攻撃 九軍神慰霊祭〜酒巻少尉の写真
真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇で突入した艇長と艇附、士官と下士官9名の英霊「九軍神」の慰霊祭にお誘いいただいたとき、どのような経緯で12月8日の慰霊がこのようなところで行われてきたのか、全くその経緯についてわたしは知識がありませんでした。...
View Articleベイエリア トレイル三昧〜サンフランシスコ
今年の夏は当初東海岸から西海岸に移動し、そのまま日本に帰るという動線的に美しい予定を立てていたのですが、急遽ニューヨークで所用ができてしまったため、サンフランシスコ滞在の日を少なくしてまた再び東海岸に飛ぶというアクロバティックな旅程になりました。 大好きなベイエリアの滞在期間が短くなったのは残念ですが、その分勝手知ったる第二の故郷を存分に楽しむことを決意。...
View Article「青年の感激 思ひ出の三机」〜真珠湾攻撃 九軍神慰霊祭
この写真は九軍神慰霊祭の行われた三机のある瀬戸町民センターの二階に掲示してあった「千代田」乗組員の総員写真です。 全員の顔が見えるように甲板はもちろん、煙突や砲塔にまで人が鈴なりになっている様子は壮観です。 「千代田」は「千歳」型水上機母艦の2番艦として開発されましたが、就役して1年半後の1940年5月、甲標的(潜航艇)母艦としてハワイ攻撃のための特別訓練を行うため三机に停泊していました。...
View Articleジーマハト・オストライヒ(オーストリアの海軍力)〜ウィーン軍事史博物館
ウィーン軍事史博物館の展示についてこれまでお話ししてきたわけですが、お待たせいたしました。 ようやくこのブログ本来の役目である海軍関係について語る時がやってきました。 当博物館ではこのコーナーを Seemacht Österreich 英語では Austria as a naval power...
View Article引き揚げられたU-20〜ウィーン軍事史博物館
「ジーマハト・オストライヒ」(オーストリアの海軍力)という題でウィーン軍事博物館にわずかの間存在していたオーストリア海軍の資料を前回紹介させていただきました。 今日は、いわばこの博物館の海軍的目玉展示をご紹介します。 その前に、前回ご紹介できなかった河川警戒船であろうと思われる写真をどうぞ。SMS「テミス」に似ていますが、わかりません。...
View Article令和元年 年忘れ映画挿絵ギャラリー
なにがといって、今年は御代がわりがあり、平成が終了し令和が幕を開けたことほど大きな出来事はなかったでしょう。 新しい年号開始が始まったのは五月一日からであったため、「令和元年」と口に乗せるのも晴々とするこの響きを半年ちょっとしか楽しめなかったというのが残念と言えば残念ですが。...
View Article新春企画・平成30年度自衛隊参加行事〜おまけ:救難飛行艇US-2の女性搭乗員
みなさま、あけましておめでとうございます。日記のように思うがままにつづってきた当ブログも、2010年の開設から今年2020年をもって、なんと足掛け10年になろうとしているのです。 いやもうとんでもないな(笑) 単なる趣味と言いながら10年。...
View Article卒業式〜新春企画・平成30年度自衛隊参加行事
昨年1年間、平成年間に参加した自衛隊行事を振り返っています。 昨日、第71航空隊の女性パイロットをご紹介させていただいたところ、彼女の存在を教えてくれた自衛官から、 「彼女はとても元気な女子。救難艇に『恋をして』飛行艇乗りになったと本人が言ってました」 という追加情報をいただきました。また、救難艇の困難さについて、...
View Article観桜会〜新春企画・平成30年度自衛隊参加行事
みなさま、お正月はどのようにお過ごしでいらっしゃるでしょうか。わたしは今年正月明けにまたアメリカに行くことが決まったので、三ヶ日は珍しく家にいて家族とすごしました。 元旦は東京駅前の「駅前ホテル」にお節をいただきにいきました。 枡酒が元旦のお屠蘇がわりに振る舞われ、ビュッフェテーブルの端に置かれた「末廣」の樽は、外国人観光客の自撮りスポットになっていました。...
View Article新春企画・令和元年度 参加自衛隊行事
平成30年4月30日、偶然わたしの誕生日をもって平成は終わり、次の日から元号は令和と代わりました。 元号が発表されたとき、わたしは家族と車で移動中でしたが、滅多につけないラジオに切替えて、その瞬間を待っていました。そして、 「令和」 の発表。 「れいわ」「令和かあ」「令和ねえ」...
View Articleキュリオデッセイ(CuriOdyssey)の動物たち〜サンフランシスコ
バーリンゲームに住んで毎日のように新しいトレイルを探し、歩きにいったのですが、その中で今回最も「当たり」だったのが、バーリンゲームからは西側に位置するクリスタルスプリングス貯水池ぞいの ヒストリック・セイヤー・トレイル(Sayer Trail) でした。...
View Article軍艦香取征戦記念写真集〜士官室士官、士官次室士官の肖像
さて、古書店で手に入れた「軍艦香取征戦記念」。「香取」が第一次世界大戦でマリアナ諸島に派遣された、というところまでわかりました。 ついでに、第一次世界大戦についてさらっとおさらいでき、さらには日本がどのような形で参戦に至ったのかあらためて確認しました。 今まで全く知識の及ばなかった分野なので、この写真集をきっかけとしてまた色々と勉強できそうな気がして嬉しい限りです。...
View Article軍艦香取征戦記念写真集〜特務士官と分隊
さて、第一次世界大戦に参戦した日本がマリアナ諸島に派遣した「香取」。 わたしが偶然手にした写真集は、戦争が終結し、帰還した「香取」乗員総員に記念として配られたものであったと思われます。 名簿の最初には、大正3年11月30日現在のものであるとあり、これは「香取」が日本に帰国する5日前のステイタス、つまりまさに征戦に参加したメンバーの名前が刻まれているとしています。...
View Article映画「戦場にながれる歌」〜國ノ鎮メ
ディアゴスティーニ配信の戦争映画シリーズには、音楽ものが2作あります。 一つが以前ここでも取り上げた古川緑波主演「音楽大進軍」で、「我らがテノール」藤原義江始め、当時の日本の第一線音楽家が出演する「慰問音楽団」をテーマにした映画でした。...
View Article30ミリ、40ミリ砲のターゲット〜USS「スレーター」
パイロットハウス(操舵室)とCICのある02レベルを見学し、さらに最上階に上がった駆逐艦「スレーター」の見学ツァーは、もう一度スーパーストラクチャーデッキ(上部構造物デッキ)を歩くことになりました。 下に降りるのは梯子式のラッタルです。 ここにはベントの他、ボートダビッド、中央にスタック(煙突)があり、両舷には機関銃の銃座が物々しく並んでいます。...
View Article映画「戦場にながれる歌」〜北支の”愛国行進曲”
陸軍戸山学校時代の団伊玖磨と芥川也寸志が肩を組んでいる写真を見つけ、絵を書かせていただきました。 カコミはそれぞれの約10年後といった感じでしょうか。お互い第一線の作曲家として活躍していた頃とはいえ、このヨレヨレの服にメガネの少年のその後とは思えない洗練ぶりですね。...
View Article令和元年 年忘れ映画挿絵ギャラリー
なにがといって、今年は御代がわりがあり、平成が終了し令和が幕を開けたことほど大きな出来事はなかったでしょう。 新しい年号開始が始まったのは五月一日からであったため、「令和元年」と口に乗せるのも晴々とするこの響きを半年ちょっとしか楽しめなかったというのが残念と言えば残念ですが。...
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